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中国経済史指標値一覧


【1】総人口と官吏の数



春秋
前漢
後漢
西晋

北魏
北周
北斉

盛唐
中唐
北宋
金・南宋






成王時代
前639年 2年
156年
280年
464年
550年頃
578年頃
577年頃
609年
755年
780年
1086年
1190年
1296年

1578年 1750年
1820年
人口(万) 1370
1184
5959
5648
1616
468
500
901
2000
4602
■7695
2300
8014
金4545・宋5700計9245万
6000

16200
26000
38100
対前漢人口比率 23%
20%

95% 27%




77%
129%
39%
134%
155%
100%

271%
436%
639%
役人数(計)
127350
130285
152986
118672




202186
368668








官僚(計)



7567
6836
6172
7764
21073

12576
18805

18800
19700/33016/52716
16425/
26690

24683

 内官
2643


1055
894
823
2371
2989
2322
2581
2620







 外官
63675


6512
5942
5349
5393
18084

9995
16185







吏(計) 61032


145419
111836




183381
349863








 内官



14225 189
1461



1664
35177








 外官



131194 111647




181697
314686




























人口あたりの役人数 0.92%

0.22%
0.27%
0.73%




0.44%
0.48%








対前漢官吏数*7 0.97


1.17 0.91




1.55
2.83









*1 人口の出典 前漢代は「漢 書」地理志28巻下及び「通 典」巻7食貨7の双方に同じ記載がある。後漢時代 の出典はこちら唐代以降元代までの出典はこちら明代から清代までの出典はこちら。周・春秋及び西晋から隋までは「通 典」巻7食貨7。年号は基本的に人口のもの。役人数は表記載の年号とは若干ずれているものもある。ここでは近い年号のものを採用し た。
*2 役人数の出典 前漢代「漢 書」百官公卿表第七、周と後漢の役人数・内官・外官・官僚・吏の出典は杜佑の「通 典」巻36職官18、西晋と宋は「通 典」巻37職官19,、北魏と北斉は「通 典」巻38職官20、隋は「通 典」巻39職官21、唐は「通 典」巻40職官22(737年の数値)
*3 「通典」は、日本では北宋版 通典 : 宮内庁書陵部蔵 全八巻 長沢規矩也 編,尾崎康 編 汲古書院 1980 が出ている。

*4 内官は中央政府、外官は地方政府、吏は「通典」では”職掌”と記載されており、下級役人を指す。他に胥吏・雑任とも記される。役所の事務・ 門番など下働き、公共活動の現場作業員などに対する農民の徭役が大半だと考えられる。”左史”と称される役人は、在地豪族一族だったと考えられ、 雑任”と称される役人が農民の徭役だったと考えられる。漢代から金代までの官僚数の出典を記載した一覧表が池田温「中国律令と官僚機構」(『仁井 田陞博士追悼論文集 前近代アジアの法と社会』1967年(勁草書房)p149にある。宋・金代役人数はこちらから引用。周の役人数出典は「通 典」巻36職官18。周に限っては、「官僚」のみが周国の役人数であり、吏の部分の61032とは、諸侯国の役人数(卿・士大夫など 周代封建制の封建領主)。通典の記述から、周初の数字と思われる。

*5 中央地方官庁の役人名別人数一覧表は、池田温「律令制の形成」(『岩波講座世界史5 古代5』1970年)p300-304に中央・地方全 ての各官職と各人数一覧表がある。出典は「唐 六典」とのこと。これに■よると、総員27万人となる。37万人とはだいぶ差があるものの、1万とか50万という数字にならない。「資 治通鑑」巻213には、733年の役人数として、官僚17686人、左史以上の吏57416人と記載されている。合計で75102人 となり、残り約30万人が農民の徭役である雑任であると推測される。

*6 宋・金・南宋の官僚数は池田温「中国律令と官僚機構」(『仁井田陞博士追悼論文集 前近代アジアの法と社会』1967年(勁草書房)p149から。宋の官 僚数の典拠は続資治通鑑長編386巻から、南宋の典拠は「建炎以来朝野雑記甲集12(1191年の数字)」、金の数字は「金 史」55巻から1188年の数字。清乾隆時代に編纂された「続通典」には、金の官僚数19700、元16425人、明24683人、 「元典章」には元の官僚数は、26690人と記されているとのこと。

*7 前漢末の役人数を1とした場合の、他の時代の役人数比率


【2】 耕地面積と生産量の変遷



前漢
後漢/144年
隋/589年
隋/616年
盛唐/天宝年間
中唐
北宋

明/1393
明/1542年


1950年
万畝
8億2700 6億8963
19億4042
55億8544
14億3038
1億1000
4億6165

8億8046
4億3600


16億
平米/1畝
142.5m2 460.37m2 317.4m2 
522.15m2 
522.15m2 
580.3m2     
580.3m2 
565.5m2 
565.5m2 580.33m2 580.33m2 614.4m2 614.4m2
1人当たり畝
13.9畝
13.87畝

