霊渠


紹介


 前214年、秦代に開鑿された、長江と西江(珠江)を結ぶ運河である 霊渠の紹介その2(その1はこちら)。下記案内板の中ほどから左(西側)は、有料施設ではなく、左 写真のように、繁華街となっています。一応繁華街と有料施設の間は、ゲートのようなものがあるようで、通り抜けできるかどうはは不明です。

 繁華街の方には、宋、明、清代に建設された橋が残っていて、右写真は明代のもの。また下段中は、清代の橋。更に、下段右写真の脇に、宋代の橋があり、撮 影したと思っていたのですが、どうやらとり忘れてしまいました。代わりに、どうでもいいような観光施設の写真が残っていました。

更に、後漢馬援将軍ゆかりの橋があったとされるところや、唐代の橋

ゆかりの場所などがあります。

下写真は、明代に建設された、建設主任の墓です。三将軍墓と言われていて、劉、李、張の3名が祭られていますが、ご覧の通り放置されています。なんでも建 設にまつわる伝説では、建設当時、この地に妖婆がいて、建設を妨害していたそうです。最初の2名は、これを恐れたため、始皇帝によって処刑され、3番目の 主任は、老婆を退治して工事を完成させたが、最後は自殺してしまったという。その3人の工事主任を後世「三将軍」というようになったらしい。あくまで伝説 なのだが、下記のように墓までできているところが中国らしい感じ。この3人は、町のランドマークとして、町の入り口にあたる広場に銅像が建っている。
 

 左は宋代の橋。接龍橋。983年建造。宋代県城の北門に正対していたらしい。

橋の横の説明版の記載によると、名称の由来は3つあるとのこと。

1.湘・漓水が巨龍のように見えることから。

2.乾隆帝が訪問した時、官員がこの地で歓迎をした。

3.端午の節句で百姓たちが接龍船を出し、龍の頭を迎えた聖地

こちらの頁に詳しい由来が記載されています(中国語)

 

 

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 桂林バ スターミナルから興安県まで67km、1時間半。霊渠観光施設の入り口は、バスターミナルから、2〜3キロ。バスターミナル前を、もと来た桂林方面に 1km程戻り、秦代の役人と思われる5mくらいの銅像が3つ建っている広場を左折(東へ)。更に1km程進むと、広いパーキングが見えてくる。入場料40 元。私は乗らなかったが恐らくチケットは、遊覧船込み。他の観光施設との併用券も売られていて、40元のチケットは霊渠のみを対象としたチケット。実は霊 渠そのものは、観光施設に入らなくても見ることができる。有料施設は、案内図の中ほどまでで、そこから北(左)半分は、観光者向け飲食店などが並ぶ繁華街 となっている。案内図の一番左にパーキングマークがあるが、この辺りからバスターミナルまでは、1km程度。なので、バスターミナルから、こちらへ歩け ば、霊渠そのものは見ることができる。情報は2007年10月の情報。
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