12月31日

 昨夜は薬を飲んで寝て ケアは万全だった善なのに、 熱が下がらない。
起き抜けで36.9度ある。 なんてこった。 日中にはさらに上がるだろう。 
寝る前は、朝起きて体調がよかつたなら、 などと考えていたが、 全然下がつていない。
 むしろのぼリ調子である。 
 ちっくしよう! 年末を風邪で寝て過ごすのは絶対嫌。 嫌嫌嫌。
しかもお湯もない。 あ一梅しい。 とにかくいけるところまでいっちまおう、 気分が悪くなったら引き返そう。 天気もまあまあだし。
ということで、 大事をとって10時過ぎ迄寝ていた。 
 装備は万全に、 とにかく薬は余分にもって行かねばならない。 
 しかし。
現金が300ドルしかない。 両替できなかったあやしい5ドル札を含めても。
 う一む。 まあカードがだめだったら、 現金使い切ったところで帰ってくればいい。
玄関を出たところで3度ばかり、 わすれものを取りに帰った。  3度目はバスで2駅先まで言ってから戻った。
ベンザエースがたりなそうであったので、 パブロンを取りに戻ったのである。

 ソフィア駅に着いたのは11頃であつたと思う。駅で調べるとソルン(テッサロニキのこと)行きは明日の7時45分とのこと。
年末をここで過ごすなんて嫌。 バスを調べると丁度13時30分発がある。
費用は18ドルとのこと。 もう一度駅へ行って切符の値段を聞くと 2万レヴァ。 13ドル程度。
まああんまり 変わらないしとにかく早く移動したい。  バスに決めて昼食をとりにゆく。
 バスのチケット売り場はノボテル(有名ホテルチェーン)中のトラベルオフィス。

 「年末年始はソルンですか。お友達かなにかが?」
 窓口はブルガリア人にしては愛想のいいね一ちやんである。
 チケットは実際は28700レヴア、 16ドルちよいだつた。
 ドラクマを両替にゆく。 100ドル分替えたかつたのだが、 約35ドル分、 1万ドラクマしかないとのことで取り敢えずそれだけ両替。
バスの乗客は10名程度。 黒人のアメリカ人以外は皆ブルガリア人、 らしかつた。
 これで採算とれるのであろうか。 どこで誰に見られるともわからないので、 ソフィアを離れる迄はなるべく窓に近付かない様にすることにする。

 天気は上々。 バスは順調に南下。 途中熱を計ったり、 ばれた場合のシチュエーションなどを考えながら過ごす。
夕方日がかなり傾いたところで、 サンダンスキを通過する。
 右手あれがメルニックかしら、 その背後遠くの峰の上は雪に覆われている。
段段薄暗くなってきたところで 国境到着。 
 オフィシャルパスポートの威力はすごい。 何も聞かれずに椅子に座ったままでコントロールを通過してしまった。
 ギリシャ側のデューティフリーで20分程停車。 トイレに言って出発前に買っておいたバナナを食べる。
 デューティーフリーは大して大きくもなく、 単なるカンターカフェに売店が合わさった程度のもの。
 しかしとにかく一応ギリシャとギリシャ人である。

 バスの側に立って遠く雪をかぶったブルガリアの山々を見ると、 山頂付近が丁度夕日に赤く染まって燃え上がる様なすばらしさ。
カメラに収めたかったが、 施設建物が邪魔でうまく撮れそうもないので あきらめる。 

 ギリシャの国道は当然ブルに比べればきれいである。
日は既に落ちて西は遠くの山々まで はるかに平原が続いている。
 はるか遠く低く連なる西の山々は 暗くシルエットとなって、空は稜線酷が紅く、 
次に黄金に最後に紺色となつて トルコ国旗の様によりそう新月後わずかの鋭い三日月と宵の明星へと広がっている。

 道中目にするギリシャの家々はブルのものとはやはり違う。
街道沿いの店や ホテル(のようなもの)にはネオンがともり、 住宅地の街頭は碁盤の様にきれいに並んでいる。
 途中セレスに寄り2人ほどおろしたあとテッサロニキへ向かう。
 セレスの中心までは入らなかったが、 町が近づくとクリスマスのイルミネーションが 街路樹、道路をまたいでアーケードの様に、
店店のショーウィンドウと ブルガリアではテレビのコマーシャルでした見られないいかにも街中クリスマスといった 暖かいイルミネーションが続く。
これだけでもう溜息がでてしまう。 トヨタ、 マツダ、 ホンダ、 ヒュンダイ、 ダエウー。
日本にあるのと同じ様なカーディーラーのオフィスが街道沿いに続く。

