7時起床。 8時出発のチケットを買った筈が だまされた。
なかなかバスが来ないのでチケットオフィスに確認に行くとバスは9時だという。
払い戻せと詰め寄ったのだが、 「我々のバスは高速バスで4時間でコンヤに着く。 先に出発した他の会社のバスより早く着く」 と
頑として払い戻しには応じない。ま それを信用して結局9時発のバスでコンヤへ。
結果的には13時35分、約4時間半でコンヤ到着。許す。
「俺は羽賀研二のダチなんだ」 とかいう羽賀に良く似た、日本語を話すあんちゃんがバスターミナルでガイドをしていた。
思いっきりいかがわしいが、 彼の指示に従って、 先にチケット買ってから観光へゆく。
まず昼飯。 そのあとセルジューク期の神学校、 モスク。 学生の頃読んだマンガに出てきた ジェラルディン・ルーミー が実在の人物で、
教団の開祖であり コンヤがその中心だとは知らなかった。
ルーミーの墓と遺品(服とか日用品とか)が展示されていて 参拝客であふれるモスクは 日光東照宮みたいな 混雑ぶり。
ルーミーがはじめたメブラーナ教団は くるくる廻る舞踊で有名だが、 そのビデオが売られていたり 聖地 というより 観光地ののり。
しかも街中にあるのだから 日光というより西本願寺 のノリか。
16時発でスィリフケへ。 コンヤースフィリケ間の景色良。 ダイナミックな峡谷に碧の河。 日没も良かった。
景色の写真を撮っていると、 乗務員のあんちゃんが 景色のよさげなところにくると 教えてくれる様になった。 ありがたいことです。
20時、既に暗くなった中、 山の上にオレンジにライトアップされているビザンツ時代の要塞が見えてくる。 10分後スィリフケ着。
町の中心部へ歩き出してすぐにみつかったペンション、結構新し目で清潔。ここに泊まることにする。
20時50分から21時15分で夕飯。20分宿へ戻る。
どうも本当に出来たばっかりの様で、 私の後に ドイツかギリシャ人と思わしき 中年夫婦が隣の部屋に来たが、 「タオルがない」と
オーナーに 伝えていた。 実は僕も部屋に タオルが無く、ありゃ。と思っていた。 これまで泊まったトルコの安宿には 最初ブルサで
泊まったドミトリに近いとこでさえ タオルがあったので、この宿に無かったのがちょっと以外だった。
きっとまだできたばかりで 外国人を泊めたことはあまり無いのかもしれない。
翌朝ペンションのオーナーにタクシー呼んでもらう。 丘の上の要塞跡まであがり、そこから歩いて、
貯水池、神殿(ともにローマ遺跡)等を観光しつつバスステーションへ。 丘の上の要塞からの眺め良い。
郊外ミニバスで50分のところに海水浴場。
この時乗ったバスの車掌のあんちゃんは、親切ぽっくって、ぼったくりぽくって、ちょっとあやしい奴だった。(ちょっとバス代高めに取られたみたい。帰りのバス代と比べると)。
海水浴場の半キロほど沖合いにビザンツ海上要塞「乙女の城」。 トルコの海水浴場は欧米と一緒(さすがにトップレスはいなかったけど)だった。
トルコヤングレディー。どこがイスラムなのか? 思いっきり普通のビキニ。
チャドルをしたおばあちゃんが砂浜に座り込み、せっせと自分の足に砂をかけているのが可愛かった。 このへんだけイスラム。
相変わらず快晴。 どうしても飲みたくなりカフェでビール。 それにしてもトルコ娘の水着姿は目の保養になるぞー。
海水浴場の東側の陸地にも遺跡が残っていた。 しかし海水浴場が見えてきた時点で遺跡はどうでもよくなっている。
海水浴場や、海岸沿いの2から3階建ての民宿規模のホテルが続くあたり、もはや江ノ島に近い感じ、つまり先進国の海海水浴場(ビーチ、ではない。リゾート、でもない)という語感がぴったり来る。 帰り、海岸沿いに1キロほど歩く。時々すばらしく水のきれいな入り江を見かける。
(来る途中バスで見た)乙女の城が良く見えるところがあったのでそこまで歩いて写真とりたかったのだが、暑さに限界。
バスをヒッチしてスィリフケまで戻る。 スフィリケでアムナール行のバスを待っている間、バスオフィスの青年に話し掛けられる。
