近世スペイン歴史ドラマ「プリンセス・エーボリ(2010年)

  前回の「エスコリアルの陰謀」に続いて今回もエーボリ姫(アナ・デ・メンドーサ(1540-1592 年))の話。「エスコリアルの陰謀」は、登場人物が多すぎて、エーボリ姫はあまり登場せず、前半はエスコベロとアントニオ・ペレ ス、後半はマテーロ・ヴァ スケスと隊長エスピオーザの話となってしまい、エーボリ姫やフェリペ二世は脇役となっていた感じがあります。内面の心理もあまり 顧みられず、外面的な行動 を追っかけていた作品のように思えました(後半活劇となってしいましたし)。「エスコリアルの陰謀」と比べると、本作は、登場人 物が絞られており、ほぼ、 ペレス、エスコベロ、エーボリ姫、フェリペ二世の人間ドラマとなっています。特にフェリペ二世の苦悩や性格が(映画よりも)良く 描かれています。「エスコ リアルの陰謀」ではエーボリ姫が何故人気があるようなのか、少しも魅力を感じませんでしたが、本作の姫は比較的魅力的です。 IMDbの記事を見ている限り では、二話で打ち切りになってしまったようですが、第一話はほぼ、「エスコリアルの陰謀」の前半に相当する部分(エスコベロがフ ランドルから帰還するとこ ろから暗殺後、ペレスとエーボリ姫の逮捕(1578年)まで、後半は一度は解放されたエーボリ姫が再度幽閉されるまでとなってい ます。

  前回「エスコリアルの陰謀」は、フェリペ二世以外の登場人物を誰も知らず、政治的背景もわからなかったので、視聴しながら調べる 必要があり時間がかかりま したが、今回はあらましを理解できていたので、かなり楽でした。今回イタリア語字幕版を視聴したので、ポイント毎に翻訳機に打ち 込んで訳した為、映画版と の共通点や相違点もあらから理解できたものと思います。同じ題材を描いても、人間関係の描き方を少し変えるだけで、印象がまった く異なるように描ける好例 のひとつだと思います。最後に明らかになる事実には、推理劇を思わせるものがありました。もう一点、本作の大きな特徴は衣装だと 思います。史実というよ り、現代のデザイナーが好きにデザインしたという感じで、トルコドラマ「壮麗なる世紀」の衣装を連想させられるものがありまし た。

  2010年スペイン製作。二話140分(私が視聴したものは、一話75分全二話のイタリア語字幕版だったのですが、ひょっとした らこれはイタリアで放映さ れたものかも知れません。英語字幕は無いようなのですが、スペイン語版dvdは昨年10月の発売で、ひょっとしたらそのうち英語 字幕版もでるかも知れませ ん。英語字幕版が出たら購入する予定です。結構気に入りました。

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第一話

  基本的な筋は「エスコリアルの陰謀」と変わらないので(恐らく史実とされている部分なのだと思われます)はしょりますが、 1578年エスコベロがフランド ルからスペインに帰還するところから始まります。主要登場人物はフェリペ二世、アントニオ・ペレス(1540-1611年)、エ スコベロ、エーボリ姫だけ で、映画「エスコリアルの陰謀」と比べると、ペレス夫人や王妃など脇を取り巻く人々はあまり登場しません。舞台もエスコリアルで はなく、マドリッドとなっ ています。

 以下、右上アントニオ・ペレス。少し暗いが衣装のデザインが印象的。その下僧侶の秘書官マテーロ・ヴァスケス。その左フェリペ 二世。その左フランドル総督次官ファン・エスコベロ。左上はフェリペ二世の執務室。右手に立っているのがアントニオ・ペレス。

 エーボリ姫。左は姫のマドリッドの家。映画と異なり、眼帯は左目にしている。

 冒頭は、映画と異なっているが、冒頭の次の場面は、ペレスとエーボリがいきなり情事をはじめる場面が置かれていて、その次にエ スコベロ帰還の報告が来るなど、似たような展開。

