ポーランド歴史ドラマ「王妃ボナ」(1)第一話から第六話

   1981年ポーランド製作、ポーランド国王シギスムント・アウグスト一世(在 1506-48年)に嫁いだ、イタリアの名家、スフォルツァ家のボナ (1494-1557年)の後半生。結婚直前の、1518年頃から1557年の死去までの約40年間を描く。各話約55分で全12 話。1980年12月から 81年5月にわたって半年間放映された(隔週放送と考えられる)。主演女優アレクサンドラ スラスカ(Aleksandra Slaska)は1925年生まれで、製作当時は55歳であるが、24歳からのボナを演じている。とても55歳の役 者さんだとは思えないものがりました。
  本作が作られたのは、1980年前後にレフ・ワレサ率いる連帯の活動が大きく世界に報道された頃。それまでのポーランド歴史映画 では、敵はまずドイツ騎士 団とブランデンブルグとなっていて、ロシアやウクライナを敵とする場面は登場していなかったのですが、本作では、会話の上で、西 はハプスブルグ、東はイ ヴァン四世の脅威、というような台詞が出てきて、最終回のエンディングでは、ポーランド王国の国章である鷹が大きく映されて終わ ります。

 まあなんとなくですが、これも製作された時代の背景の産物かも知れないと少し思いました。

  ペース配分もよく、4話で10年という感じで、はしょることなく後半生を描いています。このドラマと同時に、映画「バルバラ・ラ ジヴィウーヴナのための墓 碑銘」も製作されています。同 じ出演者で、半分以上「王妃ボナ」の映像がそのまま用いられています。続編と考 えても良いのかも知れませ ん。

 今回、衣装が面白く、画面ショットを大量に取得してしまい、記事が長くなってしまったので、六話までとそれ以降の記事を分割す ることにしました。一応各話のあらすじ毎にまとめています。


第一話

 冒頭は、ボナの母、ナポリ王女イサベラ(左)とともに、地下の礼拝堂で祈っている場面から始まる。母(下写真左)の衣装が当時 のイタリアの装束だと思われるが、ボナがポーランドに渡った後の映像を見ると、イタリア装束がポーランドに持ち込まれている様子 が良くわかる。

 母と地下の聖堂を出てからそのまま二階の占星術師のところにゆくボナ。占星術師は全編を通じて何回か登場しており、当時のボナ の意識を垣間見ることができる。後年、ボナがコペルニクスに言及する場面が一度出てくる。これも占星術師としての関連なのだと思 われる。

  イタリアからポーランドに赴くボナに、二人の家臣が秘書官としてついてゆくことになる。左がドクトル・アリフィオ、右がシニョー ラ・パパコーダと呼ばれて いた(実名はLudwik Alifio、Gian Lorenzo Pappacoda、番組中ではアルトゥロ・パッパコーダ。ルドゥヴィック・ガルフィオとも呼ばれていた)。また、マリーアという侍女もついてゆくことに なる(左が母親、右がボナ)。

 嫁いだ先のポーランド王宮の道化師。彼はこの同じ形の装束を、色違いでそれぞれ、赤、黒、緑など持っている。彼の名はスタンチク、実在の人物である(1480年頃−1560年頃)。

 ボナの衣装のひとつ。解像度が悪いので宇宙人みたいに見えるが、近くで見ると細かい柄をうまくあしらった素敵なドレスである。

 ジグムントとの結婚式はイメージ場面という感じ。あまり映像として見るものがなく、後年の息子シギスムントの結婚式のショット が盛大なのでそちらを掲載しています。
 侍女達を従えているくボナ。当時の侍女の装束もわかります。

  ボナは早くも国王と並んで政治会話に参入。ヴィスコ・ジェレンスキーとボナと国王三人の会話で、スフォルツァ家はハプスブルクと 相容れないのだ、というよ うなことを話すボナ(丁度1516年にスペイン・ハプスブルク家が誕生した直後だったのでこのような発言をしたのかも知れない が、彼女の結婚はハプスブル ク家の支援でなされたものだった)。

 続いてボナは自室にグニェズノ大司教アンジェイ・クルツキー(Andrzej Krzycki)を呼び出しなにやら会話。このあたりは、アウグスト一世の宮廷の有力者とボナの面通し(=視聴者への紹介)、といった感じの場面だったと 思います。更にボナはリトアニアの有力者(誰だかわからなかった)と会話する。

