Google Mapでみたベトナム首都遺跡と書籍「ベトナムの考古、古代学」「中世大越国家の成立と変容」の紹介


  図書館で、たまたま「ベトナムの考古、古代学」(西村昌也氏)と「中世大越国家の成立と変容」(桃木至朗氏)という本が並んでいました。最近ベト ナム歴史映画「西山と愛国」を見て、ベトナム史の遺跡・遺構や、どのような史料があるのか、研究 史、風俗などに少し興味があったので見てみました、どちらも2011年の出版で、いままでベトナム史について知りたかった多くの 情報が掲載されていることがわかり、一部ですが、読みふけって参りました。

 前者は、石器時代から陳朝時代(1225-1400年)までを、考古学、歴史学、地理学、民族学から時代を追って検討したも の。以下目次です。

第一章 北部ベトナムの地理的趨勢―北部ベトナムと紅河平野について
第二章 旧石器時代から続旧石器時代―長く続いた礫石器伝統と洞穴貝塚の出現
第三章 前期新石器時代―開地遺跡と大型貝塚出現が示す定住化の過程
第四章 後期新石器時代―長期安定居住や集団墓が示す定住農耕集落社会の形成
第五章 金属器時代―青銅器製作伝統の始まりと銅鼓の出現
第六章 コーロア城の研究―ベトナム史上最初の大型城郭遺跡の魅力
第七章 初期歴史時代前期(紀元1世紀半ばから3世紀初頭)―在地化する中国的伝統と周縁化した在地伝統
第八章 ルンケー城の研究―初期歴史時代前・中期の中心城郭“龍編”の実態
第九章 初期歴史時代中期・後期素描―根付いていく仏教と中国文化
第十章 タンロン城前史初探―複雑な安南都護府時代あるいはその前身
第11章 独立初期王朝時代から李・陳朝期―ベトナムの基本が作られた10〜14世紀
第12章 胡朝・黎朝初期(15世紀)以降―現代ベトナムに直結する景観や文化が形成される時代
第13章 まとめと展望

こ のうち、1,6,8,9,10,11章を読んできました。第八章で扱われているルンケー城は、後漢後期(2世紀中盤)から隋唐初 期にかけての、中国王朝の 北部ベトナム支配拠点だったと考えられる城郭で、以前遺跡を訪れた後、遺構を撮影したデジカメを失くしてしまったものです。本章 の第四節に、「近年利用可 能になった衛星写真で計測」とあったので、試しにGoogle Mapで確認してみたところ、ずばり遺構が見れました。下はGoogle Mapで見たルンケ-遺跡の位置。右手の赤い「A」の吹き出し部分がバス停のあるザウ寺。画像左の縮尺調製棒の下「-」部の左上に、「ハノイ」の文字が見 えています。概ね左手の川(紅河)の左岸がハノイ市街。ハノイ市街からザウ寺までおよそ20km。バスで約一時間。Google Map座標は 21.037703,106.042507 です。

 下画像は、ルンケー遺跡の土手と壕の跡を赤点で囲ったもの。西辺およそ300m。

  本書第八章では、ルンケー遺跡の発掘情報、図面、発掘瓦の図・写真、近隣のルンケー城の存在時代と同時代と思われる煉瓦墓、文献 資料からのルンケーの説明 が掲載されていて、ひと通りルンケー城の史料と研究状況がわかる非常に貴重な内容となっています(帰宅後確認したところ、同書掲 載の図面や図版の一部が、 こちらの関西大学学術リポジトリに「ベトナム形成史における“南”からの視点 考古学・古代学からみた中部ベトナム(チャン パ)と北部南域(タインホア・ゲアン地方)の役割」にも掲載されていました。この論考も非常に有用です)。

 当時中国国境からバスでベトナムに入り、多少試行錯誤の上ルンケー遺址を探し当てた時は、2000年も前にこんなところまで支 配の及んだ中国古代王朝の凄さに万感胸に迫るものがありましたが、ネットにもハノイ歴史博物館にも、遺跡情報が殆ど無く、残念に思っておりましたが、今回漸く 詳細な情報を知ることができ、また上空からとは言え、画像を目にすることができ、感激しております(参考情報ルンケー遺跡訪問記)。

  第十章は、現在の唐代のハノイに安南都護府が置かれていた時代の都城に関し、発掘情報、文献史料を扱っています。私が訪問した 2007年当時はまだ非公開 で、ネット上にも書籍にもまったくと言っていいほど情報が無く、壁と屋根の隙間からこっそり撮影したカメラも失ってしまい、残念 に思っておりましたが、今 ではこんな感じで映像を診ることができます(中央右に白っぽく見えているのは遺跡にかけたビニールシートか、或いはプレハブ屋根 だと思います。座標は  21.038204,105.838691)

 本章では、この遺跡や唐時代のこの都城に関する論説です(参考情報 タンロン・ハノイ遺跡訪問記)。

  第11章では、李・陳朝時代(10-14世紀)の北ベトナムの遺構・遺物について扱われています。これまで、この時代の風物を視 覚的にイメージできなかっ たので、遺構や遺物(彫像や瓦など)について、体系的な考察を読むことができ、有用でした。ベトナム南部のチャンパーからの、北 部への文化的影響の推測な ども、これまで北部は中国と地元越人の地元文化だけのイメージがあったので、新鮮でした。全然興味の無かったチャンパーにも、若 干興味が出てきました。 チャンパーと北ベトナムの抗争を扱った映画(時代劇ではなく、比較的リアルに製作してあるもの)も見たくなりました。

