荊州城

大北門西側登口
大北門(拱极門)南側
兵士営所


 右写真は、城壁にところどころ正方形に張り出している物見櫓の内側。兵士詰め所となっていたらしい。

東門(賓陽門) 付近

 現在の荊州城は、ほぼ明清代の改修で成立したもの。この 場所が利用さ れたのは早く、戦国時代には、楚の役所があり、官船の波止場として利用されていた。秦代も役所が置かれた。三国時代は、当初 劉蜀の支配化にり、関羽将軍が 土塀の城を築いたが、後、呉に破れ、荊州は呉領となった。1186年、南宋時代に磚城とされ、1276年、フビライが占領。 明代に修築され、現在の荊州城 の原型が出来た。現在の城壁、楼閣は、最終的に1646年に大規模改修されたものとのこと。

 上写真、大北門や西門は円形の城壁が、北側に張り出していて、内部の通路はS字形をしている。
 下写真は、西門から大北門の間の城壁。あまり修復の手が入っていない部分。
 左写真は、東門付近。右手楼閣が東門で、少し南をバス通 りが貫通して いる。沙市からバスで入ってくると、最初にここを通過する。

 城壁の周囲は堀が取り巻いている。下写真の左に少しだけ水面が写っている。城壁周囲は、このように遊歩道となっていて、市 民の散歩コースとなっている様 子。城壁から堀まで20m程。

 城壁は、外側は、レンガで舗装されているが、内部は土。ひょっとしたら、内側はレンガ舗装がなかったのか、あるいは近年に なって内側のレンガが撤去され たか、付近の住民に持ち去られたのか、とにかく城壁の内側は、土の斜面になっていて、森林となっていた。 

西門(安瀾門と もいう)

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武漢か ら荊州までバ スで3時間半。荊州中心部は、西側の荊州地区と沙市区に分かれていて、それぞれバスターミナルがあるが、武漢からのバスは、 沙市区バスターミナルに着く。 ここから荊州地区までバスで2、30分程度。東門あたりまでは20分、西門まで行くと30分というところ。荊州博物館は、西 門の内側300m程のところに ある。
荊州城壁は、南北1.5km、東西4km程。近隣には、楚の紀南城遺跡郢城遺跡がある。
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