〜ジョチ・ウルスの終わりの始まりを描く〜ロシア歴史映画「オルド」(キプチャク汗国時 代)

  2012年ロシア製作。オルドとは、モンゴル帝国などの君主の宿営地のこと。

 この作品は日本では出ないと思っていました。ところが、2/2日に日本語版dvdが発売されました(邦題「オルド 黄金の国の魔術師」)。 私はロシア語音声英語字幕版を視聴したので、日本語版とは別の編集となっている可能性はありますが、編集の相違を感じさせる 程、私が視聴したロシア語版 と、日本語版のパッケージから受ける印象は異なります。日本語版dvdのパッケージではファンタジーと銘打っていますが、私 の受けた印象では、ファンタ ジーの要素はまったくありませんでした。パッケージでは剣を持つ男が中央に立っていますが、これが誰のことなのかすらわかり ません。剣も魔法も登場しませ ん。これは、ロシアにおけるモンゴル帝国の「終わりの始まり」を描いた歴史映画です。

 さて、本作を見終えて、この題名は絶妙かつ非常に端的に本作を表した題名だと思いました。そこで、私なりの解釈ですが、こ の題名の意味するところを少し考えてみたいと思います。

 題名の「オルダ」が直接的に意味するのは、モンゴル帝国を構成した分国のひとつ、南ロシアのキプチャク汗国 (1243-1502年)のロシア側の名称「金帳汗国(Golden Horde)」の「金帳」のことになるかと思います。キプチャク汗国の都サライ(遺跡情報はこちら) にあった汗(ハーン)の宮殿が金で装飾された帳幕(オルダ)だったことから、ロシア側では、後世金帳汗国)と呼んだとのこと です(現在確認されている限り ではロシア史上で始めて「金帳汗国」の用語が登場しているのは、1564年頃に書かれたとされる「ガザン征服史」とのこと。 14世紀頃の同時代では、ロシ ア側は、「タタール」と呼んでいたと思われる。この国のモンゴル側の名称はジョチ・ウルス、日本の歴史学用語ではキプチャク 汗国、英語の史学用語では Golden Horde)。このような理由から、本作の題名を「ジョチ・ウルス」「キプチャク汗国」としてみても意味的には同じことになると思うのですが、 Goldenを外して、単に「オルダ」という題名を用いているところに、現在のロシア人にとって独特な印象を与える単語なの ではないかと思えました。

  更に言えば、内容からすると、「モンゴル帝国の滅亡」という題名も相応しい感じがします。この題名ではベタ過ぎで、そもそも 日本人にとっては、モンゴル帝 国の概念は幅広く、「モンゴル帝国の滅亡」という言葉から特定の地域・年代を想定するのは難しいのでは無いかと思うのです が、ロシア人にとっての「モンゴ ル帝国の滅亡」の意味するところは、「金帳汗国の滅亡」に他ならないのではないかと思うわけです。そうはいうものの、本作で 実際にキプチャク汗国の滅亡が 描かれているわけではありません。しかし、”終わりの始まり”を描いているという意味で、「モンゴル帝国の滅亡」という題名 も相応しいように思えるわけで す。例えば、2世紀末コンモドゥス帝時代のローマを描いた「ローマ帝国の滅亡」(1964年)という映画があります。2世紀 末のローマはまだまだ繁栄して いる時期ですが、”終わりの始まり”という意味では、「ローマ帝国の滅亡」という題名は、象徴的に作品の本質を表現している 題名だと思うのです。本作の本 質にも同様なものを感じた次第です。

 例えば、徳川家斉時代(1787-1837年)に起こった大奥の一事件、しかしそれは、徳川幕府の 終わりの始まりの予兆であるような事件を描いた作品があるとして、その題名に「将軍」とか「幕府」という題を持ってきた場合 に日本人に与える印象と似たよ うなものが、ロシア人視聴者にとっての「オルダ」という題名にはあるのではないか、そんな気がしました。

 さて、この作品は、今はもう遺 構は土台ぐらいしか残っていない、キプチャク汗国の都サライの街や宮殿、生活の風景を再現している点でも大変興味深いのです が、異様な映像も登場します。 もっとも特徴的なのは、ラスト、ジャニー・ベクを暗殺した息子ベルディ・ベクとその配下の兵士達。ベルディ・ベク本人(上中 央)及び配下の兵士全員の、宵 闇に浮かぶ白塗り化粧は、ピエロ達の様に見え、実に異様です。
 