 中国王朝支配以前の北ベトナム首都遺跡であるコーロア遺跡を扱った6章も参考になりました。この時代のインドシナ半島は、銅鼓 文化圏が形成されており(中国広西省の省都南寧にある広西壮族自治区博物館内の銅鼓博物館に展示されている銅鼓分布図が参考になります。同博 物館展示の銅鼓の写真はこちら)、 それ以上の知識がなかったのですが、本章では、ベトナム北部の紅河平野の出土銅鼓を丹念に精査し、銅鼓製作地が紅河平野中心地帯 であり、銅鼓を輸入した場 所は、平野周辺地帯にわかれるなどの特徴が見られることから、平野中心部は史書に登場するベトナム系甌人、周辺部はタイ系貉人地 域だったのではないかとの 推測は非常に刺激的でした。素人目には一見どれも似ている銅鼓も、細部の形式から数種類に別れ、それぞれの形式の分布から、より 細かい時代・地域の分化 圏・分化交流圏が想定できることを知ることができ、非常に有用でした。

 以下はGoogle Mapで見たコーロア遺跡です(遺跡訪問記はこちら)。ぱっと見でも、三重の濠が明瞭に見分けることができます (特に西側。座標は 21.114088,105.874643)。


 続いて桃木至朗氏著「中世大越国家の成立と変容」の紹介。前述の「ベトナムの考古、古代学」では11章で扱われていた、李・陳 朝時代(10-14世紀)を全面的に扱っています。まず目次です。

対象と問題設定
第1部 経済構造と国際環境(李陳時代の農業社会と土地制度に関する論点整理
金石文に見る14世紀の農村社会
10‐15世紀の南海交易と大越=安南国家
10‐15世紀の対外関係と国家意識)
第2部 中央政権と地方支配(一家の事業としての李朝
李朝の地方支配
一族の事業としての陳朝
陳朝の地方支配)
結論と展望

こ ちらは、時間が無くて、一部の節を読み、ざっと内容を確認しただけなのですが、冒頭の章「対象と問題設定」に、史料と研究史概説 があり、植民地時代の関係 からまず、フランス、続いて社会主義時代の関係からソ連・ロシア、中国による研究史及び、史料解説がなされます。第一部第三章 (10‐15世紀の対外関係 と国家意識)では世界観の話(中世北ベトナムにとっての北、南、西とはどこか。”西"とは、西北の南詔や大理国など、紅河の上流 で、物理的には「北西」の こと)、という話)が当時の意識を知る論考として面白く読めました。北のベトナム国家が、南のチャンパーを一方的に征服していた のではなく、チャンパーか らの北伐も何度か行われ、一進一退の時期もあったことが、ひと目でわかる年表に簡潔にまとめられている点も大きく参考になりまし た。第二部では、年代毎の 中央幹部の役職名表・就任者一覧や、地方の州・県などの階層単位での役職名・就任者一覧表など、まったくイメージのわかなかった 統治形態が、なんとなくイ メージできるようになりました。

 史料解説・研究史解説・世界観・地方行政機構など、私好みの論考が多く、手元に置いておきたくなりまし たが、9975円というのは、ちょっと手がでないのでした。「ベトナムの考古・古代学」は、著者の、「筆者の古代学とは、考古学 のみならず、歴史学、地理 学、民族学などの成果も併せて、過去を検討する方法を指し、いわゆる“古代” の時代のみを研究するものではない(前出の論考の3枚目の注記2)」という姿勢に大変共感するので、これも手元に置 いておきたいのですが、こちらは13650円。二冊で23625円。全く手がでないのでした。両方で1万円くらいになったら購入 するかも。

  私の場合、史料や研究史、現在の研究状況、遺跡や行政機構などがわかってくると、次は建築※・風俗、言語・文学史などに興味が向 かうのですが、両書のお陰 で、ベトナム史に対する関心は、建築・風俗史に向かいそうな感じです。10年後くらいには、ベトナム言語史・文学史などの情報も 入手しやすくなっていると 嬉しいかも。

※後日、図書館で、小学館「世界美術大全集 東洋編1 東南アジア」 のベトナム建築部分を見てみました。図版・解説ともベトナム南部のチャンパー建築が主体で、北部王朝建築の写真・解説合わせて たったの4ページしか無く非 常に残念だったのですが、北部地域には、そもそも14世紀以前の建築は現存していないとのこと。概況さえわからなかったので参考 になりました。そして、北 部に残る現存最古の木造建築は、チュア・ファップヴァン上殿、その次は、チュア・ザウ上殿だと知り、思わずめまいを起こしそうに なりました。

「チュア・ファップヴァン上殿(大楽寺、フンイエン省 14世紀末-16世紀)、チュア・ザウ上殿(延應寺、バクニン省  15-16世紀)が現存するベトナム最古の木造建築である(p106)」

ベトナム最古の木造建築である

ベトナム最古の木造建築である

ベトナム最古の木造建築であ る

  実は、ザウ寺は、漢代県庁のあったルンケー城の直ぐ南側(双方の間は100m程)の地点にあり、ルンケー城訪問時(2007年) に、ザウ寺も見学していた のでした。当時ザウ寺の知識が一切無く、下車したバス停の直ぐ前にあったので、ルンケー城の場所を聞く為に寺に入ってみたとこ ろ、案内冊子を販売していた ので、由緒ある寺で観光地だとは思い、一応ひと通り建築物を見学したものの、まさか、ベトナムで2番目に古い木造建築などとは知 らなかったので、旅行後直 ぐに記載した旅行記に も、ザウ寺観光の感想を残していないのでした。まあでも、一応ザウ寺を観光しておいてよかった(昔チュニジアでは、そこが世界遺 産とは知らず、有料だというだけで見学しなかった経験があるのでした)。

 Wikiのザウ寺紹介記事(ベトナム語)
 ベトナム政府のザウ寺紹介サイト(ひと通りの写真があります)  



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