 ボナが懐妊する。最初の懐妊なので、1519年の話だとわかる。この青いボナの衣装は三話まで登場する。それ以降はワインレッ ド色の衣装が主流になるが、場面によって様々な衣装が出てくるので、実に華やかである。

  占星術師のもとに相談にゆくボナ。そして子供誕生。国王が子供を見に来る。下記は、まだ出産前、発注した揺りかごが届いたので、 皆で届いたゆりかごを見る 場面。ちゃんと籠の部分がゆれるようになっている。このゆりかごが届いた時は、上に蓋がついていて、長方形の箪笥のようなもの だった。最初はなにかわから なかった。

 ラストでは、カロルス(カール五世)の弟フェルディナンドと思われる人物が出てくるが、彼のオーストリア大公即位は1526年 のことなので、別の人物かも知れない。

第二話

  冒頭で第一話のあらすじが語られる。ここでボナは、ボナ・スフォルツァ・タラゴーナと呼ばれている。これは、タラゴー ナ=d'Aragonaのことで、 「アラゴン国の」という意味である。当時のナポリ王は、アラゴン家であり、ボナの母はナポリ・アラゴン家の出なのであった。

 下記はクラクフ城を内側から見たところ。この建物は変形で、四面全部が写真のような建築様式ではない。クラクフ城は増改築を繰 り返しているようで、別の一面は中世的な灰色の石壁むき出しの城となっている。

 盛大に鐘が鳴る。ついに男子誕生である。1520年の事。この後、シグムント・アウグスト二世国王に紹介するのが、19分に なってから。国王といえど、生まれた子供に直ぐには会えないんですね。。。

  出産直後からか、少したってからかわからないが名前でもめたのだろうか?名前が決まった時、ボナは息子の名前をシギスムント・ア ウグストとすることに拘 り*1、更にリトアニア大公の称号を与えることにもこだわり、これが若干の政治問題に発展してゆくことになる。更に、マゾフシェ 公ヤヌシュ3世の母、アン ナ・マゾヴィエツカ(リトアニアの宮宰家ラジヴィウ家の出身)の死去(1522年)により、にわかにマゾフシェ統治問題が浮上し た。リトアニアとマゾフ シェの居城らしきものが映り、貴族達が相談している場面が出てくる。下記はリトアニア公の居城。

  こちらはどうやらマゾフシェ公の居城のようだが、はっきりとはわからない。いづれにしても、リトアニア公の居城にいた貴族・恐ら く宮宰ラジヴィウが、リト アニアで家臣・同僚と相談後、マゾフシェ公らしき人物の元に赴き打ち合わせをし、最後はクラクフの御前会議に乗り込む、という筋 立てのようである。国王と の御前会議では、リトアニアのヘトマン・オストログスキーと、リトアニアの貴族(多分ラジヴィウ家)の人との調停も行われたよう である。

 こちらがどうやらリトアニアの大ヘトマン(最高終身軍司令官)コンスタンティン・オストログスキーのようです。

 最後は国王裁可でマゾフシェの処遇とヘトマンと宮宰間の調停、息子の称号問題も国王裁可で終わる。息子がシギスモント・アウグ ストス・ドゥックス(公)の称号を得られたことで喜ぶボナ。

 その後は、リトアニア貴族やヘトマン、ボナがそれぞれ密談するような場面が続く。

 途中でボナが喪服を着て神に祈る場面が出てくるが、これは、第三話冒頭の解説によると、ボナの母親、イサベラ死去のことのよう である(1524年)。

 ラスト。ボナが、秘書官のアリフィオに、マゾフシェ公ヤヌシュ3世(1502-1526年)と、国王の前妻の娘、ヤドヴィカ(1513-1573年)との縁組を相談している場面で終わる。

*1 シグムント・アウグスト一世の母方の祖母がルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝ジギスムントの娘であることから、この名称に拘ったようである。侍女が単に 「シグ ムント」と呼ぶと、ボナは「アウグスト!」と怒って付け足すのだった。他の場面でも「アウグスト!」と叫んでいるから、ボナは「アウグ スト」だけがよかったよう だが、どうやらそれが無理そうなので、「シグムント」付のアウグストに譲歩したようである。それでも決まったときは嬉しそうに、 「シギスムンドゥス・アウ グストゥス・ドゥックス」と韻を踏んでゆっくり味わうように口にしていた。ちなみに侍女が口にした、ヤギェウォ家の王の治める領 域は、ポールスキー、リー トゥ(リトアニア)、ルース(ロシア)、プルシャ(プロイセン)、と口にしている。