 20時頃だったか、 丘を下りだしたあたりで、 前方に広く広がる街の灯が見え出す。
テッサロニキだ。 
 市街はまるで夢の王国である。 
ブルガリアの様な貧相な田舎に住んでいると、 既に閉店しているにもかかわらず ライトアップされたショーウィンドウやネオン、
あふれる様な光が洩れているスーパー等 まるで夢の世界にさ迷い込んだ様なものである。
ブルガリアのスーパーなど 営業中にもかかわらず終電の去った駅の様に暗く侘びしい感じなのだから。

 黒人のアメリカンがいきなり小突いて手首を示すしぐさをしている。時間を聞いてきているのだ。
どーせこちらが英語わからないと思っているんだろうが、 そのとおりなので仕方ないのだが。
泊まるとこを決まっているのかと聞いたところ、 あてはあるそうな。
しかし直ぐに聞き取れなくなる。 アメリカンのこーゆーところが嫌いである。
こっちは外国人なんだから、 もっとわかりやすく話せ! なんでネイティヴを相手にしている様に話すんだ。
 着いたら一緒に来い、 とかなんとか言っていたが、 もう途中から聞くのはやめた。
 テッサロニキの駅前に着いて、 彼がバスの横腹についている荷物収納庫から荷物を出しているうちにさっさと駅にインフォメーションにゆく。

 インフォメーションのおばさん達はブルっぽかった。 つまり、客対応がひどかった。
そっちにあるツーリストオフィスに行け、 といわれて行くと駅の交番があるだけである。
 も一度戻って聞くと 「ツーリストポリス」 という。
ツイーリストポリス? ツーリストオフィスじゃなくて? と確かめると そうだという。
何ツーリストポリスって? と訳もわからず交番の扉を開き、 ガイドブックに載っていたギリシャ語で こんにちはとか言ってから、 ホテル探してるんですが、 というと紹介してくれた。
 あれれ? ここでは交番がホテルの紹介もやっているのかな? まぁいいや。
 5000ドラクマくらいがいいんだけど、 というと、 そんな安いのはないよ。 大体安くても10000からよ。 とのこと。
じゃあそれでいいから、 と紹介されたホテルへ行く。

 後でガイドブック読んでしったことだが、 この国ではツーリストポリスなる旅行者の面倒を見る交番が普通の交番の様に 全国何処でもあるそうである。
なんて合理的。 大体私がインフォメーションを利用したい時に インフォメーションが開いていた験しが無い。
 インフォメーションの営業時間中は 観光と移動に忙しく、 宿を探すのは日が暮れてから、 
インフォメーションが閉まってからなのである。
うーむ。 さすが観光立国。
 

 宿は直ぐわかった。 値段も7000ドラクマと予想より安い。 受け付けの兄ちゃんも慇懃で感じよい。
 2日泊まることにしたけど10000ドラクマしかない。 
ホテルでは両替はやっていないそうで、 24時間営業の自動現金支払機があるからそこへ行けばいい、 と教えてくれる。
ええっ? 24時間? 土日もやってるの? それ本当?
 と本当に驚いてしまった。 先進国なら当たりまえなのであろうが、 ブルガリアでは日中でさえ動いていない自動現金支払機が多い。
しかもブルの場合自動現金支払機が設置されだしたのは96年の秋口くらいからである。

 「今日は年末最後の日だからなんとも言えないけど、 普通は土日もやっているよ」 
 早速自動支払機のもとへ。

 問題はこのカード。 VISAと提携しているけど本当にギリシャでもつかえるのであろうか、更に
もう2年以上も利用していないので、 期限が切れていたしはしまいか、 ということにあった。
神様仏様。 お願い。 祈るような気持ちで、 ブーン、 ガチガチなどといっている機械のスクリーンを食い入る
様に見つめていると、 そのうちお金とレシートが出てきた。

 あーよかったぁ。ホテルへ戻って、 このカードもう3年も利用してなかたんだけどちゃんと使えたよ、
などとフロントの兄ちゃんに報告。 
 「へー、どれどれ、ちょっと見せてよ」 セゾンカードは珍しいのであろうか。

 このあと兄ちゃんにギリシャ後の旅行用会話例を作ってもらって食事に出る。
 この兄ちゃんは 親父さんが海軍で福岡へ何度も行っているそうで、 「日本海」 という地名を知っている珍しい人であった。
何でも英語仏語独語西語露語とギリシャ語の6カ国語が出きるそうで、 日本語はどのくらいでマスターできる?
などと質問してきた。 テッサロニキ大学には日本人は一人しかいない、などとも言っていた。

