3月20日   

 

 5時 25分起床。5時58分家を出て6時7分停留所着。

なかなかこない。 6時25分乗車。7時50分空港着。8時チェックイン。曇り。気温20度。

 9時 50分福州着。11時、阿羅漢ホテル民航集票所着。もうケチケチしない。タクシーに乗る。北站着。17元。

泉州までバス78 元。チケットを買う時、後ろに並んでいた女性に「泉」の発音を聞く。

 11時50分発 車予定のバスが遅れ、電光掲示板の表示と実際が一致しなかったものの、発車遅れのアナウンスをキャッチすることができた。

で12時20分発 の座席3列の大型バスに乗車。恐らく、遅れたのではなく、乗客が少ないため、11時50分発は取りやめ、12時20分のバスに統合したのであ ろう。

それでも乗客は 11名だった。14時40分泉州着。

 地図を買い、 ルートを考える。まず聚宝街を目指す。

昨晩眠る前10分 程、泉州遺跡情報についてインターネット上の情報など事前調査をしておいたので、掲載されていた遺物を目指す(参考にしたホームページはこ ここ こ)。 

 

 地図で見ると泉 州新車站から歩いても1㎞程度。聚宝街を探してさ迷っている最中、来遠駅跡碑文に出くわす。

いつもながら、探 して見つからなさそうなものを見つけてしまうなぁ、本能かしら。と思う。明代の外交使節接待所跡のこと。

泉州の史跡についてはこちらの訪問記を参照

 

 次い で蕃坊跡を探す。なかなか見つからない。子供老人センターなる地域の公民館のような場所があり、そこに付近の史跡地図が掲載されていた。

これによると、蕃 坊遺跡はなさそう。恐らく、この聚宝街自体が、蕃坊の跡地に作られているということなのだろう。

次いで李贄故居を 探すが泉州城南門である徳済門に出てしまう。李贅故居は、徳済門の西南隅の聚宝街を10m程南下した右手にあった。

 

 

の直ぐ北側に天后 宮がある。創建は1196(南宋・慶元二)年で、媽祖が祭られており、1407年大改修が行わ れ、1540年に正殿五間を修築し、寝殿七間、凉亭四座、両厢三十間を再建。1684 年にも大改修と拡張を行う。道光年間、1990年にも大規模改修を行った。

 

 

 

 16時頃天后宮 を出て、泉州第一の目的地である、市舶司遺跡を探す。探している途中で、南薫門という水門の跡地の碑文と、こ ちらのサイトにある

2006年11月 5日市舶司訪問記事に記載のある井戸かも知れない井戸にも出くわす。

 市舶司跡がなか なか見つからず。竹街と水門巷を少しさまよう羽目に陥ったが、市舶司遺跡が水路沿いにある写真が、

講談社版中国の歴 史シリーズの明清を扱った「海と帝国」に掲載されていた記憶があり、竹街を水路にぶつかるところまで北上したところ、

無事市舶司跡を見 つけることができた。しかし、市舶司跡は本当に跡があるだけで、遺跡は残っておらず、跡地の上は祠廟となっていた。

高校の教科書にも 出てくる有名な場所なので、それなりにロマンを感じていたが、残っているのは碑文だけ。少しがっかり。

 

 その後文廟を見 て清浄寺へ。唐代創建イスラム寺院。しかし着いたのは17時25分。もう管理人は閉門の準備に入っていて入れなかったので、外から覗く。

清浄寺近くの百源 路沿いにある喫茶園(Cha Garden)という御茶屋で同僚への土産のお茶菓子と休憩用のお茶(8元)と白玉ケーキ(緑茶白玉巻10元)を買って池のベンチで休憩。

白玉の入っている 緑茶、白玉ケーキ、なかなかいける。このあたりはフランス料理屋や寿司屋など、高級店が多く、きっとこのあたりは泉州観光の中心地なのだろ う。

 

休憩後、宿を探 す。九一街沿いの泉水源賓館。見た目悪いが、内装はロッジ風にしてあり、悪くない。フロントで何箇所か、明日の観光先を聞く。

 

 

3月21日

 