第三話

 子供が次々と生まれている。子供部屋は子供たちとあやす侍女達でにぎやか。寝室で仲むつまじい国王夫妻。しかしベッドの中でも 帽子をしているのか。。。。

  と、このように一見平穏に見えたが、今回はドイツ騎士団の貴族問題とモハーチの戦いが政治問題となっている。ボナの課題として は、国王の前妻の長女、ヤド ヴィカの嫁ぎ先である。どうやら、前回の最後ではマゾフシェ公ヤヌシュ3世を想定していたようだが、彼は1526年に死去してしま い、マゾフシェはポーラン ドに併合される。次はボナはドイツ騎士団のアルブレヒトを想定したらしいし、ヤドヴィカもその気だったようだ。しかし国王は、 ドイツ騎士団はルター派だ からと取り合わない。ハプスブルクを薦めているようで、ハプスブルクに反感のあるボナは激怒した議論となる(アルブレヒトは、ド イツ騎士団のプロイセン公 昇格(1525年)の翌年、デンマーク王の娘、ドロシアと結婚してしまう(1526年)ので、ヤドヴィカの婚姻はまたもお流れと なるのだった)。

 そして、クラクフにて、ドイツ騎士団のプルシャ(プロイセン)公就任式とポーランドへの臣従式が執り行われる(騎士団長のアル ブレヒトは、ブランデンブルグ選帝侯のホーエンツォレルン家の出なので、アルブレヒト・ブランデブグルスキーとか挨拶していて紛 らわしい)。

 王宮の庭で遊ぶ子供たち。


  この後再びマゾフシェ公やプロイセン公アルブレヒトとヤドヴィカの婚姻についてボナは国王を激しく説得しようとするが、却下。怒 るボナが部屋を出て廊下に 出ると、ヤドヴィカが走ってきてボナに泣きつくのだった(結婚を却下されたことを泣いているのか、マゾフシェ公の死去なのか、ア ルブレヒトが結婚してし まったことなのか、いづれなのかは不明)。

 夜、国王にまたもマゾフシェについて会話するボナ。おなかが少し出てきているので、少し時間が流れたようである。妊娠している らしい。この時は、マゾフシェ公が既に死去して、併合問題が会話されているのかも知れない。

  御前会議。トルコ、ハプスブルク、タタール(ウクライナのクリム汗国だと思われる)という、ポーランドの当面の敵への対応につい ての会議。これは、 1526年8月29日の、ポーランドと同じヤギェウォ家のハンガリー国王ラヨシュ2世が、オスマン軍にモハーチで大敗し、戦死し た戦いのその後の対応につ いて議論しているようである。全体的な論調としてハプスブルクにつくことを決めたようで、ボナは抵抗するが、貴族達に説得されて 終わる。議会後、気の食わ ないボナ。自室に戻ってモノを投げる程怒っている。ハンガリー王位がハプスブルクに奪われたことが気に食わないようだ。

 子供誕生。カタジーナのようだ(1526年生まれ)。

 僧侶と会話していてボナは、ハンガリー王ヤナ・ザポリエ(サポヤイ・ヤーノシュ)(1487-1540年)に娘を送り込む ことを考え付いたようだ。ハプスブルクは、対立王フェルディナンドを選出していたから、ハプスブルク嫌いなボナは、サポヤイの側 につくことにしたということなのだろうが、もともとジギスムント・アウグスト一世の前妻バルバラ・ザーポリャ(バーバラ・サポヤイ)はヤン・サポヤイの妹という関係でも ある。
 

