2011年10月10日作成
第一次ブルガリア王国歴史映画「黄金の世紀」(シメオン王) 第九から第十一話

  第八話の続き。897年 頃から917年を扱った、「黄金の世紀」第九話から十一話のご紹介です。シメオンの統治は927年まで続き、921年と924年 にもコンスタンティノープ ル城壁に迫るのですが、大勢としては、917年をピークにシメオンのビザンツへの圧倒的優位性は失われ、軍事的優位性を保ちなが らも、国力を消耗し、ビザ ンツに対する政治的敗北を重ねることになります。本作は、917年までを「黄金の世紀」と名付け、917年で終わらせたのは、正 解だったのではないでしょ うか。

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第九話

 この回は、ラスト5分になるまでシメオンは登場せず、ハンコの事跡だけが描かれる。

  冬。雪山を馬をひいて歩くハンコ。薬師の家に到着し、しばし薬師と歓談した後、更に歩き続け、土地の豪族と思われる家を訪ねる。 そこは木柵で囲まれた屋敷 だった。門番が入れてくれないので、柵を越えて勝手に入るハンコ。門番の親父は斧で襲ってきたので、思わず背負い投げで気絶させ てしまう。内側から門をあ けて馬を入れていると、弓と犬を持った家人達がやってきて弓を構える。家の主人の老人はブルガリア語を解し(ブルガリア人かも知 れない)、ハンコがしてい る指輪(以前軍功を上げたときにシメオンから貰ったもの)をみた老人は、どこから来た、とブルガリア語で尋ねる。クニャーザット と答えるハンコ(ブルガリ アкнязътは王子、君主の意味だが、この場合は、「ブルガリア王国」と解釈することにする)。娘か孫くらいの年齢の若い妻に 事情を説明する老人。老人 はブルガリア語ができるが、妻には言葉が通じないようだ(その後、妻は片言のブルガリア語ができることがわかる)。ここがどこだ かまったくわからないが、 老人はハンコを受け入れ、そこで暮らすことになる。

 夜、老人に聖書を読むハンコ。家人と一緒に乗馬や弓のゲームをしたりして過ごすハン コ。彼らにブルガリア語で聖書の朗読をする(この経緯を見ると、ブルガリア語、またはスラブ語ができないのは、マジャール人と思 われる妻だけのようであ る。当時はまだ、スラブ系言語の分裂は大きくはなく、現在よりも通じやすかったようである。そして現在でさえ、スラブ系言語話者 は、お互い半分くらいはな んとなくわかるらしい)。そして、遂に文字を地元の青年たちに教えるのだった。

 ある日、老人の妻が客人を連れてくる。何かの祝日のよう だ。屋内に入れたところ、客人が妻に抱きついてきたので、妻はハンコ!と叫んで逃げる。妻は駆けつけたハンコに抱きつきキスしそ うになるが、客の男が襲っ て来たため、キスには至らなかった。しかし、どさくさにまぎれて、老人の妻がハンコに興味を持っていることがわかるのだった。客 の男は家人の私兵に捕まり 縛られて閉じ込められるが、夜、ハンコは彼を連れ出し、林の中で、弓で決闘する。ハンコの方が数段速撃ちで、あっさり勝つ。翌日 遺体を発見する家の人々。 決闘を白状するハンコ。

 春。魚釣りをする家長の老人。それを見ている妻とハンコ。老人は、魚を釣り上げた時、よろめいて川に落ちてしま う。直ぐに助けようとするハンコを止める妻。数秒間止めたあと、老人の妻は手を離し、ハンコは川にと飛び込むが、水は濁っていて 見つからない。ハンコは川 の対岸にたどり着きそのまま去るのだった。恐らくその若妻に恐れを怒りを持ったのだろう。ハンコの旅はここで終わり、ブルガリア に戻ることにしたようであ る。

 ブルガリア本土に戻ったハンコは、実家の村の司祭だった人に会いに行く。苦しい胸のうちを明かされ、力になろうとするハンコだ が、 デヴォロの息子ミハイルのことを聞くと、突然ミハイルを探しに行くことにしてしまう(デヴォロの息子がボヤール・ステファンの元 に預けられている話は、第 七話の最後でも出てくるが、どうしてその時は探しに行かなかったのかは、よくわかりませんでした)。ステファンの屋敷に入るハン コ。その屋敷は、城壁に囲 まれた小さな村と言って良い規模だった。

