03/03/2002
 
パルティア・ササン朝の 版 図・地図
 
 

 ササン朝の版図は西はユーフラテス河、北西はコーカサス山脈、北東はだいたい現在のイランとアフガニスタンの北の国境ラインに一致し、一 部南トル クメニスタン(メルブなど)が入る。東はだいたいインダス川に沿っている。南はアラビア半島の北岸一体となっている。アラビア半島の北岸一隊 が領土となっ たのは、アルダシールのバフレイン征服とルシャープール2世の再征服遠征によるもののよう。北西部の国境線が恐らく西部ローマ国境よりも一番 変動が激し かった地方だと思われる。クシャン朝を服属させ、そのクシャン朝が勢力があるうちはアム河以北までササン朝の勢力圏が延びていたと思われる が、4世紀にフ ン(キオン)、5世紀にエフタルが侵攻してきてからは、ほぼメルブ−バクトラのラインが国境線になったかと思われる。バフラーム5世がエフタ ルに遠征し一 次ブハラまで達した時期もあったが、その後ペーローズがターレカーンを割譲してアム以南へのアフガニスタンへエフタルが進出した。以後アノー シールワーン がエフタルを滅ぼすまでアフガニスタンとパキスタンはエフタル支配下へと落ちて行くことになる。

 もっともよくわからないのが南東部。よくインドのラジャスターン地方も領土に入っている地図があるが、これはいつ誰が征服したものなのだ ろうか?

こちらのサイト(Iranology) に、ホスロー2世時代の版図が掲載されています。

地名一覧
 

 以下はササン朝の地域名と行政区分です。ただし時代によって州であったり、封建的な独立王 国であっ たり、独立王国であっても固有の王をいだく場合もあれば、代官によって統治されるケース、ササン王家の一員が代官(通常はシャーと名乗っ た)として任命さ れたケースもあったようで一様には言えないようです。一応「州」と記載されている部分は ササン朝初期の州区分で、シャープール1世時代 にはその殆どがパ ルティア以来の封建国家であったようです(シャープール1世時 代の王国については こちら)。 後5世紀以降中央集権化がすすむと州は単なる地方名になってゆくものもあったようです。 なお、各種アケメネス朝・パルティア・サーサーン朝歴史地図の地名比較 一覧表も作成してみました。
 
名称 区分 現名 所在地・主な都市など
アルメニア 王国 アルメニア アルタクサタ
アディアバネ 現イランアゼルバイジャン地方 シーズ、
アスレースターン 現メソポタミア地域 クティフォン、ブンズルグ・シャープール
アトゥルバータカーン 現アゼルバイジャン地方 アディアバネとの使い分けについては不明
アバルシャヒル 現イラン ホラサーン州
アルバーイスターン 現トルコとシリアのクルディスターン地方 ニシビス・ダラ
アラビア


アブヒラ


アラン 現タゲスタン共和国 デルベンド
バラーサガーン 現アゼルバイジャン共和国(カスピ沿岸)
パレシャフバール(パリシュフワールガル) 現ギーラーン地方(カスピ南岸)
バシュカブール


エリマイス 王国 両河河口付近 4世紀まで存続。
カルマニア

キルマーンと同一か?
カープ
コーカサス地方
キルマーン 現イランケルマーン地方
チャーチの山々


カシュ


ガラミーグ 現イラク北東部クルディスターン地方 ノダルダシーラガーン州南
クシャンシャヒル 王国

クージスターン(フーゼスターン) 現フーゼスターン地方 イランの南西部平原。スーサアル・カーク、アル・スース
グルガーン 現ゴルガーン
ハレーヴ(ヘラート) 現アフガニスタンのヘラト
ヒンド インダス川西岸
イベリア 現グルジア
マクラーン 現マクラーン地方 イラン・パキスタンのインド洋海岸付近
マケドニア(マケロニア)
イベリアの南
マルブ(マルギアーナ) 現トゥルクメニスタンのメルヴ
マー(メディア)