第四話

  郊外の森のボナ。ボナはまた妊娠している。王、家臣総出の狩猟である。檻の中の熊をわざわざ森まで運んできて、わざわざ熊を放っての 猟。落馬の場面は無かった が、猟は途中で打ち切られて、ボナがテントの中で寝ている場面が出てくるから、落馬して中止となったのだろう。場面は宮殿に戻 る。十字架に祈る王。そして 誰かの死去。ないている女性。遺体の入った棺桶を先頭に国王も葬列に連なっている。鐘が鳴っている間、ボナはまだ寝台に横になっ ているが、誰、と侍女に聞 くボナ。どうやら死去したのはオルブラフト(1527年死去)のようだが、落馬事件は1533年で、この場面でのボナのお腹は大 きかったから、このあたり は異なった年代の話をまとめているのだろう。その後ボナのお腹が大きい場面がまだ登場し、やがてあるところからお腹が引っ込むの で、その間に(落馬の影響 で)流産したと思われる。

 ここではボナがシルヴァーニアと呼ばれている。ポーランド語の陛下かと思ったが、陛下はマジェスティで英語と 代わらない。そのうち、息子のシギスムントが成長すると、彼がシルヴァニアと呼ばれるようになる。調べがつきませんでしたが、こ の時期のポーランドの称号 だと思われます。後日調べようと思います。

 国王が病気。看病するボナ。結構甲斐甲斐しい。

 1530年の王子戴冠式。
 戴冠式後、王宮の門から行列を作って城外へ出てゆく一行を、貴族や侍女達が花道を作って見送る。
 これはその侍女か貴婦人の一人。衣装が面白いので載せてみました。肩から胸にかけての衣装が、昔の子供向けヒーロー番組に出て きた怪人のよう。

 門の上の部分のクラクフの王宮。

 王子は花道を作る一人の少女と目が会い、お互い目が離せなくなる。この部分、台詞もナレーションも無いので、この少女が誰なの かわからないのですが、なんとなく、バルバラ・ラジヴィウーヴナなのではないかと思えました。雰囲気がどことなく似てる感じがす るんですよね。

 戴冠式後日、王子がボナの部屋に公式な挨拶に赴く。この場面でも、王妃の横に控える侍女のビンクの衣装がステキ。下記は王子と 司祭。

 王子の装束もなかなか。今だったら教皇お付の少年という感じ。

 王子に先祖の墓を案内するボナ(誰の墓か調査中)。


  この回ではヘトマン・タルノフスキーやヴィオヴォダ・クラコフスキーなどが登場している。タルノフスキーは、1527年以降ポーラ ンドの終身最高軍司令官に 就いているので、この回からの登場となっているようである。ヴィオヴォダ・クラコフスキーは、クラクフ知事との意味なので、具体 的には誰のことか不明。

第五話

 森の中をいく馬車一行。ボナが領地を見て回っているようである。農民の差し出すなにかを食べたり、放牧中の農民に声をかけたり している。農民にもシルバーニーと呼ばれているボナ。

 どこかの領地の館の中庭で、行列をなす中小貴族の挨拶を受けるボナとそのお供の家臣。陳情の行列か徴税の行列か。薄いピンク地 のコートの人が目立つ。

 このピンクの装束も。

 大司教と面談中のボナ(エクセレンツィオと呼んでいたので大司教だと思われる)。

 農民が畑を作っている場面などが出てくる。こうしたちょっとしたカットだけでも、宮廷だけに留まり勝ちな本ドラマの奥行きを深 めてくれる効果があるように思えます。
  続いて王宮で国王とボナが食事しながらハプスブルクやアルブレヒト(第三話でプロシア公になった)とか出ている。その次は泣いて いる娘。どうやら前妻の娘 ヤドヴィカのようである。この前の場面で王と王妃は娘の嫁ぎ先を会話していたのかも知れない。ブランデンブルスキーとか出ていた から、ブランデンブルク選 帝侯のことで、これは無理やり嫁がされることになったヤドヴィカが嫌がって泣いているということなのだろう。

 馬を検分する王妃。続いてまた占い師を訪問してなにやら占ってもらっているのだった。

 自室に前妻の妻の娘を含め、子供達を集め、将来どこに嫁ぎたいか意見を聞くボナ。下記、紫がアンナ。黄色がゾフィア。緑がイザ ベル。最初の青はヤドヴィカだと思われる(前妻の次女アンナは1515-1520年と短命で、この時は既に鬼籍に入っていたから である)

 緑(イサベル)と紫(三女アンナ)の帽子がかなりよかったのだが、前面からのショットは顔がアップで、帽子は殆ど映らなかった のが残念。せっかく素敵な衣装なのだから、全体が映るように撮影して欲しかったところ。