 バスで朝天宮 へ。7時30分着。

途中、北城門を、 車掌さんから教えてもらう。朝天宮を見たあと、北街を引き返し、北門(泉山門)へ。

県城隍廟は第六中 学の敷地の中にあり、見学できず(交渉すれば入れてもらえたかも知れないが、生徒が登校していたので難しかったかも)。

場所だけ確認し て、開元寺まで歩く。7時50分、開元寺着。入場料10元。

 

 インドの装飾を 見て、東塔、西塔を見る。樹齢1200年、800年の樹などはじめてみたかも。

8時半に一度出て 食事をしながらガイドブックを見ると、なんと宋代沈没船が展示されている博物館は開元寺境内の中。

8時50分頃まで 待ってもう一度入れてもらう。

9時少し過ぎに着 くと博物館は開いていた。入場料は無く記帳だけ。

写真撮影はNGと のことだったが、フラッシュ焚かないと言い張って無理やりOKさせる(泉州湾古船陳列館はこちら)。

 

40番バスで東湖 公園下車。公園を見学しながら海外交通史博物館へ。前庭に帆船が停泊している。

10時15分着。 同じ敷地内にあるイスラム文化博物館へ。清涼な感覚。入り口シンプルでキレイ。

 

 

11時半に博物館 を出て、11時半頃泉州新車站へ。12時発のチケット購入し、車站の食堂で食事。

私の前の客が、領 収書を要求していて、会計の女性ともめていたので待たされたが、自分の番になってその理由がわかった。なんと27元。高っ。

たかだか定食程度 でこれだけ高額だと、現地の標準的な人であれば、節税や経費清算の為に領収書を要求するかも。

先刻の客が領収書 を要求した理由もこれだったのかも、と思う。そんなこんなで時間が無くなってしまい、あわてて掻きこむ。

 

12時発、38元 14時20分頃廈門松柏汽車站着。2階建ての長距離バスとうものに初めて乗る(が乗客は殆ど2階にしかいなかったので効率的なのかどうかは不 明だったが。。。)。

バス社内で、抗日 戦争ものの「葉間」という映画を見る。「跤王」同様、地元の強い拳法家が、最期に日本軍の武術家と公式試合をして勝利し、

その後、卑怯な日 本軍により殺される、というストーリ。

 この作品に登場 している日本人は本物の日本人なのか、かなり日本語が上手かった。

日本側も決して弱 いわけではなく、主人公以外の中国人の武術家に対しては結構強いのだが、主人公はもっと強く、

アッサリ敗北して しまうところが日本人としてはチト不満だが、日本人が、それほど過大に悪辣・野蛮・非道に描かれているわけではないので、普通に見れてしま う。

非道な部分にして も、日本人が描く特攻警察などの非道ぶりとあまり代わらない感じ。

 日本人として は、中国人に、日本人の非道ぶりを描かれると、誇張されているように感じたり、

反日感情を感じ 取ったりしてしまうのだろうけど、映像的、客観的には、日本人が描く戦前の理不尽さを中国人が見て、

そのまま作ってい るのではないか、とさえ思える感じ。

 

 

 さて、廈門はあ まりみたいところがなく、とりあえず廈門という街を見れればいい、という程度だったので、取り合えず南普陀寺へ。

松柏汽車站から長 途汽車站間往復バスで長途汽車站に行き、そこから15番バスで終点の廈大へ。

満員でアプダウン の激しい中心繁華街を抜けるルートだったのが、

終点から3つほど 手前の理科大学で入学試験だか模擬試験だかをやっているようで、大量の学生がそこで下車したため漸く座れる。

14時40分南普 陀寺着。

 

 南普陀寺は大根 雑。

他に観光地はない のかという程多くの人でにぎわっていた。

裏山は巨石がとこ ろどころ露出し、巨石の間は洞窟のような箇所が多い地形。

頂上まで登れるよ うで、写真では、頂上付近の見晴らし岩の上の人がいる様子が写っている。

 

(左上の岩の上に 人が数人写っている)

 

南普陀寺入り口 は、30名くらい人が並んでいたが、2,3分で順番が来た。3元。

 

 15時15分か ら1時間くらい南普陀寺を見学し、16時10分頃、胡里山砲台へ。

もともと胡里山砲 台へ行くつもりは無く、フェリーでコロンス島に行き、

そこの廈門博物館 を見学するつもりで、フェリー乗り場へ行く20番バスへ乗ったのだけど、間違えて反対方向のバスに乗ってしまい、

それがそのまま胡 里山砲台を通過することがわかったので、胡里山砲台に 行くことにする。

が、間違えてよ かった。実はあまり興味もなかった為か、清朝の砲台を見たことが無かったので、

砲台という名前で はあるものの、砲台とは実際には要塞であることを知ることができた。

 

