漢魏洛陽城
北・東城壁・永寧寺塔跡


上扉写真は、北・東城壁角から、城 内方向を見たところ。野球場のバックネット裏のような感じ。下写真は、同じ北東城壁角を、外側から見たところ。城壁北側は、 殆ど中段まで堆積していて、ほぼ周囲の地面と同じ高さとなっている。
北・東城壁角の内側

  左図はGoogle Earthの画像より(2009年7月時点)。2年程前は、このあたりは解像度の低い画像だったが、現在は、東城壁手前まで高解像度となっていて、遺跡の 配置がわかるようになっている。

  上は北城壁。2段となっている様子がよくわかる。中段まで5m、上段まで10mという ところか。右の奥が、北東城壁のコーナー(最上段右写真のあたり)となる。下右写真 が、段の上側城壁を、北側から見たところ。



 上 左写真は金?城のあたりの城壁。金墉城は、北から3つの城があるとされているが、洛陽小城と阿斗城のいづれかの北壁だと思わ れる。一番南に位置する金墉城は、現翟泉村の中となり、今回は確認しなかった(これらは、晋代以後の遺構である為東漢のもの と比べると若干興味と熱意が半減する為。とにかく暑かったので。。。)。翟泉村の中で見つけることができるかも知れない。今 回(2009年7月)の訪問では、全体の構造と配置が分ったことで取りあえず収穫はあった。上中写真は、洛陽小城・阿斗城の いづれかの東壁の可能性がある。版築の後が良く見えていた。この場所からは、更に北に、外城壁と思われる、一見版築造りとも 思える断崖が、東西に長く続いて見えていた。もしそれが外壁だとすると、相当な規模で残っていることになる(遠方過ぎて写真 を掲載してもわかりづらいので割愛。ほぼ左上写真のように見えていた)。洛陽小城(または阿斗城)の北には、洛陽伽藍記によ ると、穀水という運河があったようだが、それと思わしき水路があり、その両側は谷のようになってて、南側が城壁となってい た。この穀水は、北城壁中間より西よりの地点で、分岐し、分岐した一方が城壁内に入っているが、これも、それと思わしき水路 が、現金村まで続いていた。

 下左写真は、韓旗村(性格には韓旗屯)「東方の東城壁。あまり高くは 無いが、一直線に聳えている。下中は、韓旗村付近の村道沿いにある橋。水道橋ではないし、ところどころ壊れていて、機能 していないので、何の為のものなのかは不明。下右写真は、国道沿いの村の入り口の標識。一面広大な畑地帯であり、ランド マークがあまり無いので、北・東城壁を見学する場合は、白馬寺あたりから、バイクタクシーでここを左折して北城壁近くま で行くと見学し易いかも知れない。或いは、白馬寺からバイクタクシーで、金村まで行き、そこから北・東城壁まで歩くとい う方法も良いかも知れない。国道沿いの韓旗村標識の数百メートル東の国道沿いに、「漢魏洛陽城東城壁」という標識がある ので、偃師市からバスで移動してきた場合は、この看板で下車すると見学しやすいかも知れない。(上記地図中、韓旗屯の横 に保驾庄を併記してあるのは誤りで、保驾庄は、東城壁の外側、北東城壁角の東にある。

  東城壁

 


永寧寺塔跡

国道にあ る看板


下記写真は宮殿発掘現場(おそらく北魏洛陽城の閶闔門 遺跡だと思われます。

よりはっきりした空撮写真がこ ちらのサイト中国国際放送局(CRI Online 洛陽の遺跡(6)三国志の舞台、漢魏洛陽城 ) にあります。
 

 白馬寺までは、洛陽駅前から市バス56番。約1時間。終点が白 馬寺。観光地白馬寺前には多くのバイクタクシーが停車しているので、金村も、韓旗村もバイタクで10分 程度。料金は値切れば10元以内で行ってくれる筈。偃師市からバスで来る場合は、白馬寺で下車するか、 「漢魏洛陽城東城壁」という標識のあたりや、韓旗入り口、永寧寺塔遺構入り口看板あたりで下車すると便 利。それにしても、洛陽県は、漢書には、5万戸、25万人程度、後漢書でも同じ程度の人口しか記載され ておらず、両漢代は宮殿地区の占める割合が多く、あまり巨大都市ではなかったのかも知れません(両漢代 の洛陽人口については別途調査する予定)

 韓旗 村入り口と白馬寺の中間に、北魏時代516年に建設され、木造九層、最小の説で120m(唐代長安の大雁塔が64m程度)、 最大の説で300mとある永寧寺の遺構がある。300mは誇張としても、120mでも大変な高さだが、534年に消失したと のこと。同時期のコンスタンティノープルでは、ハギア・ソフィアが建設され、建設直後落盤などで崩壊しかけたが、その後修復 し、現在にまでもその威容をとどめているのと比べると、差が出たなぁという感じ。

 左上写真がその永寧寺塔の基壇遺構。近くに、国道が、線路を跨る橋があり、上中写真は、橋上から撮影した永寧寺塔基 壇遺構。近くまではいかなかったので入場可能かどうかは不明。周囲は工事用の壁で囲まれているようだった。右上写真は、 橋の東にある、永寧寺塔基壇遺構の標識。左写真は、橋上から北側に見えたもの。ひょっとしたら発掘中の北魏宮殿遺構か も。

 こ ちらのサイトに洛陽城復元GCがあります(あまりたした復元ではありませんが。。。)

   

CCTV(中国中央テレビ局)で2009年4月4日に放映された、洛陽歴史シリー ズ第二集「王城の地」で放映された漢魏洛陽城の再現CG(動画CG)。右の二枚は永寧寺の再現CGと遺跡。CCTV「王 城の地」は、こ ちらのCCTVのサイトに掲載されているので、視聴することができます(無料なので若干画質は粗い)。

   

上は、北魏洛陽城の閶闔門遺跡とその復元映像。右2枚は宮殿区。

   

一番左は永寧寺とその前の大通り。道路を進んでいくと、上画像の建築物が道沿いに 並んでいるのがわかる。右から二番目は宮殿地区の楼閣。右端は洛陽城全体。

これは北魏洛陽城の城門とその楼閣。城門ぎりぎりまで市街建築物がある様子がわか ります。

近くには、夏王朝の遺構とされる二里頭遺跡(約10キロ)と、商代初期の偃師城遺跡(約25キ ロ)がある。洛陽城西城壁訪問記はこちら(地図なとは西城 壁訪問記の方にあります)。東周王城遺構の博物館「洛 陽周王 城天子駕六博物館」の訪問記はこちら。洛陽古 墓博物館の訪問記はこちら旅 行記はこちら Googl Earth座標 
34°43'40.92"N
112°37'6.82"E

BACK