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紹介
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南
漢王国の王宮遺跡です。
南漢王国(917-971年)は、唐朝が崩壊し、各地の軍事行政総督ともいうべき節度使が独立して、中原の正統王朝以外に、
各地に十の国が独立した、五代
十国のうちの一つです。広東省の広州を中心に、だいたい今の広東省あたりを勢力範囲としていました。 この王宮遺跡は、南越王宮遺跡と同じ場所にあります。代々の王宮は、同じ場所重複してあるのですが、遺構北側の、この写真の 区域だけは、ほぼ南漢の遺跡だ けで閉められています。遺構敷地は、L字型をしていて、L字の左側のIの部分が、この写真の遺構部分となります。 |
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写真上の右側が、右上の写真に続きます。宮殿の土台のよう
な方形の土台
が、多数、規則正しく縦数列・横数列に配置されています。奥の方に青く見えているのは、発見された遺物で、ビールのビンを入
れるようなケースに満載され、
数段につまれています。これが、この遺跡ドームの中に、ビールの配送倉庫のように山と積まれているのを見ると、整理する・復
元するのに、何十年かかるのだ
ろうか、と気が遠くなりました。敷地内では、復元・資料作成作業員の方の作業場所が、ガラスの部屋となって、3名の作業者の
作業を見学することができま
す。一人は、磁器の破片から復元を行っていて、一人は拓本をとっていました。もう一人は、遺物の図を書いていました。 |
左写真は、排水・水道遺構の跡。下水上水設備が、上下2段
になっていた ようです。 この遺構は、写真撮影は禁止されているのですが、こっそり撮影してしまいました。2000年に発掘されたばかりとのことです ので、まだ日本の観光ガイドに は載っていない可能性があります。西漢南越王墓は、出土遺物においては、価値が高いのですが、遺跡自体については、こちらの 方がお勧めです。宣伝のため に、写真入りで掲載いたします。もしクレームが来た場合は、削除いたします。 |
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旅行情報、近隣の史跡・遺跡 | |
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遺跡の
場所について は、こちらに地図がありますのでご覧くださ
い。 近隣の遺跡としては、前漢時代の南越王国2代目国王の墓の遺跡、 南越王国から清時代までの王宮 の遺跡があります。南越王国〜唐代まで はこちら。また宋元明代の道路の遺構もありま す。更に、南越〜漢のころの水門の遺跡があります。他に 南漢国王の墓が2つあるらしいが、場所につい ては未調査。 GoogleEarthの場所は以下。 23° 7'43.19"N 113°15'52.83"E BACK |