  これがエキゾチズムなのか、リアリズムなのか、キプチャク汗国の知識の無い私には判断し難いのですが、私の場合は、案外こん な感じだったのかも、と思えた り、小道具や風俗の多くに、史実はどうだったのだろうか、とかなりいちいち調査意欲を喚起されるなど、とにかく深いインパク トを受けた作品でした。上に紹 介したような、異様な映像に興味を持った人向けの作品と言えるかも知れません。杉山正明氏の書籍などでモンゴル帝国に興味を 持った人にはあまりお奨めでは ないかも知れません。モンゴル好きの方からすると、モンゴルに否定的、ロシアに肯定的な描き方という印象となるのかも知れま せんが、私はあまりそのような 印象は受けませんでした。

 視聴する前は、モスクワ首都大主教で死後聖人に列せられたアレクシスが主人公だと思い込んでいたので、ギアを 入れ替えるのが大変でした。アレクシスは、キプチャク汗国のサライに赴き母后タイ・ドゥラの治療をし、モスクワ侵攻を防いだ とされる人物なので、もう少し 史劇的・英雄的・キリスト教肯定的要素が盛り込まれた作品ではないかとの先入観があったのですが、全然違いました。結果的に 母后の治療に成功したことにな り、モスクワ侵攻は行われない結果となるのですが、そこにアレクシスの医者としての技能や神秘的な力の介在はまったく見られ ず、放っといても母后は治癒 し、たまたま最後に診たのがアレクシスだった。というだけな感じさえする展開となっています。このように書くと、正統的歴史 解釈(本作は概ね史実とされて いる話です)を皮肉った作品という印象が出てきてしまいそうですが、私はそうは思いませんでした。ロシアにとってのモンゴル 支配の終わりの始まりを描いた 比較的リアルな歴史映画というのが、私の印象です。

 いずれにせよ、サライの町そのものを再現したセットは見ごたえがありました(映画のセットのサライの都の映像はこちら写真はこちらこちらに多数あります。恐らく現在は観光地となっているのだと思われます)。

 以下の本映画の紹介です。


 今回は、登場人物、あらすじ、サライ等のセットの三つにわけで紹介したいと思います。


(1)登場人物


 キプチャク汗国(ジョチ・ウルス)の君主達。右からティーニー・ベク (在1341―1342)。ジャニー・ベクの兄。その右がベルディ・ベク(在1357-59年)。ジャニー・ベクの子。子供時代。剃り あがった髪型に注目。

 中央がジャーニー・ベク(在1342-57年)。相当なマザコンな感じ。ジャニー・ ベクは”諸王の王、天と地、今日と過去と未来を統べる者、偉大なるハーン・ジャニー”と呼ばれている。その左がティニーと ジャニーの母で権力者タイ・ドゥラ(?-1361年)。左端が成人したベルディ・ベク。タイ・ドゥ ラとベルディ・ベクの白塗りの顔は、一族の中でも独特の化粧です。宮廷の女性達、芸人などが同様の白塗り化粧をしています。


 上左がモスクワと全ロシアの首都大主教アレクシス(1296年頃-1378年) 本作の年1357年では61歳。上 右はモスクワ大公イヴァン2世(在1353-59年) 本作の年では31歳。
 

(2)あらすじ

  ジャニー・ベクによる、兄のティニー・ベク暗殺の夜(1342年)から始まり、ジャニー・ベクの子、ベルディ・ベクによる、 ジャニー・ベク暗殺の夜 (1357年)で終わる。その間にサライの町や宮廷の風俗が描かれる。ティニーとジャニーの母后タイ・ドゥラが事故で失明 し、その治療にモスクワで主教を していたアレクセイが派遣される(1357年)。しかし治療は成功せず、アレクセイは浴場の風呂焚き奴隷にされ、ロシア人奴 隷の悲惨な状況が描かれる。と ころがある日、母后の目が回復する。アレクセイは治療主として奴隷からもとの身分に戻され、正装させられてモスクワに戻され る。モスクワ侵攻は回避され た。ある夜、宮廷で仮面劇の途中、ジャニー・ベクは暗殺される(ラスト部分だけ、以下(6)に詳細なあらすじを記載しまし た)。