 紹介してもらった飯屋は既に閉店だったので、 適当に安そうな定食屋風の店にゆく。
米のピラフの様なものがあり、 まあまあ。 安く済んだ。
 宿へ戻るともう22時である。 
フロントでもらったテッサロニキの地図を眺めながら 明日の予定を考えていると 23時を過ぎてしまった。
 消灯してしばらくたって港の船が一斉に汽笛を鳴らし始めた。
 新しい年が始まった。
 

1月1日

 7時頃には目を覚まし、 8時近くに宿を出る。
今日も天気は上々。 
はじめはペラへ行こうと思い、 KTEL(クテル各地バス会社の全国組織)のオフィスを探すが、 
ペラ行きのKTELは閉まっていた(翌日ぺラ行きは別のKTELであったことが判明したが)為、 城壁巡りへと向かう。

 テッサロニキの街は丘の斜面に広がっており、 城壁は全体として長方形をなしていて、長いほうの辺が岸に並行している。
城壁沿いに丘を上ってゆく途中ビザンチン時代に建造され 今も現役の教会でミサを行っていたので入ってしばらく見物し、 蝋燭をあげて新年の祈願をする。

 丘の上からはじめて地中海を目にする。まぁ地中海と言っても、
 エーゲ海の 更に端のテッサロニキ湾なのだけど、 地中海は地中海である。 
穏やかな海面に反射する日の光に タンカーや貨物船が浮き上がって見える。
 うーん。
これだけでも脱藩してまできた甲斐があった、 とこの時思ったものである。

 日差しは暖かく、 汗をかくくらい。 
 眼下に広がる街波は 韓国のプサンや香港を思い出させる建てこみ具合。 
路地は迷路、 家は白やピンク、 黄、 青に塗られていて、 おとぎの国の迷路の様である(ちょっと言いすぎだけど)。

 城壁のもっとも高いところに 末期ビザンツ時代に作られた要塞跡がある。
ここは89年まで 監獄として利用されていたとのこと。
要塞の周囲をぐるりとまわりつつ ガレリウスの凱旋門へ。 修復中とのこと。 でもちょっと期待外れ。
 これに対してガレリウスの霊廟は規模も大きくなかなかであったが、今日は休館中で中には入れなかった。

 その後軽食を食べようと思ったものの なかなか開いている店が無く、
やっと菓子パン屋へ入ったのだが、 まだ言葉がでなくて昨夜フロントの兄ちゃんに書いてもらったメモを見せて 「何か食いたい」という文を示したところ、
乞食と間違えられた。 店の親父、金を持っているのかと 指をすりすりするジェスチュア。

 ローマ時代のアゴラを見てディミトリオス教会へ。 
ここにはクリプト(教会の地下に作られた礼拝堂のことをクリプトと呼ぶらしい)があったがやはり今日は休館。
この時教会のトイレで熱を計ったときに体温計を置き忘れてしまった(翌日取りに行ったらあった。
体温計はデジタル式のやつなのでブルガリアでは手に入らないのであるが、例え無くなっても、 ここなら手に入るのでそうは深刻にはならなかったけど)。

 教会の基礎は6世紀に遡るらしい。 その後何度も増築や地震などによる破壊を経て 現在の様な巨大なものになったのだそうな。

 繁華街をウィンドウショッピング。
今日は元旦でウインドウショッピングしかできないのだけれど。
しかしセンスのいい服が並んでいる。 しかも流行りなのか黒系統が多い。
どれも微妙なセンスを追求していてなかなかにおしゃれである。 もちろんブルガリアにはかけらも無いものだ(1998年正月当時の話)。 
 街を見ていると日産プリメーラのタクシーを多く見かけた。 
そういえば何かの記事でプリメーラがヨーロッパでタクシーとして採用されたという記事を読んだ気もする。
しかしギリシャのタクシーは良い車を利用している。他に良くみかけたのはベンツやアウディ、トヨタコロナ等。

 通貨単位に対する 物価の感覚は日本に近いみたい。1ドラクマ1円の感覚である。 
ホテル7000、外食屋で2000くらい、 服5000からスーツやコートが数万ドラクマと、1ドラクマ1円と考えるとわかりやすい。
ギリシャ人の平均所得は年10000ドル程度と 何かで読んだ気がする。
1000ドルちょいだとおおむね30万ドラクマ。
 日本人の平均給与が30万かどうか知らないが、 物価の感覚は割と近そうである。
しかし車の価格やCDの価格は見たところ、 若干高めであった。 やっぱり工業製品になると差がついちゃうのね。

