深圳の歴史と遺跡


深 圳の歴史

(南頭博物館前のオブジェ。331年創建について記載した史書が引用されている)


時代
郡名
現深圳の当時の県名
郡治所
詳細
前漢
南海郡
番禺県 武帝時,全国28箇所盐官のうちのひとつ(番禺塩官)が置か れ、その駐屯地 となる。深圳博物館には記載がなかったが、南頭博物館と、こ ちらのサイトに記載もされている。
後漢
南海郡
番禺県

南海郡

265年、現深圳南山区南頭に盐官(塩官)がおかれる。役職名「司盐都尉」。所在地を「蕪城」と称す。塩の国家専 売の管理官。駐屯地を「司 盐都尉坐」(「坐は、正確には、上が「ム」が3つ、下が「土」)といい、代々宝 安の治所は、この場所に置かれたらしい。
東晋
東官郡 宝安県 宝安県(現深圳南山区南頭付近) 咸和6年(331年)南海郡から東官郡が独立。
安懷(現東莞)、興寧(現興寧)、海豐(現海豊)、海安(今惠豊)、欣樂(現惠州)、宝安(現深圳市、香港、東莞の一 部分、番禺南部、中山市、珠海市、澳門のあたり)、の6県からなる。これら地域は、おおよそ現広東省東半分に相当する。
戸数1332。人口15696人。宝安は、広東省東南部の政治経済文化の中心だった。
南宋
東官郡 宝安県 宝安県 戸数1万個より少ない程度。最高行政長官を"男相"と言った。
南斉
東官郡 宝安県 安県(現莞) 宝安県の県治所は、従来通り南頭。

東莞郡 宝安県 増城
507年東官郡から東莞郡に改称。

東莞郡 宝安県 政賓県(現清遠県西北)


広州総管府
宝安県 宝安県? 東莞郡が廃止され、広州総管府となる。607年、南海郡が再度 設置され、624年、広州総管府が広州都督府に。治所は、唐代に、宝安県から移設とあるので、宝安県にあった可能性あり。

広州都督府 東莞 到涌 742年、南海郡に名称変更。757年東莞郡に。同時に治所は 現東莞の到涌(現莞城市)宝 安県も東莞県に改称。758年、広 州都督府に戻る。
唐代、広州とインド、イスラム圏の交易が進み、珠江河口付近は浅瀬で通行不便なため、中継地として、736年、現南頭に 兵士2000名が駐屯した。この駐屯地を屯門軍鎮と呼んだ。屯門軍鎮は、安南都護府に属す。
五代
興王府


南漢の首府、興王府に所属。

広南東路広州
東莞
宋から元にかけて、前後5回にわたる客家の移動が始まる。
第1次:河南省から、安徽省、江西省北部に移動。
第2次:安徽省、河南省南部から、江西省および広東省北部へ移動
第3次:江西南部から広東省北部へ移動

広東道広州路総督府

第4次:広東省東、および福健省との省境から広西省北部、四川 省へ。
第5次:広州付近から、広東省西、広西省へ。
客家5大家族(除廖、文、鄧、彭、侯)氏。文氏の祖は文天祥とされる。この頃、新安県の60%が客家。
1298年広東道広州路総督府

(新安県と香港分割時期における客家分布図。白い部分が客家が多く住む地域。オレンジ部分が在来の広州人が多く住む地域)



新安県 広州 1392年大鵬所城と東莞所城を建設。
1573年新安県設置。現深圳と香港をあわせた領域。
明代に入ると、ポルトガル、オランダの殖民と倭寇の襲撃に見舞われる。
倭寇は現深圳特別区領域を荒らし、オランダ、ポ ルトガル勢は南頭、マカオ、香港など沿岸に主に殖民。1506年から、沿岸島與をポルトガル人が占拠。1521-22年、屯門海戦。


新安県 広州 1644年人口33971人。1666-69年、新安県を廃止 し、東莞県に併合。これは、反清復明勢力の抵抗に対応する為、海岸から50里 の住民を内陸に退避させたため。人口は2172戸に。69年新安県復活。客家が移住してくる。1818年、新安県人口20万。

(清朝初期の遷海令による、在住禁止区域(オレンジの部分)。赤丸は防衛施設(南頭所城や大鵬所城も入っている)

中華人民共和国
広東省
深圳市 広州 平均年収の変遷
1990年 約8700元
1996年 約27000元
2000年 約35000元
2006年 約65000元
人口約1200万

深 圳の遺跡・史跡

時代
詳細
新石器時代
全部で43箇所ある。市内全体の海岸近くに点在。
先秦時代
24箇所ある。主な遺跡。大梅沙墓葬(盐田区大梅沙海辺沙灘 上)と畳石山遺跡。
秦漢晋六朝 15箇所の墓、1箇所の窯跡、1箇所の城跡がある。鉄仔山と紅 花園が一番規模が大きいゆうである。
1.雲林崗元六朝墓(下記地図赤矢印の宝安区側)
2.大辺山六朝墓(同上)
3.地堂山漢晋墓(下記地図赤矢印の宝安区側と南頭の間あたり)
4.鉄仔山漢晋南朝墓(宝安区西郷付近の鉄仔山南麓)
5.富足山六朝墓
6.崗面山漢晋墓(南頭の西北)
7.紅花園漢晋墓(南頭の東南、深圳大学付近)
8.大王岒六朝墓(同上)
9.咸頭漢宋墓(羅湖区海岸あたり)
10.東莞郡城跡(紅花園 北西)
11.東莞盐場遺跡(南頭の海岸近く)
唐宋
唐代1、宋代3箇所の墓が残る。
 宋最後の皇帝趙昺、九代衛王。在位1278~1279。度宗の庶子。1279年崖山で破れ、その遺 体が現深圳市南山区蛇口の赤湾に流れ着いたとされる。赤湾の寺の和尚が、これ を葬ったとされる。真偽は定かではないが、赤湾に宋少帝墓がある
なお、香港には、「宋王台」 と呼ばれる、益 王趙昰(1269~1278/在1276~1278)が香港の九龍に立ち寄った模様。 趙昰は、 南宋の八代端宗。度宗の庶子。趙昺の兄。益王は、占城(チャンパー/元南ベトナム)に逃れようとして、碙州(現在の広東省雷州湾)で病没。
 南宋庵鄭氏の墓もあるらしい。