  映画では、エスコベロとペレスは最初から政敵のように描かれていましたが、本作では、エスコベロ、ペレス、エーボリの3人は友人 ということになっています (しかしエスコベロは二人の情事は知らない)。なので、仲良く歓談する場面が幾度も出てきます。他の友人も招いてエーボリ家で晩 餐会を催したりしています (この時、ポルトガル王家であるブラガンサ家の話題をエーボリ姫が出したことが後々問題となる)。以下、衣装が気に入ったので 撮ってみました。左白装束が エスコベロ。右の黒と金の衣装がペレス。チェスのコマのような色彩です。右の紫の青年は、主筋にあまり関係ないので説明は省きま すが紫の鮮やかな衣装が目 にとまったので載せてみました。下画像は、エスコベロとペレスが乗っていた馬車。「エスコリアルの陰謀」でも馬車が目に付くよう になってしまい、今回も撮 りました。映画の方では内装が出て来ませんでしたが、本作では内装が出てきました。壁も扉も柔らかそうなクッションで覆われてい ます。

  左はエーボリ姫の馬車。だんだん馬車のショットが増えてきました。そのうち史実を調べてみるつもり。右は、エーボリの娘が登場 し、貴族の夫人の方々にピア ノ(の原型となったクラヴィコードかチェンバロだと思われる)を引いている場面が出てきました(教会の場面では壁面に設置された 巨大なオルガンも出てき た)。

 が、個性の強い女性であるエーボリ(フェンシングの腕前は一流で、映画では確かペレスに勝っていた)は、画家(実在の女性画家ソ フォニスバ・アングイッソラ(1532-1625年)に自分のヌードを描かせているのだった(下左がソフォニスバ・ アングイッソラ。右が絵)。

 左がモデルのエーボリ。右が画家。


 というように、一見平穏な日々で、殺し合いに至るような関係には見えなかったのだけれど、既に導火線に火はついていたようであ る。

 ある日もいつものように黙々と執務室で政務に取り組むフェリペ二世。アヴィラのテレサ(以前紹介した映画「テレサ-キリストの肉体」の テレサ)に関する申請書が出てきて、一読し「これで開始してみよう」と、サインしてさくさくと次の書類に移る国王。しばらくして 宰相ペレスがエスコベロについてちくる。

  「エスコベロが直接教皇と交渉し、教皇はイングランドとの戦争に賛成しているようだ(当時イングランドはフランドル独立運動を支 援していた)。エスコベロ は教皇に、あなたは、カトリックの王の使命を忘れてしまったように見える、あなたは個人の利益ばかり気にしていてスペインの利益 を忘れている、長く君臨し 過ぎた、悪魔のような王だ、あなたより弟のドン・ファン・デ・オーストリア(当時フランドル総督)の方がスペイン王にふさわし い、などと吹き込んでいる」

 と中傷する。

 続いて(ペレスがいない時に)、今度はエスコベロが王弟の手紙をもって王に面会に来る。エスコベロは手紙を王に見せ、王に告げ る、

  「あなたの弟はもう援軍を待ちくたびれてしまった。そこでドイツから支援を受け、自力で反政府勢力(フランドルの独立運動派)を 鎮圧し、イングランドを征 服した後、メアリー(イングランドに虜囚中の前スコットランド女王)と結婚し、イングランド王を称するつもりである。もう、王の 同意は要りません、と言っ ています」

 不安そうな表情や小さな動揺は結構頻繁に見せるものの、激しく感情を表すことのなかった国王は、さすがに出て行け!と激怒する のだった。

  いきなりエーボリ家を訪ねてきたエスコベロは、ペレスとエーボリが一緒に風呂に入っているところを目撃してしまう。二人の関係を 知らなかったエスコベロ は、激しいショックを受け無言で立ち去る。慌てて服を来たエーボリは後を追いかけ、秘密を守って、お願い、と懇願するが、エスコ ベロは、これを政治に利用 しようと、エーボリに告げる。

 「イングランドを侵略するために、国王に圧力をかけたい。情事のことは秘密にするから、国王の説得にペレスを協力させてくれな いか」

  エーボリは部屋に戻り、ペレスにエスコベロの出した条件を告げるが、その時ペレスは既に刺客を手配済みなのだった。それを知った エーボリは、なんてこと を。彼は私達の友人なのに。いったいどうして。止めなくては!とエスコベロを追いかけようとするが、ペレスに阻まれてしまう。

