@ 南越国宮署遺跡博物館。中山路に面してい
ます。入り口は、中山路に面した南側。 A Aの字の上に点、中山路に面したところに、南漢国の王宮遺跡がある記載されている。行ってみたところ、工事中で、壁に覆われており、入れない。遺跡を 保存する工事なのか、遺跡は破壊して、通常のビルにする工事なのかはわからなかった。 B 南越国関連遺跡だが、ここも工事中となっていて、見れなかった。 C Cの字の右下、中山路と、北に向かう通りの角。南越国の王宮と記載されていた記憶があるが、普通のビルが建っていた。 E 北京街の通り中央には、宋〜明代の路面遺跡しかなく、南越時代の遺跡はなかった。 F Fの字の下、西湖路の通りに面したビルの地下にあたる場所だが、ビルはショッピングセンターや証券会社の雑居ビルとなっていて地下に入ることはできな かった。 G 西湖路の南の光通広場という大きなショッピングセンター。この地下に、南越木构水闸がある。 H Hの字の左下、西湖路と、教育路の交差点の角に、南漢王国時代の遺跡がある。もともと南漢の皇族の離宮のようだが、その後地元の名士が集まる場所とな り、「薬州」といわれるようになったとのこと。宋代の書画家米芾の碑文をはじめとして、名士の碑文がある らしい。現在整備中で、「九曜園」という名称で公開するらしい。 I Iの文字の上、中山路と教育路の角。駐車場となっていた。遺跡は取り壊された模様。 J、K 中山路と教育路の角、人民公園の敷地に記号があるが、ここは地下鉄の駅(公園駅)となっていて、地下にはショッピングセンターもある。遺跡は取り 壊されたのではないかと思われる。 総合すると、遺跡があるのは、@、E、G、Hとなり、A、Bが未確認ということになる。 |
||
旅行情報、近隣の史跡・遺跡 | |
|
遺跡の場所について
は、こちらに地図がありますのでご覧ください。 近隣の遺跡としては、前漢時代の南越王国2代目国王の墓の遺跡、南越王国から清時代までの王宮 の遺跡があります。南越王国のものはこちら。南漢王国のものはこちら。宋 元明代の道路の遺構はこちら。更に、南越〜漢の ころの水門の遺跡があります。他に南漢国王の墓が2つあるらしいが、場所については未調査。 GoogleEarthの場所は以下。 23° 7'38.38"N 113°15'48.82"E |