 聖ソフィア寺院(休館)を見に行って、 ローマ時代のなんだったか忘れたけど、なんかの遺跡を見た後(競技場跡だったと思う)、考古学博物館に辿り着く。 
やはり休館。
 このあたりで、 明日もここを見学しようと考え出す。 この後波止場へでて1時間ほどぼーっとして休憩。
水平線近くに蜃気楼の様に貨物船が水鳥の向こうに浮かんで見える。 
ちょっと薄めだけど青い空と青い海。
暖かい日差しにまたも、来て良かったな、と思う。

この後ホワイトタワー(ヴェネツィア人の作った物見櫓)を見に行ったがやはり休館。 トイレに行った後、
波止場沿いの大通りを散歩。ひたすらしゃれたカフェが並んでいる。
 海岸沿いのアリストフェレス広場では小さな移動遊園地が展開していた。 ブルでもたまに見かける奴である。
 そばのベンチに座ってしばらく休憩。そろそろ陽が翳りはじめている。 
街を大体見てまわったので 明日のバスの予定表と KTELの場所を探しに行く。
今日は結構歩いたので足が少し痛み出している。

 17時頃駅前に戻り、 イゴウメニッツァ行きKTELを探すと明日の7時発だという。
うーむ、 と考えつつ丘の方を見上げると、 日没間際の太陽が丘の斜面の家並みを真っ赤に染めているではないか。
 写真を取りあえずとったものの、 駅前ではロケーションが悪い。 波止場からなら、 しかもそこからなら日没も見れるかも!
今日はこんなに良い天気 なのだから何でもっと早く気づかなかったのか。
急いで波止場沿いの大通りに戻るが、 既に陽は沈んだ後であった。
 疲れてきたので今日はこのへんで切り上げることにして、 昨日の定食屋で夕飯、 結構早めに宿に戻った筈である。
 下着を洗濯し、明日もう1箔しようか、してもまた博物館休館だったらどうしよう、 などと考えつつ眠りについた。
 
 

 1月2日

 適当に起きると7時20分。 外はまだ暗い。 
なんとなくバスは7時45分だった様な記憶があり、急いで支度をして7時45分事にはバス停に(この時ペラ行きのバス停を間違えていたことが判明した)。
 丁度あった奴に乗ると30分で遺跡についた。
 運転手はわきまえたもの、遺跡前のバス停で降りる様指示してくれた。

 
 まだ8時15分。 遺跡の客は私だけ。
日の出直後の弱い光線に遺跡の柱の影が長く伸びる中、例によって殆ど土台しか残っていない遺跡をみて歩く。
 1時間ほど見たあと博物館の方へ。
  印象に残っているのは遺跡から運んできたモザイク。 
 6色くらいの地味な色使いだが、 描かれている内容は鮮やかなもの。
10時過ぎまで見学したあと、バス停に戻ってバスを待つこと5分、 10時15分頃バスが来る。  結構順調である。

テッサロニカへ着いてからは 朝食にデューネル食べつつディミトリオス教会へ。
トイレへ行くと昨日置き忘れた体温計があってラッキー、 その後クリプトを見てからガレリウス帝霊廟へ。

 ここは霊廟として建設されながら当初の目的で利用されなかった為、 内部は完全になにも無かった。
がらんとした空間があるばかり。 しかしその規模はなかなかのもの。
 天井迄40メートルはあるのではないだろうか。  修復中なので、 壁面すべてに足場が組まれ 殆ど何も見えない状態であったが、
時折隙間から見える壁面は 金をメインの鮮やかに色取り取りのビザンツ絵画。 
 教会として利用されてきたというから、 その絶頂期だった頃はさぞ華麗であったろうと推察される。

 買い食いしながらお昼を済ませて考古学博物館へ。 
展示は4つのパートに分かれ、ローマ時代の胸像コーナー、 マケドニア州の先史時代からの出土物、
古典期の兜、剣、つぼ等のコーナー、 フィリップ2世の墓と同時期の貴族の墓からの出土品のコーナー、 その他墓石等のコーナー、 扉の模型などがあるホールに分かれていた。

 一つ思ったことは、ここは 「マケドニア州」 であり、 展示の内容やガイドブックも 「マケドニア」 というものをアピールするものであった点である。
ギリシャが旧ユーゴのマケドニア共和国と国名論争で争ってまで主張した 「マケドニア」が なんとなく実感された。