  そして、ペレスが入手していたある手紙を見せられ、その文書を預かっておいてくれ、と頼まれる。エーボリは最初は断るが、結局や むなく文書を受け取るの だった。エスコベロはペレス家を出た後、深夜人気無い通りで襲撃され刺殺される(この文書が何だったのかは、第二話ラストで明か されます)。

 数日後、ペレスは、配下の刺客数名を郊外の林で首吊りにして処刑し、証拠隠滅を図るのだった。

 細部はともかく、エスコベロが王弟を支持してイングランドとの開戦を望み、ペレスは国王派の立場から主戦派の動きを阻み、エス コベロが二人の情事を知ったことがきっかけでペレスに暗殺された点は、映画と同じ。このあたりは定説となっているということなの かもしれません。

  さて、結構ペレスは計画的な感じなのに、あっさりマテーロ・ヴァスケスが真相を暴いてしまいます。殆ど捜査の場面なし。町のチン ピラを脅して白状させた場 面くらいしか無かったのに、マテーロが何もかも知っていることに驚いてしまうのでした。彼は常時諜報機関を使っているような、 フーシェタイプの人なのか も。国王に報告して曰く、

-エーボリ姫は、自分の娘をブラガンサ家(ポルトガル王家)に嫁がせようとしている
-ペレスとエーボリは愛人関係にあった
-エーボリは自分のヌードを描かせている

 フェリペはエーボリの元に、事実確認に出向く。エーボリは、ブラガンサとの婚姻計画については否定するが、ペレスとの愛人関係 と絵については肯定し、国王はヌード画を破棄させるのだった。

  下左、国王がエーボリを鋭く見つめるところ。「あなたが(捜査を)お命じになったのね」とエーボリに告げられて、国王が一瞬垣間 見せた表情。右手に見えて いるのは、下中央のエーボリの巨大な襟。この国王の邪な目付きはドラマ中でこのカットだけで、このドラマでの国王の性格の描かれ ぶりとは異なった印象を広 めてしまいそうですが、インパクトのある映像だったので、思わず撮ってしまいました。(このドラマでの)本来の彼は怯懦な性格 で、このような目付きを取っ てしまったのは、事態がよくよくの事だったから、と見た方がよさそうです。このショットを取ってしまった理由はもうひとつ、二人 の衣装とライティングが気 に入ったから。

 エーボリとペレスはそれぞれの自宅で逮捕される。この時逮捕に来た憲兵の装備が、古代ローマ兵のようで、思わず画面ショットを とってしまいました。

 エーボリは、年老いた侍女とともに牢獄に放り込まれる。

 一方国王は、王弟から、国王に反する意図などまったく持っていない、との手紙を受け取り愕然とする。今回の騒動は、王弟の暴 走・反乱にあったのではなく、最初からエスコベロとペレスの二人だけの陰謀だったことが判明し、苦悩した国王は教会で絶叫するの だった。

 誰が私たちにこんなに死を送ったのだ?悪魔なのか?それともこれは神が与えた罰なのか?

〜第一話終わり〜

 挿入箇所が見つからず余ってしまった画像。左の衣装は、「壮麗なる世紀」に登場したイタリア人の衣装そっくり。右フェリペ二世 の半ズボンはホーズという奴ですね。テレビとはいえ、実物をはじめてみたので、検索してみて、本当の実物(らしきもの)をはじめてみました。


 ところで、フェリペ2世は1578年頃は足が悪かったのでしょうか? 「エスコリアルの陰謀」では足をマッサージしている場面 があり、本作でも、机に座っても足を腰掛けの上に投げ出していました。


第二話

  エーボリは、マドリッドにあるピント塔の最上階の牢獄に監禁されている。風邪をこじらせ血を吐き、侍女のベルナルディアが強硬に 看守兵に薬を要求したこと から、ベルナルディアは看守に殴られ、独房に入れられてしまう。監獄といっても、塔の最上階のフロア全部なので結構広いものの、 環境は酷い。