  ボナは、ヤドヴィカに対して、(ブランデンブルグの)ヨアヒムとの結婚について確認し(ヤドヴィカはもう諦めている感じ)、イサ ベラにザポヤイ家への輿入 れについて意向を聞いてみたようだ。アンナは「王妃になれる?」とボナに聞く(アンナは1576年、53歳の頃、ポーランド女 王に即位することにな る)。末娘のカタジーナには、「フランス王妃なんかどう?」と聞くと、カタジーナは「イタリアがいいわ」と答える。笑って「イタ リアに王妃は無いのよ」と 答えるボナ。ハプスブルクの名前は出なかったから、まあボナとしては当然なのでしょうね。

 その次は舞踏会。ここでイサベラとヤン・サポヤイ、ヨアヒムとヤドヴィカを引き合わせて反応を見ることにしたらしい。シギスム ンドはここで愛人となる女性に出会う。相手の名をセニョーラ・ディアナ・ディコルドーナー、とボナの侍女が呼んでいる。

 これがヤドヴィカ。

 どうやら、相手の男性がヨアヒムの模様。ヤドヴィカもまんざらではなさそう。まあ、よかった。

  その後、国王と重臣で会議。ヴィスコという僧侶も参加している。彼はこの後しばしば登場する重臣。ヴィスコ・クラコフスキーと呼 ばれている時もあるので、 クラクフ知事なのかも(ヴィスコという名の人は何人か登場しているので、名前ではなく、称号かもしれません)。下はその会議の直 前に国王と会話するボナ。

 この会議には、王冠領大ヘトマンと呼ばれている、ヤン・タルノフスキ−と思われる人物が出ている。甲冑の感じが、こちらWiki掲載の肖像画とイメージが似ている。

 この会議は、、ヤン・タルノフスキ−に不満を持っている、リトアニアのヴォイヴィダ(宮宰)との間の調停のようである。名前も 家名も出てこないが、この人物は、第2話から登場しており、恐らくリトアニアのラジヴィウ家のイェジ・ラジヴィウなのではないかと思われる(ジグムント・アウグスト二世の二番 目の妻バルバラ・ラジヴィィラーヴナの父親)。


第六話

 甲冑姿のジギスムンドがボナに会いに来る。この時から子役から大人の役に。アウグストと愛人ディアナのベッドシーン。前回の舞 踏会の副産物。

 篝火の周りに集まった貴族達が気勢を上げている。国王出陣。天幕で貴族と会談。どうやら、一週間で直ぐに終わってしまったとい う鶏戦争らしい(1537年)。

 ヤン・ザポリア死去の知らせが宮廷に来る(1540年)。使者はハプスブルクとイザベルの情勢を述べる。衝撃を受けるボナ。

 宝石箱をあさり、ブローチを取り出すアウグスト。どうやらディアナへのプレゼントのよう。ディアナとアンナ(これも今回から子 役ではなくなった)が会話しているところにアウグストが入ってくる。ブローチをプレゼント。

  息子の素行のことで国王に抗議しているかのようなボナ。ディアナの服装は娼婦のようなので無理もないかも(本当に娼婦なのか も)。その後、アンナがまず ディアナと会話し、その後ボナが直接会話。息子の愛人に出て行ってもらうことを交渉したようである。それを知ったアウグストが夜 ボナのところに怒鳴り込ん でくるが、ハプスブルクから妃を迎えることが決まったと息子に告げるのだった。そして、国王が、ハプスブルクのハンガリー対立王 フェルディナンドの娘エリザベータ(1526-45 年)を、ボナとともに面会する日がやってくる。ボナは挨拶を受けるものの、その後はそっぽを向いてしまうのだった。そしてエリザ ベータの結婚式の運びとな る(この部分の画面ショットは、映画「バルバラ・ラ ジィウヴナのための墓碑」にて掲載)。フランスあたりから王妃を迎 えることも検討していた王 妃は、またも王の意思に阻まれたのだった。

 下記は、道化師スタンチク(右)と、小人の道化師

 王の執務室。奥に立っているのが国王。左手が部屋を出てゆくボナ。この部屋は一方の壁に玉座が置かれていて、宮廷場面と執務室 と、ダイニング、数名での会議など、多目的用途で使われ、よく登場していた。

 これはエリザベートとアウグストの結婚式での、国王とボナ。


第七から十二話はこちら

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