イラン世界の遺跡
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パルティア・ササン朝の遺跡
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スーサ | 都市遺構 | 規模は大きいが、あまり期待してゆくとちょっとがっかりするかも。 |
メルブ | 都市遺構 | ここも規模は大きいが遺跡自体は殆ど溶けて泥の丘となっている。但しササン朝キ ズカラ遺跡 はなかなか。 |
タフト・イ・スレイ マーン | 宗教都市遺構 | 石造の円形都城といくつかの建造物(但しササン時代やモンゴル時代)が残る。 |
パルティアの遺跡
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ニサ | 首都遺構 | 典型的パルティア時代の円形プラン都市。王城と住居地区跡が残る。 |
ササン朝の遺跡
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ビシャプール | 王宮跡・レリーフ・彫像 | シャープール1世の王宮、神殿、砦、レリーフやシャープール像などが残る。 |
ターク・イ・ブスタ ン | レリーフ | ササン朝中期・末期の王のレリーフが残る。 |
サッケ・ デ・イス カンダール | 城壁跡 | ホスロー1世時代の建造とされる遊牧民対策の長城跡。土台の、しかも僅かな残骸のみが残る。 |
メルブのキズカラ遺跡 | 住居跡 | ササン朝末期のメルブの権力者の住居跡。日干しレンガの遺跡にしてはわりと建造物の特徴を残している。 |
その他の遺跡とその写真・資料が掲載されているURL・本の紹介
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サーサーン朝時代の住居遺跡や、パルティア時代の刻文など、非常にレア遺跡の写真 が豊富にあります。 |
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クー
イカージャ (パルティア・ササン) |
神殿、砦 | イラン シースタン州ザヘダン近郊ザボール | 文化遺産8「古代イラン世界」(1999年10月) 写真集NHKシルクロード4 |
アルダシール城 | 城塞 | イラン ケルマン | 大城塞です。 ((バハラム様の「空の旅」サイ トに 写真・訪問記あり(2016年編)) |
フィルザバード(ササン朝)とドクタル城 | 王城都市遺構 | イラン ファールス州 フィルザバード(Firuzabad) 衛 星写真はこちら。GoogleEarthからででも持ってきたのでしょうか。 |
写真集「From
Pasargadae To Darab」に写真と、復元図が掲載されています。 1.アルダシールの初期の居城であるド クタル城(Qalah-e Dokhtar)の写真。また山城という感じです。復 元図はこちらです。平 面プランはこちら。 2.アルダシールが覇権を握ったあたりで、フィルザバードの都市を建設し、そこに建設した宮 殿の写真。 ササン朝初期の王都ですね。縮尺がわかりずらいのですが、恐らく高さ20M〜30Mの間くらいはあるのではないかと思われま す。宮殿の平面プランと復 元図がこ ちらに掲載されています。上記「From Pasargadae To Darab」に掲載されている復元図が、上記サイトに掲載されています。円城都市 として平面プランがよくわかる航空 写真はこ ちらにあります。 3.近郊の岩壁に書かれた彩 色壁画。 4.フィルザーバードの中 央の塔の復元想像図 5.近郊には、コーナル・スィヤーフというゾロアスター寺院と隊商宿跡がある(バハラム様の「空の旅」サイ トに写真・訪問記あり(2013年編)) |
サルヴィスターン(ササン朝) | 王宮 | イラン ファールス州 ザルヴィスターン | こ
ちらに写真があります。こちらの写真はライトアップしていて、
結構観光 地、という感じ。建築技法から、バフラーム5世時代に比定されていますが、まだ議論があるようです。
平面図と復 元図のリンク先はまだみつけられて いません。「From
Pasargadae To Darab」には掲載されています。 ((バハラム様の「空の旅」サイ トに 写真・訪問記あり(2013年編)) |
ダーラーブギルド |
都市 |
ファールス州東部 |
フィルザーバードとほぼ同じサイズの円状都市の大遺跡。近隣には、タンゲ・チャクチャク、マ スジェデ・サンギー等ゾロアスター教遺跡がある(バハラム様の「空の旅」サイ トに 写真・訪問記あり(2013年編)) |
ガスレ・シーリーン(ササン朝) | 砦跡 | イラン ケルマンシャーハン州(?) | 東洋文庫「ホスローとシーリーン」に写真あり。古代イラン情報総合サイトCAIS に写真があります。最近の写真が無い為、イラン・イラク戦争で破壊されたという噂は本当なのかも。 |
カンガヴァール(パルティア) | 神殿跡、橋 | イラン ハマダーン州(?) | ・カンガヴァールにはササン朝のテラス跡もあるらしい。
・「若さに挑戦」 の西イラン->サナンタージか らハマダンヘ、を参照。また、「ウルミエからタカブへ」にはフィルザバードのササン朝の橋の写真がある(写真1、写真2、写真3 2010/5 「若さに挑戦」サイトが無 くなっていて、ネット上に写真が存在しなくなったので、本サイトに掲載します。連絡が取れない為、著者に断りなく掲載し ておりますが、連絡が取れ次第掲載依頼をする予定)に。「テヘランからアンザリへ」にもササン朝の橋の写真がある。更に 「ホラマバードからテヘランへ」にもササン朝の橋が登場する。 ・イスファハンにもササン朝の橋、シャフレスターンがある。 ・フィルザバードには、ミフラン家の 橋が残るとのこと。 |