日本の首相の名前 とか企業名 とか色々知っている。 こちらはトルコの首相も企業も、すくなくとも彼が日本について知っているほどは知らない。
ちょっと恥ずかしく思う。 山本さんがくれたビタミン剤を ペットボトルに溶かして飲んでいたら、
俺にもくれ、といわれて 彼に 「これが最後だよ」 といってあげたら 案の定 ほかの連中も欲しがった。
本当に最後だったのかあまり覚えてはいないが、最後だったような気もする。
スフィリケからアムナール行のバスは珍しくMAN。 足を置くバーばあったりして、このバスが一番良いバスだったような気がする。
アムナールから遺跡まではタクシー。 17時頃遺跡につき18時半に迎えに来てもらうことにする。
アムネリオンはビザンツ大都市遺構。2百m程の山が海へ突き出ていて、その東側の急斜面に一面びっしり遺構。
ギリシャのミストラルの様な景観。 最初は頂上を目指したがすぐに難しいことが判明。 あきらめる。
代わりに海沿いに山の反対側へまわることにするも、 途中で行き止まりだった。
水道、劇場、浴場などが良くのこっている。 アムネリオンは海岸に面していて海岸の水面はコバルトブルーでめちゃきれー(あーボキャブラリーがひんこんだなぁ)。
海水浴場としても利用されていた。 おすすめ。 ちょーおすすめ。
ギリシャ人の観光団体に会う。 最後は海岸へ出て石を拾った。
迎えに着てくれたタクシーに乗ると、料金はもう払ったのか? いくら払ったんだ? とか聞かれる。 「はぁ?払ったじゃないですか?」と
いぶかしんだら 「俺は来るとき君が乗ったタクシーの運転手の弟なんだ」 だと。
なんと。 実に良く似ている。 というか30分くらい横に乗ってただけなので 見分けがつくかい。 そー言えば さっきの人よりちょっと太ってるかも。
バスステーション向かいのロカンタで昼件夕飯。 19時半頃のバスで出発。程なく暗くなる。
スィリフケーアムネリオンーアランヤ間の海岸はリアス式海岸。バスはこの海岸沿いを行く。
景色最高。 場所によっては水蒸気で空と海の境目が見えなかったりする。 バスではトルコポップスが
ひっきりなしにかかっているが、 トルコにはいってから 何度も聞いているうちに 気に入ってしまった曲がある。
この スィリフケーアムネリオンーアランヤ 移動中もかかっていた。 よし、このカセットを買って帰ろう と決心。
すっかり暗くなった海岸沿いをバスは疾走する。 道はどこまでも真っ直ぐ伸び、右手にはライトアップしたホテル、
ペンションが イルミネーションに飾られえんえんと続く。 果てが無い。
こんなに客が来るのだろうか?と心配になる。 ウエストコーストみたい。
左手彼方、 半島に星のように明かりが灯り、 暗闇に浮かんでいる。 まるで江ノ島の様。
しかしおかしい。 もう30分も走っているのに一向に近づく様子はない。 まるで蜃気楼。
江ノ島なんぞよりははるかにスケールが大きいのだ、 ということに気づく。
22時漸く到着。
着いたところは 海辺の一大リゾート地。 どこでもドアで突然ウエストコーストに来たみたい。
わーい、元気がでるー。 イルミネーションに飾られた街のメインストリートは この時刻、なおもにぎわう人々にすごい活気。
ドイツ人、オランダ人、ギリシャ人、客も従業員も色々な国から来ている。 これまでと比べるとまるでおとぎの国へでも来たような変わり様。
しかし宿はどこも満員。 仕方が無いので高級そうなホテルへゆく。 35ドル。 高い(いつもは7ドル程度)。
しかしもう23時。 疲れたし。 ジーンズ洗濯しなくちゃならないし。 仕方が無いのでここにする。
またしても しかし。
部屋はツインでエアコン付き、テレビ付き。 テラスにはテーブルとデッキチェア、 バスにはドライヤー完備。
中庭にはプール。 朝食はデラックスバイキング。 日本だったら1泊2万はしそうな高級ホテルなのであった。
バスタブにお湯はってリッチな気分。 汗で重くなっているズボン洗濯してビール買いに行って、 窓からライトアップされたセルジュークの城塞を見ながら飲む。
