潮州 広済橋

 

 広済橋博物館から撮影した広済橋

紹介

 広済橋博物館(韓江の西側にある)

 潮州市を分断して流れる韓江にかかる橋。俗称を湘子橋といい、趙州橋(河北省)、洛陽橋(福建省泉州近郊)、盧溝橋と並ん で“中国四大古橋”と言われる。開閉式浮き橋としては中国第一の橋。

 南宋乾道七年(1171年)に当初船を連結しただけの橋として建設された。最 初は康済橋といった。その後両岸から橋桁を増築し、紹元年(1228年),21 となった。明代宣德十年(1435年),潮州知府王源が大改修を行い、広済橋という名称と なった。

 1724年の修復で鋳鉄製の牛2頭を設置。ひとつは西橋第八墩、ひとつは東橋第十二墩に設置。 “鎮橋御水”を意図した。橋の全長は520m。24の橋桁(墩)のうち、21が残っている。

広済橋博物館内の模型。宋代。

 

広済橋博物館の両脇に清代の潮州城の城壁が伸びている(下写真と、右下写真)

 

鉄牛

 

広済橋博物館に記載されていた略歴。完全なメモとはいいがたく、一部橋桁の数などが矛盾した箇所があるが、概略は合っ ている。かなり段階的に拡張されてきたことが良くわかる。

年号

 橋の状況

建設内容・施工者など

1171

右岸に韓を見る楼閣建設。船を連結した浮橋建 設。

 13個目にあたる東墩1個建設

1174

船20増設計106船

 2,3個目の西墩建設

1179

石洲を2増設計3

 4個目の西墩建設

1180

石洲を1増計4

 

1189

石洲を4増計8

 5-8個目の西墩建設

1194

東岸橋建設

 1つ目の東墩建設

1196

石洲を2増計10

 2,3個目の東墩建設

1198

石洲を4増計14

 4-7個目の東墩建設

1206

石洲を5増計19.東橋13洲に。

 8-12個目の東墩建設

1208

火災。修築

 

1228

石洲を2建設。計21

 9、10個目の西墩建設

1259

西橋10洲、東橋13洲

 

1326

木橋を石橋に。

 半官 買住による。

1435

墩23、亭屋126間、船24を浮橋に変更。 126の楼閣(西50、東76)を建築。数は船18隻に。

 潮州知府王源の大 改修

1513

墩1追加。24に。

知府譚倫理による追加。

1530

 船を6艘減らす。現行の18船 24洲となる

知府丘其仁による修理

1724

鉄牛2設置

知府張自謙修復。

1841

大雨。東9墩洪水にあう(海揚県志)

太守劉浔、分司呉均建、知府、塩商、富戸に修 理させる。

1842

東側の鉄牛1つ失う。

夏と秋(6月と7月)に大雨、大水

 20世紀

現在西8、東13個、合計21個

 2つの西墩が埋没。

なお、この表は、博物館展示の表とこちらのホームペー ジを参考にして作成した。

  

広済橋博物館は、簡単な橋の種類の説明があり、それによると、橋は近代以前の中国の橋は5種類に分か れるとのこと。いわく、曲橋、拱橋、梁橋(平橋)、浮橋、索橋。

 平橋は、四大平橋と言われるも のがあり、北京盧溝橋、河北趙川橋、泉州洛陽橋、四川瀘橋が該当するとのこと。

 

 浮橋は江西高安県高安浮橋、江 西貴渓県上清浮橋が有名とのこと。

 

 下記写真のように、浮橋は見た 目以上に相当頑丈で安定していた。この両側が石橋部分で、船の部分が開閉して、川を運行する船を通 す。 

 

石橋部分。な んてことない普通の橋。

 潮州のその他の史跡はこちら

 

 

 旅行日記 BACK