漢魏洛陽城
西城壁


西城壁残存部北端(左の何もかかれ てない石碑が目印)
西城壁残存部北端から、南方向を見たところ

西側城壁残存部北端から北方向
紹介
かつての城門らしき部分(西方向)
 
 後漢〜北魏までの時代の洛陽城城壁遺跡。一般に 「漢魏洛陽城」と呼ばれて いる。漢魏洛陽城は、城壁遺構や、施設の遺構が点在している。詳 しくはこちらのサイト(中国国際放送局(CRI Online 洛陽の遺跡(6)三国志の舞台、漢魏洛陽城 )

を 参照。

城壁北側は、高くても標高4〜5メートル程度、低いと、2メートル程度と思われる。はっきりいってただの土手で、版築の 跡と思わしきところも殆どない。な んとなく、土が層になっているように思えるところ(左上写真とか)もあるが、単なる土の層なのか、版築跡なのか、見分け がつかない。

西城壁は、国道から、北へ向かってだいたい900歩地点まで残っているようである。上段写真は、その北へ向かって900 歩地点。



 
 


左右の写真は、西城壁の、国道を 挟んで南側の突端あたり。洛水の支脈と 思わしき小川が近くに流れており、その前後の部分が、もっともよく残っている。高さも10メートル以上ありそう。左右写真 は、西側から見たところ。左写真 を、より近づいて撮影したのが、右の写真。

右写真は、西城壁を、国道から南 側へ向かって、1キロメートルくらい行くと、洛水の支脈と思われる小川に行き着くが、その手前の、西城壁の西側200メート ル程の地点から、北へ向かって 城壁を撮影したところ。奥の方に、写真の右から左へ向かって(南から北へ向かって)、城壁が続いている模様がわかると思う。 10メートル程の高さの部分 が、200メートル程続いて、その先の200メートル程の部分が2,3メートル程度に低くなって、更にその先が5,6メート ルの高さとなっている。

この地点の南の小川を越えたところに、上の左右の写真の遺構部分がある。このあたりが、南の突端となり、この先は洛水に侵食 され、消滅している。

因みに、こ のサイトの紹介に よれば、北城壁や東城壁部分の方が、よりよい保存状態の遺構が残っていそうである。北魏の施設の遺構も、色々残っている様 子。次回洛陽を訪れる時は、是 非、他の遺構も訪問したい。
(2009年7月訪問:訪問記はこちら

  

 (北へ向かって村道左側)      (北へ向かって村道右側)

2009年7月訪問時、国道から西城壁へ入る村道の両脇に、現中国政府の碑文を発見(洛 陽市漢魏城保護条例のページ)。


下地図は洛陽城遺跡と現在の周辺村の位置を示す図(出典:洛陽市博物館展示パネル)


アクセス情報


洛陽駅前から、市バス56路バス にのって終点の「白馬寺」下車。所要時 間40分くらい。結構かかる。終点から、西城壁遺構への行き方は下記地図の通り。

白馬寺下車後、東へ向かって国道を20分程歩くと、南側の歩道脇に、右写真のような標識がある。ここから100M先に、南北 へと向かう畑の畦道がある。北 側の畦道は、城壁遺構の上そのものを通っている。南側の畦道は、城壁遺構の東数メートルのところを通っている。南側へ向かう と、50M程で線路に到達し、 線路は、左写真の、左から一つ目のフェンスの柱右に、抜け穴がある。左写真の右の林が城壁遺構。


右図は 東周王城、隋唐洛陽城、漢魏洛陽城、 魏洛陽外城、夏王朝とされる二里頭遺跡、商初期の偃師城の位置図です。隋唐洛陽城の中心 あたりから漢魏洛陽城まで15qとなります。東周王城は左の紫線、隋唐洛陽 城は赤線、漢魏洛陽城は緑線、魏洛陽外城は漢魏洛陽城の北、西、東数キロのところにある緑線、夏二里頭 遺跡は漢魏洛陽城の右下の点線、商偃師城は、一番右の青線となります(出典:洛陽市博物 館展示パネル)。
 東周王城遺構の博物館「洛陽周王 城天子駕六博物館」の訪問記はこちら。洛 陽古墓博物館の訪問記はこちら

旅行日記 Googl Earth座標 
34°43'40.92"N
112°37'6.82"E

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