入り口近くの駐車 場では大型の観光バスが何台も停まっており、ここが主要な観光地であることがわかる。

チケット八閩門戸 天南天南鎖鈅(锁钥)という施設の副券25元とセットで50元。

 

(清朝時代の訓練 の再現アトラクション)

 

 コロンス島へ。 フェリー乗り場16時半頃フェリー乗り場着。

乗り場を間違えて 20分程時間を無駄にしてしまったのが致命的で、博物館が閉まる17時に間に合わなくなってしまったが、16時55分に乗車し、17時10分 コロンス島着。

詳細な地図がなさ そうなったので、標識の地図を参考に一応博物館を目指すが、気づいたらどんどん道が無くなり、山の上に出てしまう。

それでも博物館の 場所を確認しておきたかったので、ぶらぶら下りながら、島の住居を見ながらフェリー乗り場まで戻る。

17時35分フェ リー乗り場着。17時45分フェリー乗車。50分輪渡フェリー乗り場着。

18時10分長途 汽車站着。18時20分漳州行き発。19元。

19時半漳州着。 地図購入5.5元。夕食炭焼屋。35.5元(廈門訪問記録はこちら)。

 

 宿を探しながら 北站まで2㎞ほど歩くが、なんと北站はもう取り壊されていてなかった。

なんとこの通りは もう市バスも終わっている感じ。結局長途汽車站まで歩いて戻る。

段々足が痛くなっ て来る。長途汽車站前の招待所70元。

1㎞程の近くにあ る府衛跡を見学したかったが体力が尽きた。23時半寝る。

 

 

3月22日

 

 体中が痛くてな かなか起きれない。6時55分起床。7時10分出発。

南靖に行くには西 站からとのことで、バスもまだ走っていないようだったので、やってきたバイタクで西站まで運んでもらう。6元。

7時20分着。チ ケット売り場で地図に掲載されている囲屋の写真を指してここに行きたい、と言うと、下祥までのチケットをくれる。25元。

7時27分発車。 8時15分南靖着。8時50分舟場通過。舟場を通過したあたりから、村々の中に土楼が見え始める。

このあたりでは、 普通にある建築様式のようである。9時19分書祥通過、9時21分、集票所前で停車。

ここで降ろしても らう。南靖、永定周辺の土楼巡りをするには書祥を拠点にすれば良いように思える。

 

 

AコースとBコー スとがあり、Aコースは65元。行きたい田螺坑土楼がAコースにあるので、Aにする。

バイタク一日 120元とのこと。取りあえず田螺坑土楼まで30元。

後で考えると20 か15元まで値切れたかも知れないが、この時点では、田螺坑土楼までの距離がわからなかったので言い値で決めてしまう。

しかしまぁ、かな りの急坂で峠を一つ越えるとあって、30元でも高くはないかも。

10時8分頃、田 螺坑土楼を見下ろす峠の見晴台着。

10時15分田螺 坑土楼着。完全に観光地化していた。みやげ物屋で地図と、久々に小物を買ってしまう。

土楼内部にもみや げ物屋があふれかえっている。土楼の2階以上を宿に改造しているものもあった。

10時40分、村 の店で朝食にする。主人が、最近も日本人客が来たとか行っていた(田螺坑土楼・裕 昌楼訪問記はこちら)

 

 

11時10分、最 古の土楼、1308年創建の裕昌楼へ。田螺坑土楼から裕昌楼まで同じバイタクで15元。

12時15分塔下 村着。15元。地図を購入して気づいたのは、南靖の土楼群と、永定の土楼群は、実は同じ地域にあることがわかったのだった。

南靖と永定は、 150㎞程も離れており、ガイドブックを見ている限りでは、

土楼群は、それぞ れ南靖と永定から50㎞程離れた僻地にあり、それぞれに行くには南靖から入り、南靖へ戻り、

更に龍岩から永定 に回って永定から土楼にものに入るものと思ってしまっていたのだが、

事実は、両者は同 じ地域にあったのだった。

 というわけで、 南靖の塔下村から永定の土楼群のひとつである高頭の承启楼までは7㎞程。

バイタク料金は最 初50元とふっかけられたが、30元まで値切る。

ホントは20でも 十分だと思うが、他にバイタクが見当たらなかったので仕方がない。

13時10分承启 楼着。結局集票所からここまで90元もかかってしまったことになるが、まぁ、いいか(塔下村・承启楼訪問記録はこちら

 