(3)サライの町や宮廷のセット、風俗、小道具等


3-1 キクチャク平原

  サライの都のあるキプチャク平原の様子。この場面は、アレクシス一行がモスクワからサライに向かっている時の映像。上画像 は、ロシアの森林地帯が、ステッ プ地帯に切り替わるところ。突然林が途切れ、草原になる。話には聞いていましたが、きれいに林と草原地帯が分かれている映像 が強く印象に残る。中段画像 は、アレクシスとその従者。従者は退屈なあまり馬の上で書籍を読んでいる。考えてみればあたり前のように思えるが、騎乗しな がら本を読むというスタイルを 想定したことが無かったので、少し驚くが、納得もした。

 上の下段画像は護衛の兵士(2-3名)の一人の背中の彼方、地平線まで続く雄大な南ロシア(キプチャク)平原の様子。


3-2 サライの都
 
 サライの都は、アフトゥバ川東岸にある。下の三段の画像のうち、上画像は、渡し守のいかだがアフトゥバ川を渡ってゆくとこ ろ。対岸の断崖にサライの都の建築物がそびえている様子が良くわかる。この部分は宮殿区域にあたる。

  実際のサライの遺跡も、下画像(現在の遺跡と夏季に枯れたアフトゥバ川)のように、アフトゥバ川沿いにある。上の再現映像 は、遺構に基づいた再現映像だと思われる。また、上3段目の画像では、川に はロープが張ってあり、渡し守のいかだは、このロープを辿って渡河している。2人の人足が、ブーメランのような形の木の道具 を用いて、綱を手繰り寄せてい る様子がわかる。



 サライの町の川に面した部分はすべてが断崖となっているわけではく、数百m程下流に行くと、下上段画像のように、断崖は終 わり、川岸からなだらかに市街が形成されている。

  上画像中段は、サライの市街をゆくアレクシスと従者フェドカ。上下段画像は、宮殿の正門。火が炊かれていて、アレクシスと フェドカは、火の間をくぐり、治 療することができる神聖な力を持っているかどうかを試されるのだった。アレクシスは問題なく通過するが、フェドカは衣服が燃 えてしまい、あやうく焼け死に そうになるのだった。

 下上段は、宮殿の正門の内側。左手が城門。中央の建物がハーンの宮殿。中段画像は、宮殿の屋上から見たサライ市街。下段 は、宮殿の屋上部分。

  下は宮殿の屋上から見た景色。下左画像の左側に市街、右側にアフトゥバ川が見えている。現在の遺構の風景に基づいていること がよくわかる映像。この時、宮 殿の屋上では、ジャニー・ハーンが、モスクワ侵攻の話をしていて、下右画像は、大砲を試し打ちしているところ。左画像の背中 はジャニー・ハーン。

  砲弾は、アフトゥバ川の手前の岸に落ちる(射程距離は数百メートルも無い、短いことがわかる。しかも宮殿は断崖の上にあるの で、実際には砲弾は、殆ど落下 しただけなので、実際の射程距離は300m程度かも知れない)。モンゴル帝国時代の銃砲の実用度はどの程度だったのか。以前こちらの記事で、1332年、1351年の銃砲の遺物を調べてみたのです が、本作の大砲映像は、遠からず、という感じ。


3-3 サライの宮殿の内部

  映画は、アヴィニョンからの教皇インノケンティウス六世(在1352-62年)の使節がティニー・ベク(在1341-42 年)のサライの宮廷に来た時から 始まる。教皇とティニー・ベクの在位年代が史実と合わないが、インノケンティウスではなく、クレメンス6世(在 1342-52年)でも構わない内容なので 気にしない。

 宴会の様子はあまり品が良さそうではない。以下中央の人物がティニー・ベク。左手の楽師は床に座っている。背後の壁のレ リーフは中国風。

 下の上画像の右手に立つ人物がティニー・ベク。その背後は、宴台を前にした支配者達。

 上の下画像が、ティニー・ベクの背後から見た宮廷の様子。右手に数人の楽師達が座っている。奥に跪いている2人の教皇使節 がいる。広間はあまり広くは無い。フォーク、箸は無く、ナイフと手で食べる面々。