いい気分。
通りに何件もミニツアーの看板。 アスペンドス、シデへ行くやつもある。 しかし残念なことに曜日が決まっている。明日はない。残念。
オランダ人とポーランド人のハーフに会う。
今日が山場である。 ここさえ予定通りに乗り越えれば、 あとはずいぶんらくになる。
今日が正念場・・・・と、毎日繰り返しているが、今日がほんとの天王山である。 観光旅行のくせに殆ど仕事のノリになっている。
情報集めてプランを立てて 実行して 修正して 結果をレビューする。この繰り返しは 旅行でも仕事でも同じ。
出発時、 パスポート返してもらいにレセへゆくと、 おねえさんが私のパスポートを見て笑い転げている。
一体なんなんだー。 聞いてみると、なんでも同僚の友人の日本人が滞在しているはずで、 このねえさんはその日本人が女性だと思い込んでいたらしい。
レセに日本人のパスポートを見つけて 「あら、これかしら」 と開いたら、 いきなり妙な男の写真があらわれびっくりしたのだそーだ(結局その日本人は女性だったらしい)。
腹を抱えて笑うほどのことだろうか・・・。トルコ人。なんか、いいねぇ。・・・今度行ったらまたこのホテル
にとまることにしよう。
アランヤは 滞在時間が短かった割には 非常に強い印象が残ったところだった。
10時シデ着。 1時間40分ほど観光する。 ローマ時代の都市遺跡。王宮、円形劇場、フォルム、神殿等。
エフェソスよりは規模小。 海岸に突き出た神殿遺跡は記念写真の名所らしい。 みんな撮っていた。
王宮跡で日本に住んでいるトルコ人に声をかけられる。 結構上手な日本語。
土産物屋の並ぶ通りでとつぜん売り子のトルコ人に 「あなたも貧乏」 といわれ、条件反射で 「うん、びんぼう」 とこたえてしまう。
シデは遺跡と現在の街が共存しているが、土産物屋が多く、「海の町」という雰囲気。
シデからアスペンドス方面行きのバスは無く、 一度マナガトゥへ戻り、市バスでアスペンドスへ。
街道沿いでおろしてもらう。 そこからタクシー。街道沿いに2,3台タクシーが止まっている。その右折路とゆくと アスペンドス遺跡へ。12時50分着。
アスペンドスはシデとは違い 町から離れた 僻地にある。 街道から内陸へ4キロほど入ったところで、あたりは遺跡以外何も無いといってよい。
アスペンドスはローマ時代の都市遺跡。 水道跡と劇場(水道は行かなかった)。劇場跡はほぼ完全体。
最上段に上って休んでいたら、 トルコ女性数人が前の段を占領し記念写真をとっていたので、こっそり後ろから加わる。
この劇場遺跡の印象。 またも古代中国はローマにかなわないかも、と思う。 丘全体に遺構が残り規模は大きいけど水道跡と劇場以外はぼろぼろ。
結局劇場内の売店で高いジュースとフィルムを買うことになってしまった。
暑くってあかん。 14時半の約束だったが14時ころ駐車場に戻るとタクシーが来ていた。
運ちゃんの提案に、 値切りもせず、 うっかり合計10ミリオンでペルゲの提案に乗ってしまう。
14時40分ペルゲ着。 ローマ時代の都市遺跡。 競技場、劇場とメインストリートがよく残っていた。
アクロポリスまで上がり、遺跡全体を見下ろす。付近の風景は日本の関西の古墳のような小山の多い平野地帯みたいなかんじ。眺め良。
アクロポリスで市街を見下ろしつつしばらく休憩。 やたらと休憩ばかりしながら見たのでペルゲを見終わった時は17時になってしまった。
昼食抜いているのだからしかたがないけど、それでも大分疲れてきている。
丘から遺跡に下りたところで日本人団体ツアー客がやってきた。 若い女の子2、3人連れた30台後半くらいのハデな女性が、
ペルゲ遺跡の象徴である門のあたりから 「メインストリート一枚とっといて」と振り返り様指示して去って行ったのが 何故か鮮明に記憶に残っている。
漫画家としか思えない。
遺跡出口近くの代理石の上で寝転がって休んでいたら、 あっというまに観光を終えて帰ってきた。 本当はこの団体のバスに乗せて