121畝
27畝



12.76畝 3.02畝



1人当たりm2
6388m2
4402m2

63371m2
15685m2



7405m2
1757m2



総石高

























































































-----------














*1 前漢後漢の開墾地は「『通 典』食貨第一田制上」、隋唐の開墾地は「『通 典』食貨第一田制下」
*2 隋代の開墾面積は突出しすぎている。恐らく一桁低い値(開皇9年が1億9千、大業12年が5億5千)との可能性がある
*3 明代の開墾地は川勝守著「明清貢納 制と巨大都市連鎖」(2009年汲古書院)p28から(更にその引用元は梁方仲 「中国歴代戸口・田地・地・田賦統計」(上海出版社1980年)乙表29)。明代1390年の人口は6900万、1540年は14400万(引用元はこちら


【3】 国家財政収入

  

前漢
後漢
盛唐
中唐
北宋

南宋





穀物一石価格

100銭

400文









人頭税

41億
200万貫









  一人当たり



37文









地租(石)



2500万








 銅銭枚数換算
70億
100億









商税

38億










物納

12.8億
133億









雑徭(銭換算額)
103.5億

92億









兵役(銭換算額)
238億

82億









総税額

267億

427億









 一人当たり

448銭

807文









対前漢税収比率(額面)












対前漢税収比率(穀物価格調整値













徴税率














*1 この表には兵役は入っていない。この表の雑徭とは末端の下級役人(吏)業務に相当する部分を意味する
*2 「銅銭枚数換算」の単位は銅銭枚数(漢代は「銭」、唐代以降は「文」)。1貫=1両=銅銭1000枚。「銅銭枚数換算」数値は「穀物一石価 格」に石高を乗した値
*3 物納は、絹・綿布など。漢代の物納は藁。盛唐は「『通 典』巻6賦税下大唐」より、銭200万、粟2500万石、絹740万匹、布(麻)1605万端、綿185万屯、計5230万余万端疋 屯貫石。絹一匹550文(728年:唐会要巻40定赃估(『比較国政史研究序説』「中国古代専制国家論」渡辺信一郎p111の註39。こちらのサイ トにも唐会要の記載部分の引用があります)。絹740万匹=41億文。物納課税は丁男一人あたり(絹2丈+綿3両)又は(麻布二丈五 尺+麻糸三斤)。徭役は50日で一日当り50文(宮崎市定「大唐帝国」p374)、布目潮風・栗原益男「隋唐帝国」p200には、役1日は絹三 尺、麻布三尺七分五寸に相当するとある。「唐代财政史稿」(李锦绣著北京大学出版社1995年)によると絹40尺=1匹、麻一斤=絹4尺とのこと なので、絹3尺41文となり、宮崎市定の概算値50文と大きくは違わない。更に絹3尺=麻布3尺7分5寸、麻布1尺=約11文、一端は5丈(50 尺)であることから、1605万端=88億2750万文となる。絹2丈=20尺=0.5匹=275文、麻布2丈5尺=275文、麻3斤=絹12 尺=165文であることから、物納額は440文に相当し、綿3両は165文相当、1両37.3gなので3両は112g、綿1屯は綿一 屯=223.8gであることから230文となる。結果、綿185万屯は4億2550万文となる。「通典」巻6によると天宝年間の丁男数は820万 人なので、兵役は20日*50文*820万=82億文となる。

 一方、盛唐の丁男の課税額は租2石(800文)+調(440文)+庸20日(1000文)=合計2240文。政府の末端業務である雑徭(吏の業 務)50日は、課税額の半分に相当するとされているので、1120文*820万=92億文となる。92億は吏の雇用費なので、92億を唐代吏の人 数35万で割ると、一人あたり26、285文となり、下級役人の年俸1万文を大きく上回ってしまう(日当50文換算365日働く場合年俸 18250文となる)■。また820万人が年間50日働くとすると、通年雇用者数換算で112万人雇用相当の労働力となる■。

*4 商税は、塩・鉄など。漢代税収の引用元の詳細はこちら


漢代の一人あたりの徴税総額448銭は、一人当たり貨幣流通量470銭とほぼ等しい。流通貨幣はほぼ納税の為に利用されたと言えそう。

【4】 貨幣流通量



前漢
後漢
北宋 南宋 金・南宋
年間貨幣発行額

2.3億


165万貫






  −銭換算額

2.3億


16億5千万文






総流通量

280億


1653億文






一人当たり流通量

470銭


2683文






対前漢一人当り流通量(額面











対前漢税収比率(穀物価格調整値)










対前漢一人当り流通量(穀物価格調整値)
















































【5】 下級官吏と農民所得



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