 

 高頭の承启楼は 土楼の王と言われるだけあって、多数の欧米人観光客が来ていて、

高頭まで1.5㎞ 程度。高頭は、永定行きや厦門行きバスが多数通過している模様で、

ここも観光の拠点 として利用できそうな規模の町のようである。

私が乗った高頭- 永定間のバスは日に10本程度往復している模様。

どうやら、南靖の 土楼群と異なり、永定土楼群は街道沿いにあり、観光はし易そうである。

南靖の土楼群は、 幹線道路は、田螺坑手前の集票所からそのまま高頭に向かうルートとなっており、田螺坑土楼、裕昌楼、塔下村は幹線道路から外れている。

この為厦門-永定 間のバスも通っており、厦門から承启楼への観光は、田螺坑土楼などに行くよりも容易そうである。

厦門には経済開発 特区があり、多数の欧米人が居住している為、承启楼でも多数欧米人を見かけることになっているのであろう。

 

 

 13時43分、 バイタクの運転手が、「永定行きバスは無い」と、丁度言っているところに、永定行きバスが来る。13元。

15時15分頃永 定着。半頃の龍岩行きに乗り、16時50分に龍岩着。丁度16時50分の漳州行きが出たところで、17時50分の漳州行きになる。

漳州発汕頭行きが 19時30発だったので、16時50分に乗れれば間に合ったのだが、漳州に到着したのは19時35分。43元。

結局昨日と同じく 漳州に宿泊することになってしまった。同じ宿にする。

 

 本日は、食事 後、府衛跡を見学に中山公園に行く。が、たいした史跡はなかった。

閉まっているとは 思ったが一応繁華街近くにあるので漳州文廟にも行ってみる。予想通り閉まっていた。文昌閣をまわって戻る。

途中波斯島という カフェバー風の店を見つける。入ってみたかったが、疲れていたのでやめた。

 

    

(漳州の史跡:城 壁と、知事府跡。南宋・紹煕元(1190)年には朱子学の祖・朱熹が知府として赴任 している時、大区亭を立てた。

1923年軍閥の張毅が旧跡上に龍庄亭を立てた)

 

 

3月23日

 

6時40分起床。 7時出発。7時40分潮州行き。65元。

福建省内では高速 に乗らなかったが、広東に入ってから高速に入る。料金所ではETCがついていた。

11時15分潮州 着。14時50分の宝安行きチケットを購入。

 

12時頃開元寺 着。12時50分広済橋で休憩。広済橋、60元(老人半額30元)、許駙馬府と頤園の入場券もついてくる。

広済橋の手前に頤 園があり、広済橋のチケットに込みでついていたので

ついでに見学す る。「漢 字樹」の日文版も展示されていた。史前文学 頤園は学者である饒宗頤先生を記念したもの。

反対側へ出ても、 おそらく再入場できるように思える(潮州史跡訪問記はこちら)

 

 13時10分 13時45分卓府。14時20分北馬路と中山路の交差点に卓府があり、

交差点から中山路 を西に50mのところにある街路を北に入って、100m程先のつきあたりを左折、その20m先に許駙馬府がある。

非常にわかりにく い。許駙馬府を見学後、潮州学宮へ。

潮州学宮は海陽県 学宮として利用され、大成門、大成殿などの明代建築の威風を残している。

清代には儒学宮と も呼ばれた。現在は潮州市博物館が置かれ、古代 から現代までの文物が展示されている(が、あまり大したものがなかったので、撮影しなかった)。

 

時間が迫ってきて いたので、バスターミナルまで走る。14時45分ターミナル到着。昼飯の時間が取れなかった。売店でパンを買って済ます。

後は高速で快適。 4時間程でシンセンに着く。途中、開平で見たような碉楼を幾つかみかける。広東省の西部だけではなく、東部にもあることがわかる

 

 

BACK