書籍「Sasanian Iran(224-651 CE) Portrait of a Late Antique Empire」



    
  以前こちらの記事で紹介した「エーラーン・シャフル州都のカタログ」の英訳書の著者、Touraj Daryaee氏が2008年に出版した、サーサーン朝の通史、「Sasanian Iran (224-651 CE): Portrait of a Late Antique Empire」を読みました。以前から、1983年出版の「Cambridge history of Iran Vol3」 出版以降の研究成果を取り入れたパルティア及びサーサーン朝の書籍を読みたいと思っていたので、本書は政治史の通史だけですが、とり合えず購入して読んでみました。

  図版を入れると全部で140頁ですが、実質本文は100ページ程。しかも、著者のTouraj Daryaee 氏は、おそらくネイティブな英語使用者では無いと思われ、外国人っぽい読みやすい英語。「Cambridge history of Iran」の政治史の記載と比べ、それ程斬新な内容があったわけではありませんが、2,3「そうなんだ」と思った記載がありました。一応ここでご紹介。

1.長城は4つあった。ひとつはゴルガンのもの(
こちらで遺跡を紹介中)、もうひとつはコーカサスのもの(デルベント要塞のこれですね)、3つ目は、アラブに対するもので、war ī tāzīgān と呼ばれるもの(ただし出典の記載は無し)。で、「4つある」と記載していながら、4つ目については言及は無し(p75)

2.ニハーヴァンドでの敗北後、ヤズダギルドのメルブへの逃走路は、そのままメディア地方からホラサーン経由だと思っていたら、南回り、ケルマーン、シースタン経由、とあった(p100)

3. ヤズダギルド1世の称号、rāmšahrとは、「支配の平和を維持する者」という意味で、カイ王朝のイデオロギーの最初の登場例であり、2番目が、ヤズダ ギルド2世の「Mazdaean Majesty Kay(mzdysn bgy kdy)」という称号とのこと。カイ王朝の利用は、エフタル侵入の激しさが増したペーローズ時代になってからだと思っていましたが、どうもそうではなく、 エフタル登場前のヤズダギルド1世時代が初見のようです。ただし、ヤズダギルド1世の前の時代から、フン族(キオン)やクシャーノ・キダーラの侵入など、 東方国境は脅かされていましたから、ヤズダギルド1世の称号も、ペーローズ以降と同様、カイ王朝の伝説を有する東方の懐柔にあった可能性も残るのではない かと思います。

4.ヤズダギルド3世の子、ペーローズ(卑路斯)の碑文と像が、唐の高宗の廟の前に並んでいる石像に残っている、との話。 そこに刻まれているのは、「Pērōz , King of Persia , Grand General of the Right Courageous Guard and Commander-in-chef of Persia(右驍衛大将軍兼波斯都督波斯王卑路斯)と刻まれているそうです(高宗の乾陵前の石人は、六十一蕃臣像というらしく、
こちらのサイトに61名の名前が掲載されています)。 このサイトによると、61名のうちには、もうひとりペルシア人が記載されており、「波斯大首領南昧」とあります)。将来西安に行くことがあれば、是非高宗 廟まで行って確認してみたい内容です(著者は、この件を中国人C.Guocanという方の論文から引用しています)。

5.さらに、ペー ローズの息子にはもう一人、ワフラームという人がいるのですが、この人も中国史書に、Aluohanという名称で登場しているとのことで、この人は、 710年に死去(出典は他の人の論文)し、その息子が、728年頃唐にいたとされているホスロー(中国史書発音Juluo)とし、このホスローが、突厥と 連合してイランに攻め入り、イスラーム勢力に敗北したことが、サーサーン王家最後の復位への挑戦となった、という話(この出典も他の人の論文)。

6.目新しい指摘でもないように思えますが、ヤズダギルド3世時代を含む631-637年の間に、ファールスやケルマーン各地で各王が勝手に貨幣を発行しえた背景には、地方地主勢力であるデフガーンの台頭が背景にあった、という話。

などなど。本書は
日本のアマゾンでも買えるみたいで、その場合送料無料で2618円、米国アマゾンだと新刊が22ドルで中古が18ドルで送料別。英国アマゾンだと送料別で13ポンドから出ています。図版が白黒のイラストと地図ばかりで写真が無いのも値段が安い要因のひとつかも。

  いづれにしても、日本で出ている唯一のサーサーン朝通史といえる、足利惇氏の講談社「ペルシア帝国」よりも政治通史の部分は詳しいので、英語が面倒だけど とり合えずサーサーン朝政治通史を読みたい、という方にはお奨めだと思います。政治通史だけで22ドルというのは高いのか安いのか(興味のある人にとって は)悩ましい価格かと思いますが、英語圏の国ではサーサーン朝の通史が出ているというだけでもうらやましい限りです。まあでも翻訳なんか絶対でないでしょ うね。内容的には、講談社学術文庫で1200円、といった程度の内容ですので。。。。

 ところで、
同じ著者の「エーラーンシャフル州都のカタログ」が、 日本のアマゾンにも表示されていて、1873円から。さらに同じ著者の、「Sasanian Persia: The Rise and Fall of an Empire (International Library of Iranian Studies) 」という2009年にでたサーサーン朝本が、日本のアマゾンで中古が3375円から(送料込み)米国アマゾンで23ドル(送料別)で出ています。英国アマゾンでは15ポンド(送料別)で 出ています。こちらの書籍は256ページと、本日紹介した書籍より100ページ以上あり、更にプラスアルファな内容が期待できそうです。どなたか読まれた からがおられましたら内容をお教えください。私は、さすがに同じ時期(2008年と2009年)にでた同じ著者の同じような内容の本を内容を確認せずに買 う気はしないのでした。。。。

追記 英国と米国アマゾンの批評を、「Sasanian Iran (224-651 CE): Portrait of a Late Antique Empire」と「Decline and Fall of the Sasanian Empire: The Sasanian-Parthian Confederacy and the Arab Conquest of Iran」と「Sasanian Persia: The Rise and Fall of an Empire」の3書について読んでみました。すると、
Touraj Daryaeeとその共著者の英語力について、米国のサイトではやはりPoorとこき下ろされてますね。。。。 ま、私のような外国人にとっては読みやすいのですが。。。彼はネイティブでないに違いない、という指摘もあります。やはりネイティブな人はそう思うので しょうね。。。本の内容は悪くは無いようですが。 一方では、「サーサーン朝を扱った書籍はこれまで仏語や独語ばかりで英語本が無かった。英語版が出てう れしい」と、先程私が「日本語本が無い」と嘆いたようなことを書いておられる方もいます(ちょっと嬉しい)。また、「Decline and Fall of the Sasanian Empire」 の方は、高いし厚いし、あまり興味のないサーサーン朝崩壊期の話ということで、あまり良く読んでなかったのですが、本の紹介欄を見ると、70年前の古代イ ラン学の権威、クリステンセン以来の重要な業績だ、と激賞されていることが判明。しかも、今の円高を反映してか、新刊が、配送料込みで6150円と、米国 アマゾンの新刊74ドル、中古60ドル(配送料別)より大幅な安さ。また、以前こちらの記事でも記載しましたが、歴史的イラン世界は、西南のペルシアと、北西のメルブ中心の二つの中心を持っていた、という内容に似た分析がなされている模様。結局、500ページもあるのでまずちゃんとは読まないだろうけど、注文してしまいました。。。。。

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