プレスラフ

第1次ブルガリア王国2番目の首都



 第1次ブルガリア王国の首都遺跡。893年シメオン王がプリスカから遷都。プリスカはプレスラフから北西に50Km程の 地点にある。
遷都の理由の一つは異教勢力の打破である。ブルガリアは864年キリスト教に改宗したが、プリスカには従来の民族宗教を維持する勢力が多く、それらの勢力 の影響力を弱める為の遷都の側面があり、これはある面日本史上平城京から平安京への遷都と似た性質を持つ(日本史上の場合強くなりすぎた寺院勢力の打破で あったということで内容は異なるけれども)。
 プリスカと異なる特徴は、内城外城とも城壁で囲まれたことである。プリスカ時代外壁は土盛りにすぎず、王城部分のみ城壁で囲まれていた。
またプリスカは見とおしの良い平原地帯に位置し、遊牧民時代の気質にあった環境に近かったが、プレスラフは山間の盆地に位置しシューメンの城砦など周辺の 山の上に要塞を配置するなど非常に防衛を意識したつくりとなっている。
 プレスラフはプリスカにまして広大で、殆ど土台部分しか残ってはいないが、それでも多くの遺構が残されている。ビザンツ支配時代・第2王国時代を通じて 繁栄したが、オスマン軍により破壊された。

・写真1は内城北西部の角。
・写真2は王宮。
・写真3は教会。柱の白い部分は修復時のつなぎ部分。


・写真4は教会の床のタイル。プレスラフの大きな文化上の特質はこのような良質のタイルにある。
・写真5(左下)は内城南門だが修復されすぎ。もともとあったのは基層部分だけのようである。
・写真6(中下)は内城と外城の間にある建築物遺構。
・写真8(右下)は内城東城壁から盆地を見下ろしたところ。プレスラフは正確には盆地の中心ではなく、
西よりの斜面にある。

敷地内には博物館があり、出土物、模型などを展示している。

近隣の史跡・遺跡

プリスカ 第1次王国の最初の首都遺跡。 プレスラフ北方50Km。
・シューメン 第1次王国の要塞・ ブルガリア最大の モスク。 プリスカとプレスラフの中間。 
・マダーラ 第1次王国時代の要塞、岩壁レリーフ石 器時代の洞窟遺跡、 ローマ時代のヴィラ跡 など。
       シューメンとプリスカの中間に位置する。






 旅

ブルガリア の地図はここを参照してください。
プレスラフ、プリスカ、マダーラを訪問するにはシューメンが拠点となります。どこも日帰りできます。
マダーラへは鉄道もありますが、プリスカ、プレスラフへはバスで行くことになります。
プリスカはシューメンから北東へ20Kmくらい。マダーラは東へ10キロ。プレスラフは南西に10KMくらい。
シューメンは人口7、8万のブルガリアでは中堅都市でホテルも複数あります。
しかし、繁華街は東西に長く、鉄道とバスターミナルとホテルは両端にあり結構移動につかれます。

 ソフィアからシューメンは鉄道では回り道になるのでバスが便利。バスで約6時間。ルセやヴァルナからは鉄道で2時間程度。




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