  ミハイルを探しに来たハンコは、勝手に屋敷に侵入しようとして家人と口論になり、思わず2階から投げ飛ばして殺してしまう。家人 達が襲ってきて、更に 2,3人殺してしまう。最後は棍棒で殴られて気絶するハンコ。水をかけられ目覚めてみると、足枷をはめられ、ステファンがいた。 下記右がステファン。左が 奴隷頭(のような立場の男)。ステファンにデヴォラの息子・ミハイルのことを尋ねるが、ステファンは聞く耳を持たない。そして、 奴隷として酷使されること になるのだった。

  奴隷頭は、ハンコの指輪を奪おうとするが、指から抜けない為、ハンコの指を切断してしまう。発熱して寝こむハンコ。ところがま た、その屋敷に住む女性がハ ンコを介抱してくれるのだった。どこまでも女性にもてるハンコである。熱にうなされたハンコはデヴォロと口にするが、それに対し て女は、私はイデというの よ、と名乗る。回復した後も、足枷をしたまま川から水をくみ上げる水車を回す労働させられることになる。雨の日も雪の日もはだし でまわし続けるハンコ(よ く観たらさすがに雪の日は何か履いていた)。イデが食事をもってくる。ホントハンコもてる男である。

 まだ雪の残っている小春日和のある 日、ある母と子供がハンコを見に来る。少年はミハルチョ(日本語のニュアンスでは、ミハイルを、「XXちゃん」と呼ぶような感 じ)。ハンコは母親に向か い、5年前に拾った子だろ、というと母は子供に石を投げろ、という。石を投げられるハンコ。そして奴隷頭に鞭打ちされるのだっ た。しかし、イデが止めに来 る。更に、納屋のようなところに閉じ込められるが、イデが鍵を持ってきてくれ、足枷を外してくれる。雨の日。急いで!とイデは逃 がしてくれるのだった。そ うして、逃走したハンコは、乞食同然の姿で杖をついてプレスラフに辿り着き、カラーチを訪ねるのだた。下記は、建設されたばかり のプレスラフの城門に向か うハンコ(プレス ラフの遺跡紹介はこちら)。

 カラーチの前で泣き出すハンコ。そしてどうやら、ハンコは修道院に入ることにしたようである(この時ハンコは、左から十字を 切っていた(正教会は右から)。番組製作者の誤りなのだろうか。それとも当時はこれでよかったのだろうか?)。

 ところで、マジャール人のブルガリア襲撃は895年の事なので、それから5年経っているとすると、この時は900年頃の筈であ る。しかし、次の場面はくシメオンが死の床のボリスを見舞う(ボリスの死は907年)場面となっており、若干史実を縮めているこ とがわかる。

 
第十話

 建築中の教会を訪問するシメオン。カラーチと見て回る。シメオンの頭髪に少し白髪が見て取れる。この頃(ボリス死去の907年 頃)はシメオン43歳くらいの筈である。概ね年相応の老けメイクになっている感じ。

  修道院で学んだ学生の卒業式。シメオンが公式的な装束、王冠、宝玉、王杖を持って王座についている。イメージ通りのシメオン像で ある。そしてハンコが何か を朗読している。聖歌マンガーヤーレーター(многая лета)の大合唱が行われる(マンガーヤ・レーターは、ブルガリアの教会でよく歌われる聖歌です。私はこの合唱が大好きです。youtubeで探してみ たところ、意外に多くのバージョン(ちょっとした声調・音程の違い)があることがわかりました。ブルガリアにいた時に教会で聞い た本曲や、ブルガリアで購 入してきたカセットテープ、更に本「黄金の世紀」で流れるマンガーヤ・レーターは、同じ曲調なのですが、どういうわけか、 youtube上には様々なバー ジョンがあり、私の好きな曲調に完全に一致するものは探し出せなかったのですが、もっとも近いものは見つかりましたので、こちらのURLを張っておきます。ご 興味のある方は、50秒までは前奏ですので、50秒以下をお聞きください)。7年間学んだ人の卒業式。ハンコも呼ばれ、叙任のよ うなものを受ける。そして どこかに派遣されることになるようである。次の場面は、シメオンが執務室でハンコのことを重臣達と相談している。どうやら、有力 ボヤール(貴族)・ステ ファンがハンコにいい感触を持っていない為、その処遇についてもめているようである。どうやら結論が出ないまま、シメオンは写本 室に籠もってしまう。なん だか、逃避しているようで、面白かった。

