オホリド
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ロシア軍とビザンツ軍進入による混乱の中、971年ブルガリア王ボリス2世の退位とビザンツ帝国によるブルガリア占領
宣言を受けて、スレデッツ(ソフィア)知事ニコラの4人の息子達がブルガリア西方で再興ブルガリアを名乗って抵抗を続けた。
彼らが首府としたのが、現マケドニア西南、アルバニアとギリシャにも面する湖に面したオホリドだった。
オホリドは湖の東北に位置し、丘が半島となって張り出している部分の王城が建てられた。この丘はローマ時代からバシリカや ヴィラなどが立てられていた(オホリド湖)。 写真下は冬の旧市街とサムイル城。右下は城門を内側から撮影したもの。
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写真左上が東からみた半島の概観である。
画像は縮小しているためわかりずらいが、ちょうど半島の中央部分に横に長く城壁が見ている。これがサムイルの城である。写真 右上では丘の麓から南東に面した城壁を撮影したもの。丘の上に城壁が見える。 また上記写真の半島の突端部には聖イヴァン教会が(
丘にはローマ時代の遺跡や中世の教会跡などの遺跡が幾つか 残されている。更にビザンツ領時代の教会、セルビア王国時代の教会や壁 画が残る。 |
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オホリドは遺跡よりもセかい第2位といわれる透明度を持つ湖とリゾート地として有名で典型的な観光地でバルカン半島に
しては英語も良く通じる。
首都スコピエからバスで4時間。旅行案内所がプライベートルームを世話してくれ観光には非常に便利。 オホリドは遺跡よりもセかい第2位といわれる透明度を持つ湖とリゾート地として有名で典型的な観光地でバルカン半島に
しては英語も良く通じる。
スコピエからベオグラード、ニシュ、ブルガリアのソフィア行きバスが1日に1本程度の割合で出ている。
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