マゾーン(マズーン)
現オマーン ウマーンとの使い分け不明
メーシャーン(メセネ) 現クウェート付近
ノダルダシーラガーン 現イラク北東部クルディスターン地方 ガラミーグ州北
パルダーン


パルタヴァ(パルタウ) 現イランイスファハーン周辺
パールス(ペルシス) 現イランファールス地方 ビシャプール
パールダーン マクラーン地方の北の内陸部
ラハム 王国 現イラク ナジャフ砂漠のあたり アラビア人の王朝。ササン朝に服属。
ラジカ
現トルコ トラブゾンあたり。 シガーンとの関係不明
サージスターン(シージスターン) 現シースターン アフガニスタン南西部、イラン南東部、パキスタン南西部にまたがる地域
紀元前2世紀にここに移住してきたサカ族が語源(サカスターン)。
スグド
ソグド地方
スシアナ
現イランイスファハーン周辺
スバンドゥルターン


シガーン 現トルコ トラブゾンあたり。 ラジカとの関係不明
ツルギスターン(ツグラーン、ツーラーン) パールダーンとヒンドの間
ウマーン(オマーン)
現オマーン マゾーン(マズーン)との使い分け不明
ウィローザーン 現アルメニア北部




 以下はよく出てくる都市名・地名・部族名です。
 
都市名 現都市名 所在地など。
アパメア

アブドゥル・カイス 現バーレーン西 海岸線から内陸(リヤド)地方。シャープール2世討伐
アミダ 現トルコディヤルバクル
アス・アンバール バグダード真西 ユーフラテス川沿い。シャープール2世建設
アル・カーク(カルカ)
現スーサ付近?シャープール2世建設。スース近郊。現在遺跡の残るエ イワン・ イ・ケルカのことか。
アル・スース
現スーサ付近?シャープール2世建設。カーク近郊
アンティオキア 現トルコ アンタクヤ
ビシャプール
シャープール1世王宮。ローマ人を移住させ、建設させた。だからローマ風のモザイクが残っている。
バクワリバリ 現クウェート南 カイスの北。
グンデ・シャープール
学術都市。スーサ東20km。もともとヴェーウ・アンティオク・シャープール(シャープールが建設したアンティオキアよ り良い町)と いう名称だった。ローマ人を移住させた。
ブ−ズングール・サーブール 現バグダード北50Km付近 シャープール2世建設
ギルギット 現パキスタンのギルギットか? カワードが廃位時代幽閉されていた牢獄のあったところ。
クテシフォン 現イラク バグダード南60Km
ダラ
ニシビス近郊
ドュ・カール
634年 アラブ軍との戦い
カーディシーヤ
636年 アラブ軍と決戦。現イラク南部 アンナジャフ近郊
カルラエ 現現トルコ エデッサ南
カリニクム

ハルラン 恐らく現トルコ エデッサ南のハラン
ヒジャル 現クウェートの西岸あたり
ヒーラ
現イラク南部 アンナジャフとアルビラの間。ラハム王国首都。
ニシビス
ダラ近郊。現トルコのイラク国境の町 ヌサイビン。
ニシャプール ニシャプール 現イラン 北東部 マシャド近郊。シャープール2世建設
ネハーバンド
642年 アラブ軍と最後の決戦
オーフルマズダカーン
224年 パルティア滅亡
シンガラ

スーサ
350年に叛乱。破壊され、イーラーン・クラー・シャープールとして再建された。
セレウキア
AD36-43叛乱。破壊され、アルダシールによってヴェーウ・アルダシールとして再建。
テオドシオポリス 現トルコ エルズルム
タグリブ 現イラク ナジャフ砂漠のあたり。
タミーム族 現クウェート南西部 シャープール2世討伐
ターレカーン 現アフガニスタン−ウズベキスタン国境付近 ペーローズが王位継承時エフタルの援助を受ける条件に割譲した。
ティルミッド バルフ(マザリシャリフ)南西200Km ペーローズが王位継承時エフタルの援助を受ける条件に割譲した。
ヴォロゲソケルタ セレウキア近郊 ヴォロゲセス1世が建設(AD45頃)