  ティニー・ベクは、剣で一撃の下にローソクの火を消してみせる。男は戦士でなくてはならない、といい、教皇使節にも剣でロー ソクの炎を消そうと試させる が、剣など使い慣れない使節は失敗する。その直後、ティニー・ベクは、満座の中、ジャニー・ベク自身の手で絞殺される。誰も 止めに入らず、ベルディ・ベク は立ち上がり、冷ややかに様子を眺めている。新君主に跪いく宴席の全員に、ここを去り、母后のタイ・ドゥラを連れてくるよ う、命じる。タイ・ドゥラは、 ジャニー・ベクに、”君主の剣”を授ける儀式を行い、こうして正式にジャニー・ベクがキプシャク汗国の大ハーンに即位するこ とになるが、タイ・ドゥラは、 ジャニー・ベクを汗に任命した後、足蹴りして去るのだった。どうやら、兄弟殺しを激怒しているようである。

 下の右上画像は、君主の玉 座。木製の酷く簡素なもの。ティニー・ベク時代は玉座を用いておらず、ジャニー・ベクが新しく作らせたらしい。玉座には、 ジャニー・ベクとタイ・ドゥラが 揃って座る場面が何度も登場する。タイ・ドゥラが権勢家というよりも、ジャニー・ベクがマザコンという感じである。上段中央 は、中国式の琴を弾く楽人女 性。上段左はその演奏に乗って宮廷広間で舞うダンサー兼手品師。ともに揚州の中国人。ダンサーの白塗りの顔がちょっと異様。

 手品師は、白い玉を布で覆い、覆いを取ると玉が消失する芸を見せ、拍手喝采されるが、タイ・ドゥラが、手品師の胸元から玉 を取り出し種明かしをしてしまう。ジャニー・ベクは激怒し、芸人を足蹴にする。血まみれの芸人は連れ出される。

 以下は宮廷の女性達。長い筒状の帽子が特徴的。中世イスラームのミニアチュールに登場する帽子そのもの。



3-4 タイ・ドゥラのオルダ

 タイ・ドゥラは、サライの町から1、2km離れた郊外の、多数の天幕群がある宿営地に住んでいた。宿営地全体が木柵で囲わ れていて、その中に多数の天幕があり、更に、タイ・ドゥラの天幕だけは、天幕の周囲を木柵で囲まれている。

 上の上段画像では、彼方にサライの町が見えている。宿営地を囲む木柵と簡単な城門が見えている。上画像下段の左側が、タ イ・ドゥラの天幕。天幕を囲む木柵の城門を、白塗りのベルディ・ベクが通過しているところ。

 冬。白塗りに化粧するタイ・ドゥラ。その後サライの町に入ってゆく。市場では、ロシア人奴隷が売り買いされていた。余興の 為に簡単に首を切られるロシア人奴隷。

  タイ・ドゥラは、次の奴隷はあれだ、と微かに身振りをし、次のロシア人奴隷が首を撥ねられる。タイ・ドゥラは市場に出されて いる馬にふれようとして、馬が 突然いななき、タイは失神してしまう。蹴られた瞬間の映像は無かったものの、タイ・ドゥラは失明してしまう。多くの医者が入 れ替わり治療をすることにな る。

 最初に登場した医者は中国人。右手はその医者の道具。左はその医者。鼻に洗濯バサミをしているので、容貌は異様だが、ハー ブと蜂蜜を治療薬として用いていて、医師自身の吸引防止ということらしい。

  中国人医師の治療では治らなかったので、次ぎに来た医者は、焼いた鉄をタイ・ドゥラの目に近づける。あまりに危険なので止め られる。その次の医者はなまは げのような装束の祈祷師。色々試すが目が見えるようにならない。祈祷師は殺されるのだった。最後に要請されたのが、モスクワ の医者。モスクワ大公イワン二 世の元に、医師要請の使者が出される。恐らく、治療できれば良し、できなければ、それを口実にモスクワ侵攻を算段する、とい うことではないかと思われま す。