  一方ペレスとその夫人(ジョアナ・デ・セロ)はアンゴラ王国に亡命していたが、やがてペレス夫人は帰国し、アナ王妃に、夫の恩赦 を陳情するのだった。ペレ ス夫人曰く、私達の結婚は政略結婚であり、私が妊娠していた為、国王はペレスと私を結婚させたのであり、私は夫が本当に好きな人 (エーボリ姫)と愛しあう のは構わないと考えているのです。しかも、今回の一件は、いくら不倫とはいえ、エーボリ姫を幽閉するなんて、行き過ぎです。と涙 ながらに訴える夫人に、王 妃は当初困惑していたが、徐々に説得されてゆく。この時の王妃の衣装も印象に残りました。

  王妃はエーボリ恩赦について王を説得しようとするが、聞き入れられない。王妃は、1580年10月26日、最後の子供マリア出産 直後に病気となり死去する が、臨終の床でも王にエーボリの恩赦を訴え続け、しまいには王に向かって、「あなたの父と兄弟は英雄として記憶されるだろうが、 あなたは残酷さのためにの み記憶されるでしょう。あなたは残酷な男で、暴君であり、慈悲を持っていない」とまで非難し続けて死去するのだった。苦悩する 王。

 一方、ポルトガル王家ブラガンサ家は、エンリケ1世(在 78-80年)の逝去により、後継者問題が起こり、フェリペ2世はポルトガル王ジョアン3世の妹イサベルとスペイン王カルロス1 世の息子であることから、 ポルトガル王位継承を主張し、ポルトガル王位継承紛争に介入し、ポルトガルを併合するのだった(フェリペ二世はエーボリがブラガ ンサ家に通じようとしてい たことも逮捕の理由のひとつとしているのは、こうしたポルトガルを巡る政治的背景もあった為だと思われる)。

 牢獄で病気に陥ったエーボ リは、遂に臨終する。ただちに女官と僧侶に担ぎ出され、蘇生が行われ、なんと蘇生するのだった。エーボリの蘇生が、秘書官マテー ロより王に報告されるが、 マテーロは、エーボリの病死そのものが牢獄を出る為の欺きだったのではないかと疑問を呈するのだった。更にエスコベロの遺族にマ テーロは襲撃されたことを 王に告げる(下左がその時のマテーロの馬車)。

 こうして亡命中だったペレスは遂に告発され、逮捕されるのだった。ペレス夫妻の元に来て役人が読み上げた告発状は以下の通り。

1.エスコベロの暗殺。
2.暗殺に直接手を下した犯罪者3人の処刑を命じた
3.マテーロへの襲撃
4.王冠(国家)の利益に反する共謀

 ペレスは宗教裁判所(以下右)に収容され、拷問されるのだった。

 拷問では、ペレスの罪状にブラガンサ家との陰謀と同性愛の罪状がいつの間にか追加されているのだった。過酷な拷問に耐え切れな くなったペレスは遂に白状するが、それは驚くべき内容だった。

 全ては国王の指示でやったことだ。国王からエスコベロを暗殺するよう指示書が送られてきたのだ。

  マテーロと宗教裁判官はペレスの自宅を捜索するが、文書は見つからない。国王は、ペレスの自白をマテーロに告げられると、「ペレ スもエスコベロも、私がフ ランドルとの戦争に反対していることを知っていた。そこで二人はフランドルの戦争を巡り暴走してしまったのだ」と、あくまでペレ スの独断だと主張する。

  独房にペレスを見舞いに来たペレス夫人が、手紙の件を問いただすと、ペレスは、「エスカベロを殺すよう命じられた。しかし私は直 接手を下してはいない。報 酬は支払ったが。手紙はエーボリ姫に預けた。処分して欲しい」と答え、自らは、「反逆罪に問われたのだ。何も私を救うことはでき ない。絞首台の上で死ぬ よ」と告げる。ペレス夫人はエーボリ姫の元に赴き、文書の廃棄と、ペレス救出への協力を申し出るのだった。エーボリ姫が考案した 救出策は、ペレスを監獄か ら脱走させるもので、監獄にペレスを見舞ったペレス夫人が、ペレスと入れ替わるというものだった。しかも、脱走にペレス夫人が手 を貸したことが疑われない よう、夫人は暴力で入れ替わられたことにするため、ペレスと服を入れ替わったペレス夫人を殴る手はずとなっていた。ペレスは、 「私を殴って」という夫人に 躊躇する。見かねた(脱走に手を貸した)看守が夫人を殴りつけ、脱走するのだった。

