中世ルーマニア歴史映画「ダーク・プリンス」

  2003年米国のブラド・ツェペシュ(1431-1476年)を描いたテレビドラマ。ルーマ ニアが経済回復し、上り調子の国情で製作したのかと思ってみていたのですが、ブラドがあんまり英雄な感じでもないので、確認して みると、米国の製作(映画情報はこちら)。 正直大して面白くも無かったので映像付で紹介するほどでも無いと思いつつ、つい載せてしまいましたが、歴史に舞台をとった内容で はあっても、歴史映画では なかったですね。それはラストでわかるのですが、実は 冒頭、タイトルバックに表示される、「世界がその伝説を知っている、多く の人がその神話を知ってい る。しかし真実はほとんどの人が知らない」というナレーションから推して知れてしまうような話。

 最近では、ツェペシュの話となると、SF映画「アンダーワールド」とか、「ヴァン・ヘルシング」の影響で、これらの作品を思い 浮かべてしまうのですが、実はこの映画は、そんな先入観と偏見に答えてくれる配役と演出ぶり。

 雷に照らされるヴラド公は、まさにイメージそのもの。映画「アンダーワールド」をイメージさせるショット。黒い革ジャンみたい な装束と長髪は、どことなく現代暗黒街をさすらう青年風。下は、裏切り者の封建領主を串刺し処刑にしたところ。こちらのWikiにも画像が紹介されていますが、 串刺しを見ながら、食事をしている場面。特に異常者というそぶりは無く、嗜虐性を好むとか、精神的な不安定さが目立つこともな く、異常なほど残虐なわけで は無く、どちらかというと、合理的な理由から、処罰を重くしている、という感じなのですが、そうは言っても、たまたま町に出た后 妃が、犯罪者を町の繁華街 で白昼堂々串刺しにしたりする場面に遭遇し、やっていられなくなって出奔してしまうくらい、普通ではなかったとは言えそう。

下は、オスマン軍。オスマン軍とはいえ、実際の中身は、ワラキア人の軍隊。ハンガリーとオスマンの間で揺れるワラキアの情勢が良 く出ているとはいえる場面。装備の映像が珍しかったから、載せてみました。映画「シュテ ファン大公」と異なり、ポー ランドは出て来なかったのですが、ポーランドが関与したのは、地理的に見て、主にモルダ ヴィアの方だけだったのかも知れません。

下左はブラドの宮廷にやってきたオスマン使節。ターバンかぶった使節の間に、王座に座るヴラドが見えています。以前ご紹介した映 画「シュテ ファン大公」 に出てくるシュテファンの宮廷と比べると全然華やかではなく、暗く、ガランとしいるところが特徴的。まぁ予算がなかっただけかも 知れませんが、ヴラドの性 格が反映した宮廷、という感じもします。下右は、ハンガリー王マーチャーシュ・コルヴィヌス。オスマン軍が城を急襲し(このとき 妻のリヴィアが塔から身を 投げて自殺し、異母兄弟のラドーと、リヴィアの父、アランが入城し、ラドーがワラキア公につく)、ヴラドはハンガリーへ逃亡し、 王に援助を依頼するもの の、冷たく断られているところ。マーチャシュ王の映像も初めて見るので載せてみました。マーチャーシュ王の宮廷は、16世紀イタ リアの大商人の家という感 じ。家具とか内装が。イコンが壁に飾ってあるのですが、これが近世の額縁がとしか見えない。15世紀ワラキアが本当にこうだった としたら驚きですが、実際 はどうだったのでしょう。。。

  この後、牢屋に幽閉され、1464年に、マーチャーシュ王の娘と結婚し、カトリックに改宗することを条件に自由となり、ハンガ リーの支援の元にワラキアに 戻るのですが、弟のラドーと決闘し、殺されてしまうという、史実を無視した展開。そして、冒頭で予告されたように、神話が誕生。 ネタばれになるので書きま せんが、見当はつくものと思います。しかし、これを、「真実」と言われてもなあ。。。なんか「今の時代、この程度は奇を衒った、 という程のものでも無く、 既に誰かがやってそうなアイデアですが、まだ映画では無いようなので、やはり抑えておこうかな、と思い、作ってみました」という 製作者のコメントが返って くるのではないかと思わせられるラスト。それにしても、現代になってからウラドの棺を発掘調査したところ、獣の骨しか入っていな かった、というのは本当な のでしょうか?

 時間の無駄だったとさえ思えるような作品でしたが、ひとつ発見もあり、収穫はありました。ヴラドが、多くの領主と晩餐に 招いた席で、「ルーマニアの統一」という言葉を口走るのですが、そういえば、「ルーマニア」という言葉や概念はいつ成立したので しょうか。ワラキア・モル ダヴィア・トランシルヴァニアにいる民族について、同一民族という自覚はあったのかも知れませんが、「ルーマニア人」という言 葉、及び、一つの民族名で認 識したのはいつからなのか。少し調べただけではわからないので、いづれ、調べてみようと思います。あ、あと、弟のラドーがモルダ ヴィアのシュテファン大公 の娘と結婚していたようなので、この辺も、当時の政情の理解を進める助けになり、よかったかも。ついでですが、映画の最初の方、 少年時代、兄弟がオスマン 宮廷に人質になっていた時の場面が少し出てくるのですが、メラト2世の映像も少し出てました。

ルーマニア製作正統派「ヴラド・ツェペシュ」の映画第 一部 の紹介・感想はこちら。第二部 の紹介・感想はこちら

ルーマニア歴史映画一覧表はこちら

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