 さて、どうやらハンコはどこかに派遣されるようになったようである。途中まで見送るカラーチ。小さい十字架をカラーチに渡すハ ンコ。抱きしめあう二人。去ってゆくハンコ。ずっと見送るカラーチ。

  数年がたち、どうやら、913年となったようである。アレクサンドル・バシレフ・ルメイニという言葉が出てきているので、どうや ら、コンスタンティノープ ルでは、アレクサンドロス(在位912-913年)が即位したことが、シメオンの宮廷に伝わった時のことが描写されているようで ある。史実では、アレクサ ンドロスが、レオン6世時代に結ばれた条約の一部を反故にし、対ブルガリア強硬路線に転じているので、この時の映像はそのあたり の事情を描いているものと 思われる。家族に見送られて別れの出征をする兵士達。建築現場でそれを見るハンコ。その時ハンコは円形の教会堂を建設していた。 当時の建築としては独創的 な形式である。また、同時に教育も行っているようで、写本室の4人の学生に本を読むハンコは先生と呼ばれている。その生徒と一緒 に教会を作っている。いつ のまにかハンコもマイストール(巨匠)になっているらしい。更に小麦畑もつくっているハンコ。自給自足である。弟子達と収穫して いる。まさに、修道士の生 活が描かれている。

 一方の都、コンスタンティノープル。これまで何度もシメオンと交渉してきたビザンツの外交官がコンスタンティノス7 世と家臣、総主教と相談している。戦争よりシメオンとの交渉を望む外交官。戦争を望む家臣達。下記はコンスタンティノス7世。ブ ルガリアとビザンツの戦争 は913年に行われている為、この時のことと思われる(定説では、この時のコンスタンティノスは8歳くらいの筈である)。

  聖堂で戴冠するシメオン。アクシオスの大合唱。インペラトリー・リムスキー(ローマ人の皇帝)の称号を得る。挨拶するビザンツの 使者たち。ロメイスキー (イタリアのローマのこと)、フランクからも使節が来ている。式堂を出て、シメオンに戴冠したコンスタンティノープル総主教(恐 らくニコラオス・ミュス ティコス)と会話するシメオン。シメオンが、「あんたはバシレフサ(バシレオス=皇帝)と同等だからな」、というと、総主教は、 「誰もバシレフサと同等な 者はいない」、というのだった。テルベル時代からルメイスキー(ローマ人の土地=ビザンツ)を助けてきた、というシメオン(これ は、ブルガリア第二代の汗 テルベル汗(在701-718年)が、バシレフス・ユスティニアン二世(ユスティニアノス二世)の復位に協力し、コンスタンティ ノープル奪回を行った 705年の事件のこと)。テルベルの話を持ち出して、事実上力の脅しをかけているのである。なお、913年のシメオン戴冠は、コ ンスタンティノープルで行 われたのであるが、残念ながら、本作品の映像には、コンスタンティノープル的な映像は一切無かった(どこの教会であっても良いよ うな映像だった。少し残 念)。

  その後、恐らくシメオンがブルガリアに帰還した後、これまでブルガリアとの交渉を行ってきたビザンツの外交官(テオドール)が、 総主教らしき人(恐らく、 退位させられたエウテュミオスだと思われる)からなにやら宣告を受けている。シメオンはクニャージ(王)と呼ばれ、コンスタン ティノス7世は、バシレフ サ・コンスタンティン(皇帝コンスタンティン)と呼ばれている。このあたりは殆ど何も聞き取れなかったのだが、恐らく、反ブルガ リア派が、シメオン戴冠を 無効とした一件を描いた部分だと思われる。

 ゾエに会うニコラオス総主教。シメオンは強い!と言い捨てて去る。知っている!と応ずるゾエ。下記は、コンスタンティノス7世 の母として摂政の地位にあり、反ブルガリア派として宮廷内の権力を掌握する為、権力闘争に余念の無いゾエ。

