韶関博物館/珠玑古巷博物館/南雄博物館

 

韶関博物館

 
 韶関博物館に展示されていた漢代の遺物。殆ど全部撮影してしまった理由は、この地域が漢代でも辺境にあたり、取り分け、当時の広東省内に あって、中心的な発展地ではなかったことによる。当時は、広州から珠江沿いに西へ遡り、西江から?江に入り、湘江を経て長沙に至るルートがメインであり、 長沙から南下し、韶関に入るルートは主流ではなかった。その韶関でも、これだけの漢代文化が普及していたことが遺物から見て取れます。

 

 韶関の歴史は下記の通り。県が置かれたのは漢代になってからのようなので、遺物も漢代以降のものが増えているようである。遺跡情報はあまり無かったが、下記2つの後漢墓があることが記載されていた。

 

 韶関西河東漢墓

 韶関西河東晋墓

 

 

 

 蝋燭台

 ここから先は後漢代から見られるようになった緑釉。右2段下にある飾り坪は、下記 珠?古巷博物館の展示にも見られる、孫呉から西晋代に流行した青瓷飛鳥人物楼閣堆塑罐の一種であるようにも思える。青瓷飛鳥人物楼閣堆塑罐は、呉と西晋時 代の浙江・江西周辺で流行した青瓷の一形式。浙江・江西の影響、特に江西との関係が伺われる遺物である。

かまど

かまど

トイレ

トイレ

役人?

珠玑古巷博物館

 真ん中写真の青い女性像は、後代のものだと思われる。右写真は、瓷飛鳥人物楼閣堆塑罐。瓷飛鳥人物楼閣堆塑罐については、浙江博物館のこちらの展示に解説があります。

 左端は青銅製の虎。

 

南雄博物館

 青銅製の虎、煉瓦(磚)、陶器など。

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韶関市内の各県の由来は下記の通り。

 

南雄 漢代南海郡->呉、南野県蘆陵郡に入る。684年湞昌県、湞昌県の中に入り、920年雄州、921年南雄州となる。1368年南雄府。1807年直隷南雄州。民国南雄県。1996南雄市に。

曲江 BC111年に設置

始興県 263年設置。治所は曲江。

新豊 483年に新豊県として設置。

東昌 508年設置 (趙佗城ともいわれた)

419-502年に仁化県設置。 

乳源県 1167年設置

 

174年、桂陽太守周昕武渓を開鑿し泷水河道を造る。九泷十八灘ともいう。

 

韶関 漢代武関鎮。晋から唐まで郡治が置かれた。589年韶州府。清代、道光年間韶関に、13の関の関税のうち、13分の1以上の関税が、韶関の太平関から得られた。

 

 広東省広州から高速バスで北に向かい、2時間で韶関につく(約200㎞)。市バスで東バスターミナルから9番で30分程の、市街西郊外にある。西バスターミナルからは15分程度。本数多し。

 

 

 


 時代

領域

治所

東昌北境属長沙郡 

残りの部分は南海郡属

未設置

南越国

南越国

不詳

西漢

桂陽郡と揚州豫章郡に分属

曲江県(現曲江、乳源、東昌)

東漢

同上

曲江県、後、始興都尉

孫呉

広州始興郡

始興郡、曲江県、始興県など8県

両晋

同上

始興郡(県同上)

同上

始興郡、後に広興郡

同上

始興郡(10県)

衛州、後に東衝州

東衝州、(始興、安遠郡が7県を有す)

東衝州

東衝州、(始興、安遠、廬陽三郡が7県を有す)

韶州

589年韶州に改称

 

 韶関市内の史跡はこちら。韶関市には、珠玑古巷という、唐宋代に繁栄した宿場町ゆかりの地区や、唐代に開鑿された、江西省から広東省へ抜ける梅関古道という古道、清代の客家の園屋、満堂客家南雄の三影塔などがある 。

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