1.大鵬所城
  明代城門、食料倉庫、清代砲台、劉起龍将軍(~1830年)の墓
2.新安所城
  明代南門、官署、東門など
3.その他明清代には多数史跡が残る
  明 清詳細
 清
1.客家の圍屋
  龍崗鎮羅瑞村に、1817年建設の「鶴湖新居」と呼ばれる園屋がある。
  坪山鎮曾氏の1791年建設の「大万世居」と呼ばれる園屋がある。
2.赤湾に砲台がある

深圳市は神奈川県くらいの広さ。経済特別区は、横浜市程度、東西 50km、南北10km程度。
下記地図では、屯門は現香港の屯門のあたりを示しているが、中国歴史 地図によると、現南頭付近となっている。
現南頭を屯門鎮と称したのかも知れない。詳細は後日調査予定。
また、下記地図では大鵬の位置を間違えている。「経済特別区」の文字の下にある半島が大鵬半島。

深圳市地图册より引用



深 圳の漢晋代遺跡

  残念ながら、どれも、実物写真を得られませんでしたが、一応場所を紹介 します。

蕪城・司 盐都尉坐・東莞郡城跡

 南山区には、右地図の ように、かなり多くの遺跡がある(地図中の赤い点)。殆どが新石器時代の遺跡で、一部、商代、戦国時代、漢晋代、唐宋代のものがある。漢晋代の遺跡は、現 南頭古城付近にある。南頭古城南門の直ぐ南に、南頭博物館があり、館内に、右地図が掲載されている。左写真が、南頭博物館。その裏手に、大王岒六朝墓と思われる場所があるが、現在塀で囲まれていて、隙間からのぞくと、畑とゴ ミ捨て場のような感じ。遺跡がどこにあるのかは、見た目はわからない。紅花園漢晋墓は、住所からすると、大通りを挟んだ南頭 博物館の南にある区画になるが、ここは既にマンションが立っていて、やはり場所はわからなかった。
東莞盐場遺跡

 漢代に置かれた塩官が 管理した塩の採掘場が残ってたらしく、南頭博物館に写真があったが、右上地図にある場所は、現在埋め立てられていて、左図のように、整地が進んでいる。こ のどこかに遺跡が残っているのか、既に埋め立てられてなくなっているのかは不明。もともと右上図の真ん中を北東から南西に列車の線路が記載されていて、塩 場の印は、線路の西側に記載されている。線路から西は、右上地図だと土地になっているが、もともと海である。別の市街図には、海となっていて、その上に、 埋立地の輪郭が記載されているものもある。同じ付近から東方向を撮影したものが右写真。 深圳火車西駅があり(入り口は東側)、列車が写っている。右写真左側に駅東側の高層マンションがかすかに写っている。いづれ西側もこのようになると思われ る。

漢代墓の地図(深圳市博物館パネル)

 

漢代塩官の配置場所

 地図には、左から鉄仔山漢晋南朝墓、西郷崗面山漢墓、南頭紅花園漢晋墓、香港の李鄭屋村漢墓、大鵬咸頭嶺漢墓の場所が示されている

 

 上図は漢代の行政区分。五嶺山脈を抜ける3つの関、陽山関、湟渓関、横浦関が記載されている。秦軍はここから南越国に攻め込んだ。

 右地図は、全国に28箇所配置されたとされる漢代の塩官の配置図。南海(現広州)に置かれていることがわかる。

鉄仔山漢晋墓

 深圳市宝安区西郷公園から広深公路を北西に500m程、西郷立体 交差点がある。その北西に鉄仔山がある。写真は、立体交差点の内側付近から撮影。

 地図で見ると、古墓があるあたりに、工場が。。。。周囲を一通り 歩き回るが見つからない。ここらあたは、特に工場地帯というわけではないはずだが、ここには工場があった。

 工場内部にあることが判明。工場守衛曰く、プレートに記載のあ る、「宝安区文物管理委員会」の許可が必要とのこと。

漢墓からの出土品(いづれも深圳市博物館)

漢墓(左下)と、晋墓からの出土品。漢代と異なり彩釉が施してあるのが特徴。右下は、晋代に南海郡から分割して成立した331年に成立した東官郡。




唐代以降の深圳地図

唐代の広州周辺(宝安には屯門鎮が置かれている)

宋代の塩採掘場

明清代の砲台など海防施設

 

 

 

 


参考資料
  南 方網旅遊:南頭古城 一千六百年的序言
  大 洋论坛深圳风水就是好!
  深圳博物館
  南頭博物館

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