 全ブルガリアの皇帝として戴冠するシメオン。

 もう、ホント、イメージ通りのシメオンの姿。

だ が、戴冠後直ぐにまたも写本室に閉じこもってしまう。写本室は、シメオン即位当初よりも、結構広くなり、書籍も充実している。そ こにクリメント(キリルが 作成したグラゴール文字を改良し、現在のキリル文字を発明し、オホリド(現在のマケドニア共和国にある)の学校で文字と聖書・文 学など、教育に尽力した。映画「ボリス一世」第 二部で詳細に描かれている)がやってくる。


 イコンを完成させるカラーチの作業を見るシメオン。

 コンスタンティノープルでは、摂政ゾエと外交官テオドールが会談していた。新たな陰謀の相談である。917年の話の筈である。

  西にブルガリア軍がいて、ギリシア人の土地に来るには三ヶ月かかる。休憩も必要だ。7万の軍がいるが、4万の軍しかそろえられな い。我々は7万を用意でき る(と会話しているようである。間違っているかも知れない)。ブルガリア軍を拡散させるため、ペチェネグやセルヴィス・ジュパン (セルビアの君侯)、マ ジャール族などを用いて西部国境にブルガリア軍を張り付けにする、などの策が検討される。そしてまたもブルガリアとビザンツ間の 戦争が勃発する。シメオン の宮廷でも対策が練られるのだった。


第十一話


 冒頭、白髪になったハンコが登場する。もう年なのに、また戦争にいくのか?三回戦争に行っているのに?と同僚に言われるハン コ。建築中の円形の教会は完成した。思い残すことは無いのか、またも軍隊に身を投じるハンコ。

 917年夏8月。進軍するブルガリア軍とビザンツ軍。
 軍隊に復帰したハンコをみて喜ぶ昔の同僚たち。みんな年を取った。軍装するハンコ。兵士の中に、彼の弟子がいた。「先生」と跪 く。

 シメオンと高官達が作戦会議を開いている。明日、コンスタンティノープルの中心へ!と締めくくるシメオン。
  今回は、建築家のカラーチも何故か軍に同行していた。そして野営地でカラーチとハンコが再会する。その後、カラーチは一人で散歩 していて、山の中で教会の 遺跡を見つける。古代ローマの神殿のようだ。興味を持って調べようとした時ルメイ人と間違えられて、ブルガリア兵に弓で背中を討 たれてしまう。

  シメオンの帷幕では、相手の軍勢について、7万。。。。とため息をついている。そこにハンコが面会に来る。作戦の提案のようだ。 シメオンは何かが3つあ る、と語り、一つ目と二つ目について語り、3つ目は忘れたという(なにか重要そうなことのようだったが、何度聞きなおしても聞き 取れませんでした。残念で す)。ビザンツ側では戦勝祈願の儀式を行っていた。蛮人を滅ぼせ!と祈る。ブルガリア軍は、再びコンスタンティノープルの見える ところにまで達した。

 シメオンは全軍の前で剣を振りかざして演説する。

 下記は典型的なブルガリア歩兵。

  そして最後の激戦。会戦の最終局面で、最後に残った一軍を率いてシメオン自ら出陣し、合戦に加わるが、敵兵に落馬させられてしま う。ハンコが、落馬したシ メオンの前で仁王立ち。ついに退却するビザンツ軍。この戦闘で6万のビザンツ軍が死んだ。ハンコは生き残るが、シメオンの息子は 戦死したようである。その 遺体に、ハンコが十字架の首飾りを備えていた。長年シメオンと苦楽を共にしてきた重臣達の何人かも戦死した。
 兵士が道をあけるように両側に列を作り、盾を打ち鳴らす。その間を馬に乗ったシメオンが歩く凱旋式が行われる。敵の旗が次々と シメオンの前に倒され、それをシメオンの馬が踏みつけてゆくのだった。
 
 その頃、ハンコは、凱旋式に参加せず、一人、林の影で鎧、盾、斧を投げ捨てていた。馬を引いて去ろうとするが、カラーチの遺体 を見つける。遺体を寝かせ、本を開いて顔の上に載せてあげるハンコ。

 こうして物語は終わる。
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