メルブ


 紹介
サマルカンド、バクトラと並ぶ古代西トルキスタンの
中心都市として繁栄を誇った大都城遺跡だが今は
見る影も無い。そうは言ってもバクトラよりは遺構は
残っているのかも。

 遺跡は大きく3都城から構成されている。
 まず西側のセルジューク時代の南北に1−2km
程の楕円の都城とこの中心のスルタンサンジャルの
墓廟。次いでセルジューク都城の東にある2km四方の
正方形の都城でセレウコス時代に築かれササーン朝
時代にかけて繁栄したギャウル・カラ。
 そのギャウル・カラの北辺の城壁をまたぐ形で500m
四方の円形都城が残る。これがエルク・カラで
アケメネス朝時代に遡る町跡。しかし殆ど泥の丘と
なった城壁しか残っていない。

・上の写真は西からセルジューク時代の城壁と
スルタンサンジャル廟を望んだところ。中心に
見える塔の様なものは城壁の塔ではなく、
スルタン・サンジャル廟。他にも同じくセルジューク時代のムハンマド・イブン・サイイド廟などがある。
 城壁の南には16世紀の墓地が残る。

・右の写真はマリーの博物館にあるメルブの
パノラマ。遺跡と都城の配置がわかる。

・上の写真はエルク・カラを南側1km程の地点から
望んだもの。

・下の写真3枚はいづれもエルク・カラの南門付近の
城壁上から南方面・エルク・カラの内側・東方面を撮影
したもの。エルク・カラは内城があり、今は丘となって
しまっている。エルク・カラはカルデラみたいな地形と
なってしまっている。

ギャウル・カラ南隅には最も西にある仏教寺院の跡が
残る。

・右下隅の写真はエルク・カラの城壁の断面。

 

旅行情報
 右の天井の写真はスルタン・サンジャルの墓廟の
天井。ツバメが巣を作っていて糞の爆撃が頻繁に
落ちてきていた。ドームは40m近くあるとのこと。
結構巨大だが、何故か概観の写真が無い。
 
 

*他にササン朝末期の有力者の住居跡であるキズカラ
とよばれる遺構がある。

遺跡の2、3キロ南東に町というか村というか、一応
タクシーの集まっている場所があるが付近の大きい
町はマリー。マリーまで25kmくらい。
遺跡はマリーの東北25kmくらい。
マリーはアシュカバード東300km。車で6時間。
トルクメニスタン東部でもっとも大きい町である。
 アシュカバードはかなり西欧風に化粧直しされていた
がマリーは昔ながらの「旧共産圏」的街並み。
 遺跡の撮影は別途カメラ代が必要(5$)
 (トゥルクメニスタンの地図はこちらを参照してください
マリーは結構大きな都会。マリーまでたどり着いたら
あとはタクシーしかないのではないだろうか。
遺跡は広大過ぎて貸し自転車でもあればいいが、まだ
そこまで観光地化はしていない様子だった。

イランへ抜けるにはマリーから車で3時間、
国境の町サラックスへ行く。サラックスに宿は無いので
マリーが拠点。しかしビザがしっかりしていないと
国境で追い返されることも(詳しくは旅行日記を参照)。
(1998年)

*それにしてもサマルカンドといいバクトラといい、スーサといいここメルブといい、1000年以上首都並の大都市として繁栄してきた町が13世紀頃を境に衰亡しているのは、
やっぱりモンゴルのせいだろうか。
*オリエント博物館発行の機関紙ORIENTE20号(2000年1月発行)にメルブとニサに関する記事がある。
*「黄金の番人」でも図面入りの説明がなされている。
旅行日記