滿堂客家大圍(满堂客家大围/満堂客家大囲)
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滿堂客家大圍は、広東省韶関氏始
興県隘子鎮にあり、始興県の県城から65キロ南に位置する。清の道光癸
巳(道光5年)(1833年)に建設を開始し、咸
豊九年((1860年)に完成した。建築群は、左、中、右の三部分に別れ、全面水で磨かれた青磚と青石を用いてい
る。
内側に三つの祠堂があり、14個の天井、777の部屋がある。最高は四階まであり“嶺南第一大圍”と称されている。
滿堂客家大圍とは、以前の省長である葉選平がなずけたものとのこと。広東省伊北部の客家建築の代表となっている。 |
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いる。扉写真は、空中から撮影した満堂客家大囲の全体写真。館内に展示されている 写真を撮影したもの。表題の満堂客家大囲の文字は、左から、台湾で利用されている繁字体、中国で利用されている簡字体、 日本の漢字の順番。満堂客家大囲は、最初に、官親祖という人がこの土地にやってきて、最初の妻との間に子ができず離縁 し、梅足という女性と再婚。彼女が5人の子を産み、次男官乾栄が乾隆年間に大園を築いたものとされる。777室あるとの こと。家祠、議事庁、客庁、寝室、加工場、装丁房、雑物間兼トイレ、家畜小屋、儲米根室などからなる。設計と施工の長 は、張九齢の33代の子孫と称する張賛業が行った。始興県に1000以上の園屋があり、うち200が保存対象となってい るとのこと。 |
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左上写真は、観光用の門。奥に観光案内所とチケット売り場があり、広大な駐車場 (ただし未舗装)がある。チケットを購入して200m程先に、川の橋があり、その向こうに大囲が見えてくる(上写真)。 チケット売り場の横に大囲の見取り図の看板がある。大きく3つの部分に別れ、現 在も人が普通に住んでいる。一種の要塞集合住宅である。 |
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左写真は、橋の上から撮影した大囲の概観。上中写真 は、囲屋の真ん中の建物の、城壁の背後の部分。よくある円屋に似ているので思わず撮影。扉写真の中の左の方に見られる部 分である。上右写真は、同じ部分を内側から撮影したもの。倉庫の模様。
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説明によると、中国では、5大建築方式というものがあるとのことで、北京の四合 院、隴西の窑洞、雲南の顆印、広西の杆欄式、広東客家囲屋(または土楼)(中国語表記/北京四合院,陕西窑洞,广西 杆栏式,雲南颗印、客家大围)となるらしい(こ ちらのサイトにそれぞれの写真があります。雲 南顆印はこちらにもわかりやすい写真があります) |
客家の囲屋は、円形が標準とばかり思っていたが、そうではなく、下記のような四角 いものが標準とのこと。ローマ時代の庶民のアパートインスラに似ている。本当に要塞に見える。内側に空間があり、そこに 母屋が建っている(館内に、主な客家囲屋の写真が展示してあり(30程)、下記はその中から特徴的なものを撮影してきた もの)。 |
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沈所三標屋囲 |
高営餞屋囲(民初) |
后下細井囲 (「后」について字の写し間違いの可能性あり) |
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満堂客家大囲も、一番外側の外壁を入ると、外周部は 左写真のようになっていて、4階建ての、要塞形式の建物である。左写真の中央入り口を入ると、更に右写真のような空間に 出て、内側に2つめの建物が建っている。この内側の建物は、更に内部に空間があり、3つ目の建物が立っている。このよう に囲屋は3重の建物となっている。 2つ目と3つ目の建物の間の空間が、右下写真。下右 から2つ目の写真は、1つ目と2つ目の建物の間の空間。下左の2枚は、1つ目の建物(一番外側)の回廊部分と、矢狭間。 回廊は暗く、フラッシュを焚く必要がある。2つ目の建物と一番内側の建物は、共同作業場というつくりの部屋となってい た。 |
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左写真は、1つ目の建物の部屋。8畳くらいの、四角い狭い 部屋。ここのかなり暗い。右側写真がそのまま撮影したもの。左側写真が、フラッシュを使ったもの。 下写真は、満堂客家大囲の前から、村の墓地と思われる山の斜 面が見えたので撮影したもの。下はその拡大。 |
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広東省広州から高速バスで2時間で韶関につく。韶関からバスで1時間。始興の街から1時間分程(65km)の隘子から
2.5キロ南に位置している。近隣の史跡としては、梅関古道、南雄の宋代の塔、珠玑古
巷などがある。バスは始興からしかなさそうなので、バスを利用する場合は、面倒でも始興を経由する必要がある
(2009年1月)。
こ ちらのサイトにより詳細な写真があります。 |
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