 ホワイトタワーへ行く。
 今日は開いていた。 
 塔の上に上るだけなら入場料は必要ないらしかったが、 塔の各階のフロアで開かれているビザンツイコン展の方はチケットが必要らしく、
よく事態が飲み込めないまま塔に登るのに 必要だと思っておもわず券を買ってしまった。
 登りは結構着かれた。 風邪の症状が悪化してきていたのかも知れないが、 塔の上のベンチでしばらく休憩。
 塔の見晴らし台からテッサロニキの街並みを見て思ったのだが、 全てのビルが最高で9階から10階に統一されていることである。
 厳格な標高制限がある様で、 ひょっとしたら、 このホワイトタワーが基準なのかな? と考えてしまった、 つまり、 街は丘の斜面なので、
どこからでもホワイトワターが見えることになるのである。

 テッサロニキ観光終了。  歩いてKTEL迄行く気力も体力も無いので、タクシーを利用することにする。

 駅前に着いてとにかく西へ行くKTELを探し、 取りあえず71K程西のベリア迄移動することにする。
 そこまで行けば、そこのKTELでその先のバスが見つけられるであろうと考えて。
 15時30分の出発時間までまだ間があったので、 ギリシャ全土のツーリストマップを手にいれたりして過ごす。

 ベリアには16時半に到着。
 ベリヤはコンパクトでそこそこの規模の町である。 
 繁華街の規模は10年くらい前の厚木くらいであろうか。
 きれいなショーウィンドウが並び全体として落ち着いた雰囲気である。 
 ちょっと気に入りそうであったので、 ここに泊まることにしてもいいかな、 とちょっと思ったりもした。

 しかしまだ時間的に早い。 更に西に移動したい。 
 ベリアはテッサリニキのある平原の西の端に位置し、少し山を登ったところにあるので平原を見渡せる位置にある。
 ここから西は本格的な山岳地帯となっている様である。
 テッサロニキから到着したKTEKLには西行きのバスがないことが判明。
 KTELの親父にコザニ行きのKTELの住所を書いてもらい、 
それをもってタクシーに乗る(本来なら歩くのであるが、若干急いでいたこともあったし、親父がタクシー使えというし、遠いと困るので大人しくタクシーで移動)。
 5分ほどでコザニ行きKTELに。 16時15分の出発とのこと。
 KTELの売店でお菓子を食べつつ待つこと10余分、 17時くらいにバス到着、 18時15分にコザニに到着したのだが、
この間に日没、コザニに到着時は既に真っ暗であった。

 このコザニも雰囲気のいい街で、 時計台のある広場を中心に迷路の様な路地が八方へ伸びているのだが、
ゴミゴミした感じがせず、 すっきり整然とした感じである。 
なんとなく構造的にシビウに似ている。
 宿の看板はバスに乗っているときも、 中心を見渡しても目につかない。
 一軒広場の一角にホテルの看板を見つけたので眺めていると、 中で番頭台の様なものに座っているばあさんがウェイトレスに指図して客引きに来た。
こんな田舎の町で5000はなぁ、とも思ったが、 高いわけでもないので、 部屋を見て良ければ決めるよ、といって部屋を見せてもらうことにする。
 トイレ、バスは共同であったが、問題なさそうなのでここにする。

 といっても他にホテルはなさそうであったので選択の余地はなかったのだが。

 ホテルを出てまず、散歩しながらこの街の中心部の地図を作ることにする。
迷路みたいに入り組んでいるので、明日朝バスのステーションをなかなか見つけられず遅刻したりしたら馬鹿馬鹿しい。
 そうして歩き回っていると、カフェバーの類が異様に多いのが目に付く。
 日本のスナックみたいな雰囲気で路地に固まっていたりする。
 地図は問題なくできて、バス停の場所もわかった。 しかしレストランが見つからない。 探していると
博物館の様なものにぶつかった。 営業時間は20時迄。まだ30分あるのでちょっと覗いてゆくことに。

 この博物館は面白かった。 地下1階から5階までが順路になっていて、 
最初は地下に導かれて鉱物のコーナーを見学、 次に化石のコーナー、 昆虫のコーナー、 剥製のコーナーと移動して上の階に向かう。
 民族衣装、 生活道具のコーナー、 歴史のコーナー(1877年(?)、1912年1913年のコーナー)、
伝統的な町の店コーナー等と盛りだくさんで結構楽しめるのである。
 もう一つ印象に残っているのはバシレイオス1世の像がいきなり展示されていたことである。

 博物館を出てなおも飲食店を探す。やっとがらんとして誰もいないが、一応やってそうな店に入る。
ウェイターが珍しそうに、「ここは観光客が来るような町じゃないけど、どうして来たの」と質問してきた。
 食事はまぁまぁ。21時頃宿に戻る。