 
 文書が残っていない以上、エスコベロ暗殺 に国王が関与したかどうかは、スペイン史の謎として、本作のようなドラマの題材や学者、好事家のネタとして格好の材料を提供して いるようである。本作は国 王の関与を強く仄めかす内容となっているが、その動機は何だったのか。続く場面で判明する。

 エーボリ姫の三男、ロドリーゴ(この年18歳。エーボリには9人の子女がいた)は、エーボリと口論となり、驚愕の発言をするの だった。

 「王は私の父なんだろ?」

  ロドリーゴは第一話の冒頭から登場していたのだが、情緒不安定で母親への反発が強い理由が漸く判明。半ば人生に捨て鉢となってい るロドリゴは、王に面会 し、戦争に行きたいと申請し、王は、数日後にリスボンに即位しにに行く、一緒にいくか?と答える。この場面の、もの問たげな目付 きながら、「父ちゃん!」 と口にしそうでこらえるロドリーゴと、フェリペが、理由も聞かずに応じるところを見ていると、恐らく息子ということは事実なのだ ろうと思える絶妙な場面で した。

 つまり、国王がペレスとエーボリとの情事で、エーボリを逮捕し幽閉したことが、周囲の人に過剰な罰だと思われた背景や、ペレス に 暗殺を指示しながら国王がペレスに罪をなすりつけようとしたのは、フェリペ二世の嫉妬があった。というのがこのドラマの”エスコ ベロ事件の真相”というこ とのようである。

 結局ペレス脱出に手を貸し、更にエスコベロ暗殺指示書を渡さないエーボリは、再び幽閉されることになる。今度は、監獄 であるピント塔ではなく、エーボリの自宅に一室に幽閉されることになるのだった。やってきた役人は、「たった今この瞬間から、あ なたは死ぬまでこの部屋か ら出ることはできない。あなたはあなたの財産を管理する権限を失う」と告げ、入り口の扉を、食事皿用の窓だけ残して煉瓦で閉鎖し てしまうのだった(エーボ リは、末子アナだけでも手元に残してと訴え、黙認される)。


 最後に以下のテロップが出てドラマは終わる。

 エーボリ姫とその娘(末子アナ、当時7歳)は、彼女が死ぬ1592年までパストラナの居城に一緒に残った。フィリペ二世はエー ボリ姫処罰の公けの理由を明らかにしなかった。

  サラゴサのアントニオ(ペレス)はアラゴン王国の保護を得た。1591年、フィリペがアラゴンに侵攻すると、彼はフランスに脱出 した。1598年、妻とペ レスの息子が自由になった。1640年に、ルイーズ・ド・グスマン-エボリの曾孫-は、ポルトガル独立時の王妃だった。

〜Fin〜

  いやー面白かった。ラスト、幽閉されるエーボリの映像と交錯して、庭の椅子に腰掛け、虚ろに空を見上げるフェリペの背後からカメ ラが近づき、フェリペの頭 を越えて空中に向かってズームアウトしてゆく場面は良かった。フェリペ二世なんて、それまで蓄積したスペインの国力を一挙に使い 果たしたようなイメージし か無く、まったく興味が無かったのですが(フェリペに限らずあまり個人に興味は持てないのですが)、こういう風に描かれると、興 味を持ってしまうのでし た。

参考
-アロンソ・ペレス・デ・グスマン(1550-1615年) エーボリの娘婿で無敵 艦隊の指揮官。
-ルイサ・デ・グスマン(1613-1666年) 1640年ポルトガル独立時の王 妃。
-メディナ=シドニア公 第七代がアロンソ・ペレス・デ・グスマン、打第八代の娘が ルイサ・デ・グスマン。 

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