城塞 |
イラン ロレスターン州 |
綺麗すぎなので、改修されていると推測されるもののサーサーン 朝史跡としてはもっとも完全体で残っている。 |
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ババ・ターヘルの墓(5C) | 墓 | イラン ハマダーン | グノーシス主義者 |
ナクシェ・イ・ロスタム(ササン朝) | レリーフ | イラン ファールス州 | 講談社「世界の大遺跡 メソポタミア・ペルシャ」はじめ多数 |
カエサル・ダム(ササン朝) | 橋 | イラン シューシュタルのカルーン川 | ・河出書房新社「図説ペルシャ」 ・LIVIUSの古 代遺 跡 アーカイブサイトに遺構写真あり。 ・塩野七生「迷走する帝国」に崩壊前の写真あり。 ・こちら「乱 鳥の書きなぐり」様のブログに写真多数あり。 |
シャドルバン(ササン朝) | 橋 | イラン カルーン川 | 河出書房新社「図説ペルシャ」 |
エイワン・イ・ケルカ | 都市遺構 | イラン スーサから25キロケルカ川上流 | 新潮古代の美術「古代イラン2」 |
- | レリーフ | イラン西部諸州に20数カ所 | 古代オリエント博物館「オリエンテ5号」(1992年)に一覧表と地図あり |
ヘカトンピュロス | ダームハーンの西32kmのQusha近郊のShahiru‐iQumisの遺跡 | LIVIUSの古
代遺跡 アーカイブサイトに遺構写真あり |
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ザンジャーンの塩人 |
ミイラ/衣服/装身具 |
イランのザ ンジャーン州 | 坑道で作業中に落盤にあって圧死 した人物が、岩塩により塩づけのミイラ となって出土した。衣服、ブーツ、ナイフなどの器具が発掘 された。詳細は「オリエンテ 20号 (2000年1月)」を参照。 |
ギーラーンの墓 |
墓 |
イラン ギーラーン州 |
ギーラーン州では、パルティア時
代の墓が多数発掘されている。イランの
ガラス器は、多数出土していて、日本の正倉院の宝物にもあり、有名だが、実は出土地域が特定されているものはない。しかし、
このギーラーンの墓などが有力 とされている。中近東文化センターが発掘に関わっており、同センターで資料を発売している。 |
チャハールターグ |
ゾロアスター宗教施設 |
イラン あちこちにある。 |
1.「イランを知るための65
章」 P186にに写真が掲載されている。かな
り大きい40メートルありそうな巨大な建築物に見えるのは錯覚で、実際は12M程度と思われます。これを含めた、イラン国内
の17箇所のゾロアスター寺院 遺跡写真が、こ
ちらのサイトに掲載されています。 2.パルティア時代の同様に神殿が、マシャド東南45kmのラバテ・セフィードにあるとのこと(出典 鹿島出版会「ペルシ ア建築」P56)。 3.ケルマンには、ササン朝時代以後にササン朝建築様式で建設されたと考えられている、ゴ ンバデ・ジャバリーエという遺跡があり、こ ちらに写真があります。 ((バハラム様の「空の旅」サイ トに 写真・訪問記あり(2016年編)) 4.タンゲ・チャク・チャク ファールス州の深奥にある拝火教神殿。足利惇氏『ペルシア帝国』に写真が掲載されていて、いつか訪問したいと思っている憧れ の場所。 バハラム氏が訪問されています。 ((バハラム様の「空の旅」サイ トに 写真・訪問記あり(2013年編)) |
ラシュカーン要塞 |
パルティア時代の要塞 |
テヘラン近郊のレイにある |
((バハ ラム様の「空の旅」サイ トに 写真・訪問記あり(2013年編)) |
ササン朝宮殿 |
宮殿 |
ダームガーンにある。 |
・出典 鹿島出版会「ペルシア建
築」 P71
・ダムガーンの写真は、こちら、 「南アジアへの招待」サイト様のイラン編にあります。最下段の「ダムガーン マスジデ・タリハーネ」をご覧 ください。 |
ペルシア港湾都市バンダレ・ターヘリーの遺跡 |
砦跡 |
バンダレ・ターヘリー |
・和光大学総合総合文化研究所の報告書雑誌「東 西南北」の別冊04の調査報告「アラビア海の文化誌 アラビア海東域の港湾都市をめぐる文化・民族複合の実態調査・ 編」に(調 査報告書本文はこちら)、夏季箇所の遺跡の写真が掲載されている。 ・ターヘリーの古址(砦化した宮殿)(写 真は図19) ・バンダレ・ターヘリー(港湾都市スィーラーフともいうらし い)のシェール・ハーン砦(写 真は図24) |
ルスタク砦(カラアートゥ・ル・キスラ) |
砦跡 |
アラブ首長国連邦 or オマーン |
出典「アラブ首長国連邦(UAE)を知るための60章 p32 |
オマーンのウバール遺跡 |
遺物 |
オマーンのウバール |
・ウバール人の遺跡Shisur(シスル)から発掘された水差 しには、パルティア人の影響が見られるとのこと。パルティア人とウバール人の間には商業取引があったと推測されているよ うである。 ・ウ バール遺跡の概要はこちら(パルティア人の影響についての記載もある)。 ・遺跡 の場所についてはこちらのサイトに情報があります。 ・遺 跡の復元図などのサイトはこちら。 |
Wikiによると、イラクとの国境地帯のイー ラーム州には、下記のパルティア・サーサーン朝遺跡があるとのこと。 |
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古代イラン総合サイトの「CAIS The Circle of Ancient Iranian Studies」には、上記以外の多数の遺跡の写真がある。パ ルティアはこちら。サー サーン朝はこちら。 特に各地に多数残るサー サーン朝の橋の写真は貴重。 |