3-5 モスクワの市街とイワン二世

 イワン二世への使者がモスクワに到着したところで、当時のモスクワ市街が登場する。遊牧民の天幕が、木造の市街地の中に点 在している映像は非常に興味深い。また、天幕の背景に、白い漆喰壁のロシア正教会が見えている。

 モスクワ市の中央広場でイヴァンはモンゴルからの使者を迎える。イヴァンは18世紀の米国西部開拓時代の開拓団の指導者に 見える。大都会サライと比べると、モスクワは大きな村と言う程度。流石にモスクワ大公の前でモンゴル人使者は跪いていた。

 手紙がモスクワ大公に出される。イヴァンは落ち着いて賢明な人物として描かれている。彼は、アレクシスの派遣を決める。民 衆が集まり祈祷中の教会に馬で乗り入れるモンゴル使者。


3-6 ロシア人奴隷としての生活

  アレクシスは幾つかの治療を試みるも、治らない。季節は冬となっている。なかなか治らない為アレクシスは遂に逮捕される。裸 にされ、頭から水をかけられる が、殺されることは無く解放される。治せないならどこへでも行けと放り出される。従者フェドカはどこかに引きずられていって しまう。身一つで放り出された アレクシスは、浮浪者然としてサライの町をさ迷う。そこではギリシア人の下層民も多く暮らしていた。アレクシスはギリシア人 に声をかけられるが、ギリシア 人では無いとわかると捨て置かれる。アレクシスも特にギリシア人に同胞意識を感じさせる様子はない。この時期のロシア人とギ リシア人の関係はどのようなも のだったのか、ここも興味がわいたところです。

 サライの町を出て、草原を凍えながら歩くアレクシス。やがて春になる。モンゴル人の奴隷 商人に連行されるロシア人奴隷達が通りがかる。奴隷商に捕まったのか、自発的に参加したのか、アレクシスは、奴隷の一人とし てサライに戻ってくる。アレク シスは、宮廷の浴場で風呂焚き奴隷として働くことになる。そこにはかつての従者フェドカもいた。奴隷の過酷な生活は、古代 ローマで酷使される奴隷の様子を 描いた映画とさえ思える程。風呂の主な燃料は馬糞で、ロシア人奴隷達は草原で馬糞集めをする。奴隷の一人がアッラーへ祈祷し ているのを見るアレクシス。少 し怠けているだけでモンゴル人に首をはねられる奴隷達。宮廷は、風呂焚き奴隷の一人にアレクシスがいることに気づいて、解放 を主張する高官もいるようだ が、アレクシスは奴隷として働き続ける。ある日、作業中のアレクシスの服に火がついてしまい、黒焦げになる。死んだものと思 われ、そのまま宮廷の外に放り 出される。「神よどこにいるのですか?」と呻くアレクシス。

 この奴隷生活の描写は見ごたえがあった。18世紀南部米国の農場奴隷や古代ローマの鉱山奴隷を思わせるものがありました。


(6) 終わりの始まり

  ジャニー・ベクが遺体を見に来て、アレクシスに平服する。タイ・ドゥラの目が治ったのだった。アレクシスは生きていた。服が 燃えて黒焦げになっただけで、 軽症で済んでいたらしい。宮廷の浴場に入れられて全身を洗われ、料理を振舞われる。新しい服を貰い、外交文書と通行証を与え られ正式に送別される。教会の 免税権も付与される。従者フェドカも奴隷から解放されて、毛皮のコートや帽子、馬を貰って二人はサライの都を出発するのだっ た。

 ジャニー・ベクは、宮廷で自身が仮面劇を演じている最中満座の中で暗殺される。まったく騒ぎにならず、静かに見詰める宮廷 の人々。殺害者は息子のベルディ・ベクだった。

 夜間ベルディは、郊外のタイ・ドゥラの天幕を訪れる。しかしタイ・ドゥラは、王に封じる儀式を行わず、無言で単身馬に、乗 り一人夜の草原に去ってゆくのだった。
 
 ベルディ・ベク配下の兵士達は、ベルディ同様、白塗り化粧をしている。彼らはサライ市街に戻り、市街を制圧する。

 二代続く暗殺による君主交代。帝国の終わりは、既に始まっているのだった。  


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