コーロア城(古螺城)

紹介
平面図
   コーロア城は、中国勢力に支配される前の、ベトナム地元勢力の国、甌貉(オウラク(甌雒とも書く)王国の首都。 甌貉国は、前258年、西甌(タ イオウ)王国を滅ぼ し、前208年に、秦から独立した、南越国に滅ぼされたとのこと。 (
甌貉国についてはこちら)
 右図のように、3重の土塁ち水堀に囲まれていて、一番外側の土塁は8kmとのこ と。
 一番内側の土塁は、外周1km程ではないかと思われる。内城の敷地内に幾つかの寺が残っていて、ディン寺内が、遺跡博物館 を兼ねている。ディン寺の内部 には、農具や武器や、銅鼓などの青銅器遺物、陶器などが展示されている。コーロア城郭全体の復元模型も展示されていて、周囲 の全体状況が分かりやすい。こ れによると、水堀と土塀で、幾重にも囲まれた、かなり原始的な集落だったようだ。
 939年、呉権が中国から独立した時も、このあたりに首府が置かれたようである。

 ディン寺の西100m程の地点に、アンズオン・ヴオン神社というものがあり、門を入ってすぐ左手の土手が、一番内側の城 壁。ただの土手にしか見えない が、この西側200m程のところに、2つ目の土塁があり、更にその西150m程に、3重目の土塁がある。ただの土手とはい え、3つの土手を眺めてみると、 人工的な塁壁であることがなんとなく理解できる。

この神社に、コーロア城の平面図面が掲示されていた。こ ちらの サイトに、その写真が掲載されている。また、右図は、ハノイの歴史博物館の案内冊子の写真にあったコー ロア城図 面から起こしたもので、手書きなの で正確さに欠けるが、イメージは把握できるかと思う。内城部分の写真がこ ちらのサイトに掲示されている。

 ディン寺など、このあたりの寺の入場料は、お布施ということだが、建物に入る度に要求され、1回2元から5元程度 (5000~10000ドン)なので、 決して高いわけではないのだが、全部払うと少し割高な感じになる。
 
(カメラ紛失につき、写真なし)

Google Mapで見たコーロア城付近。何重もの環濠が非常に見明確にわかります(座標は 21.114088,105.874643)

旅行記  旅行情報、近隣の史跡・遺跡
BACK


ハノイ北北東10km付近。空港へ向かう17バスの途中にあります。ハノイ市街のランドマークの一つである、ロ ンビエン橋から 17バスで40分程。 2007年11月当時で5000ドン(約40円程)。コーロアというバス停で下車(上画像のOL3というルートがバス ルート)。ここで46番に乗り換えて、2つ目の、終点で下車。ベトナムで出ているSKETCH という日本人向け地元誌で紹介されているガイドに、ハノイからの行き方が詳しく掲載されています。17番の コーロアバス停は、ハノイ市から行く と、右手に、青いローマ字の、3m角の看板が「Co Loa」と出ているので、ロンビエンで乗車後、30分程したら、右側の窓を見ていれば、まず間違いなく分かるでしょう。 17番で下車後、周囲に水田を見な がら、北東へ1km程歩くと、コーロア村に着きます。
コーロアの土塁の写真及び遺物や寺の写真などが、「さくらの日記」という、ベトナムに滞在されていた方のサイトに、 コーロア城の城壁写真及び、コー ロア城訪問記として掲 載されていますので、そちらをご利用ください。
 近くには、漢から南朝時代の交趾郡の郡都、龍編城の遺跡や、 ハノイ市内には、7世紀から19世 紀の都の史跡が ある。

 なお、古代文郎国に関する 歴史書の抜粋訳はこちら蜀王子の移 住伝説についてはこちら

1