2007/Nov/27 created
2018/Apr/22 last updated


ルンケー城(ルイロウ遺跡)

 

紹介
平面図
 ルンケー城は漢代から南朝時代の交趾郡の郡都。龍編(ル イロー /Luy Lau)と呼ばれた(ロンビエンは中国語発音で、龍編=ルイローかどうかはまだ論争中とのこと)。現在のハノイ市内の地名ロ ンビエンと関係があるのかも)。周囲は1800mとのこと。ゾウ河の水流を利用して作られた堀がめぐっている。堀を流れる水 面は、現在の路面から3,4m程下にあ り、堀の内側にある土手は、路面から、4,5m程の高さにある。水面から土手の上までは、7,8mというところ。城壁の幅は 20mとのこと。

 今回確認した部分は、あくまで推定とはいえ、図に示すように、北西角の、直角に曲がる水路と、その内側の土手がある。これ らは、明らかに人為的な産物と 思え、この部分 がルンケー城の堀と城壁だと考えて、ほぼ間違いないと思われる。
 右図中、緑色部分の土手(城壁跡)は、北部土手から南部土手まで、半キロ程度、南土手からバス通りまで3〜400m程度だ と思われる。すると、城郭の周 囲は1800mとのことなので、1辺は約450m程度となる。図の土手の北部から南部までが500m程度なので、ほぼ図の土 手が、ルンケー城の規模に合致 する。すると、東の城壁は、図中の水田・墓地地帯の東側辺りとなると言えそうである。
 とことで、歴史博物館の冊子には、バクニン県にある漢代 の墓の写真が掲載されていた。ひょっとしたら、ルンケー遺跡のことかも知れない。
 
カメラ紛失につき、写真なし

以下、下はGoogle Mapで見たルンケ-遺跡の位置。右手の赤い「A」の吹き出し部分がザウ寺。画像左の縮尺調製棒の下「-」部の左上に、「ハノイ」の文字が見えている。概 ね左手の川(紅河)の左岸がハノイ市街。ハノイ市街からザウ寺までおよそ20km。Google Map座標は 21.037703,106.042507。

 左下画像は、ルンケー遺跡の土手と壕の跡を赤点で囲ったもの。西辺およそ300m。ルン ケー遺跡については2011年出版「ベ トナムの考古・古代学」(西村昌也著)の第八章「ルンケー城の研究―初期歴史時代前・中期の中心城郭“龍 編”の実態」に図面、発掘瓦の図・写真、近隣のルンケー城の存在時代と同時代と思われる煉瓦墓、文献資料からのルンケー の説明が掲載されている。また同書掲載の図面や図版の一部が、こちらの関西大学学術リポジ トリベ トナム形成史における“南”からの視点 考古学・古代学からみた中部ベトナム(チャンパ)と北部南域(タインホア・ ゲアン地方)の役割」という題名で掲載されています。

2018年4月追記:
ルイロウ遺跡の発掘調査に関する学術書が出版されました。
交趾郡治・ル イロウ遺跡II-2014-15年度-発掘調査からみた紅河デルタの古代都市像』(フジデンシ出版; 初版 (2017/3/30)
東アジア古 代都市のネットワークを探る  これから出る本──日・越・中の考古学最前線──』 (2018/02/26/汲古叢書
また、『ベ トナム交趾郡治・ルイロウ遺跡を掘る』というpdfが公開されています。これは、発掘レポートではありませ んが、遺跡の各種写真が掲載されています。

 旅 行情報、近隣 の史跡・遺跡
  歴史博物館近くのバス乗り場から、204番のバスで50分程度。ハノイ北東20km程の場所にある。2007年11月現在 10000ドン(約80 円)。204番は、ロンビエン橋を通らないので、ロンビエン橋から行く場合は、17番はじめ多数出ている、東方面に向かうバ スに乗り、ロンビエン橋の南 500mのところに掛かっている、チュオング・ドゥオング橋を渡って1つ目のバス停で下車。ここで204番に乗り換える。
 20分程、国道と平行に走る鉄道を右手(南)に身ながら東へ走り、途中で北へ曲がって、舗装してない道路を北東へ20分。 ザウ寺というバス停で下車。
 バス停の直ぐ南がザウ寺。バス停横に入り口がある。遺跡に行くには、東へ向かい、住宅街を北に走る街路を行き、突き当たり で左に折れるか、バス通りを 戻って、橋を渡って右折。5,600m程歩くと、土手が見えてくる。
 近くには、前3世紀の最初の王国の都、コーロア城の史 跡や、ハノ イ市内には、7世紀から19世紀の都の 史跡がある。

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