欲しかったのだが、 言い出す気力も無く、 疲れきっていたので だまったまま見送ってしまった。
結局 足を引き摺るようにして 街道まで2キロほどを戻る。 暑っ苦しいミニバスで18時頃アンタルヤ着。
しかしミニバスは中心迄は行ってくれなかったのでまた1キロか2キロあるくことになる。
最初に見つかったロカンタで夕食。 お茶も注文してゆっくり休んでいる間に主人がどっかいってしまって、
少年にお勘定してもらったらぼられた。 主人が戻ってくるのを待つべきだった。 しかし帰り際主人が戻ってきたので、一言「高い」と言ってやった。
宿は旧市街でもうゆっくり探す気力もなく、ゆっくり休みたかったので少々高めでもちゃんとしたところを選んだ。
疲れていた。まだ20時だったけど直ぐに寝てしまう。
早朝チェックアウトする前に朝散歩する。
セルジューク時代の塔、ハドリアヌス門、オスマン期の港がほぼそのままの規模で残っていて、
港(恐らくはトルコ時代に整備された港で、古代から港として利用されていたと思われる湾。規模的には港というより小さいマリーナ。ヨット置き場といったところ)を見下ろすカフェで
朝食。 ちょっといい気分。
韓国人バックパッカーにあう。原田さんに後ろ姿が似ていたので思わず日本語で声をかけてしまった。
なんだったか忘れたが、確か250(1ドル)ほどホテル代のお釣をもらい損ねた。
フロントに誰もいなかったのでおつりの為に待つのもいやだったので、 そのままおさらばする。
他の宿泊客の中年の夫婦にフロントのところで 「朝食あるのかしら?」 と聞かれたが、さあと言ってでてきてしまう。 今は時間が大事。
アンタルヤは大都市だった。なかなかバスターミナルが見つからない。尋ねてみるとドルムシュじゃなきゃだめ。乗ってみて理解。相当遠い。10キロ近くありそう。
7,8才の少年も一緒に下りた。 どうやら彼が案内してくれる模様。 せっかく案内してくれたのでなにか礼をあげようと思っていたら、
パナッカレ行がまさに発車するところで、 駆け込み乗車になってしまい、お礼も何も出来なかった。悪いことした。
しかしこのバスは高かった。 選択の余地なく乗ってしまったのだから ま、しかたないけど。
このターミナルもブルサ級。 ブルサよりも凝ったデザイン。 万博かなにかの巨大パビリオンである。
どうやら、この洗練された真新しい、巨大パビリオンか国際会議場みたいな建物は(今おもうと、アンタルヤのここは幕張メッセというよりも、晴海ビッグバードにちかいかな)、
イスタンブール、 アンカラ、 ブルサとアンタルヤだけの様である(今回トルコの大都市は殆ど訪問したので、多分あたっているだろう。イズミルでさえまだ古いターミナルだったのを思うと)。
途中塩湖が見えた。 毎日午前午後5時間づつ、10時間近くバスに乗っているので今日の移動一日で5時間なんて、あっというまで拍子抜けの感じがするようになってしまっている。
「綿の城」にはがっかり。 まるで山の斜面に張り付いた人工スキー場。 最初に目に入ってきたとき、 まさかあれじゃあねぇだろうなぁ、と思っていたら、それだった。
バスは一度パナッカレの村を通過し、「綿の城」と遺跡入り口の終点まで行く。取りあえず終点で降りて、パナッカレを下って村まで戻る。
戻ったところでペンションの勧誘に引っ掛かり、案内される。 結構遠いけど(といってもバス通りから300m程度)値段も手ごろ。中庭に小さいプールまである。
夕飯も頼んででかける。通り掛かりの売店の看板に、エフェソス直通バスが出ているとあり、チケットを買い、もう一度観光へ。
綿の城登り口で日本の吉祥寺でコックしているトルコ人にであう。名詞もらった。
ヒエロポリスの都市遺構は規模は大きいがアスペンドスみたい(つまりぼろぼろの遺構が多い、の意味)。
南門へ行ってから東門まで城壁沿いに上がって、八角堂、円形劇場を見て北門へ。
ネクロポリスにのこる黒ずんだ広大な墓石群は「墓の森」。たまげた。
パナッカレから日没を見届けて宿へ戻る。どういうわけか夕日を眺めつつ スパイの下働きをしつつイタリアで暮らす空想にとらわれる。