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紹介
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前278年、秦の将軍白起が楚国の都、郢城(現紀南城と呼
ばれるとこ
と)を攻略した。ために、楚国では、付近に新しい都城を築城した。それが、この郢城遺跡にあたる都城である。楚は、何度か遷
都しているが、それら都城の殆
どを郢と名付けたとのことで、この新しい都も、古い都と同様に、郢という名称だったとのこと。郢城は、方1km程度の正方
形。左写真は、その南西隅付近
の、西の城壁の遺構。高さ3、4m程度、幅は15m程度だと思われる。右写真は、城壁の上に登り、北へ方向を撮影したもの。
城壁上を畦道が通っている。
下左写真は、同じ地点から、南方面を撮影したもの。東へ向かう南壁がなんとなく写っているのがわかるかと思う。黒くみえるの
は、雑草を焼いたらしく、その
焼け跡。 下2枚は、南城壁の中間辺りを、南北に貫通している村道付近。 |
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上中写真は、南城壁を貫通する村道が、城壁を割っている
部分。城壁の
断面が比較的きれいに見て取れる。高さ3,4m程。幅10m程。左端にゴミが散らかっていて汚い。 上右写真は、村道の同じ地点から、東方向を撮影したもの。村道から30m程の部分は、城壁が崩れていて、ただの畦道となっ ていて、30m先から、 3,4m程盛り上がっている。 右写真は、西城壁から眺めた付近の様子。畑、池、農家が点在する、このあたりでは一般的な農村風景となっている。 【旅行情報、近隣の史跡・遺跡】 左写真は、付近の遺跡の配置。郢城は、右下の、線路の西側にある、ピンク色の四角の部分。その左上(北西)にある、大きな 四角の部分が、紀南城。更に、 一番下の、東西に長い長方形は、明清代の荊州城。 紀南城の遺跡情報はこちら。明代荊州城 についてはこちら。 |
【郢城への行き方】 荊州城の小北門をでて500m程北上すると、ロータリーがある。ロータリーを右(東)に曲がって3km程直進し、突き当た りを左に曲がる。そこから更に 1k程 北上し、T字路を左折(西へ向かう)して500m先を更に右折(北へ)。500m先程で、南城壁にぶつかる。 この郢城村付 近は、地図でも詳しく記載され ていない。地図によれば、、郢城村とは、郢城二(?人)、郢城三(?人)、、郢城四(?人)、郢城五(?人)、郭家台の五つ の集落の集まりを指すらしい。 この村の付近の道路が、地図にはまったく記入されていない点が面倒。 |
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