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ほんのお遊びにしか過ぎませんが、各世界の統計数値をちょっと引用・或いは算出してみました。当然数値は概算・推定値です。
ローマ | イラン | 中国 | ビザンツ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人口 | 紀元14年推定4500万、164年6100万人(人口の詳 細はこちら) 紀元前後と2008年の世界人口の内訳 |
推定 パルティア 900万人 ササン朝 1000-1400万人 (人口推計の詳細はこちら) |
紀元前200年頃推定1200万人 紀元2年推定6100万人(漢書記載値5959万人。最大7100万人との推定あり) 紀元25年頃約1500万人 紀元157年約5648万人(人口の詳細はこち ら) |
推測 1025年頃 1500万人 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
面積 | 紀元14年 約3375k km2 (地中海2966k km2を含めると6341k km2) 紀元138年 約5001k km2 (地中海を含めると7967k km2) 紀元300年 約4568k km2 |
通常富強時3568k km2 (シースタン、ガンダーラ地方をも含む最大時約4204k km2) |
紀元前140年頃 1553k km2 紀元前100年頃 3279k km2 西域を含む最大時約4841k km2 (当時の統計では紀元2年1億2952万頃、利用不可能地1億2百万頃、耕地827万頃) |
1025年 1255k km2 |
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首都人口 |
50万人程度(首都圏80-100万人程度(詳細はこちら )) |
15万人程度(首都圏60万人程度(詳
細はこちら)) |
16万程度(首都圏(長安県人口24万)) |
40万 |
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税収 | 約8億セステルティ |
6億ドラクマ(ホスロー2世代出 典はこちら)。 | 前漢末 570億2337万銭(兵役を税収として計上)(税収の詳細はこ ちら) | 3,300,000ノミスマ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住民の収入 |
農業奴隷1200-2000、剣闘士1000から1万5千セステルティ。元老院議 員の1例、100万デナリウス。 ハドリアヌス時代の高級役人 20万セステルティ級職34、10万級35、6万級35(タキトゥス「年代記」 に登場する数値) |
200-300ドラクマ程度(詳細はこちら) |
高級官僚(閣僚級)20万銭。下級官吏7200銭(1石100銭として換算) | 高級官僚 200ノミスマ 工員 25ノミスマ |
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生活費(年)/人 | 属州で1000-2000、ローマで2万セステルティ程度。物 価の詳細はこちらのサイト | 200から300ドラクマ(詳細はこちら) | 3600銭 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
推定GDP | AD14年130-200億セステルティウス(「古代ローマを知る事典」p302では小麦1モ ディウス (6.55kg)=3セ ステルティウスとしている。130と200の差は、GDPを、最低生活必要穀物生産高の1.5倍と見積もるか、2倍と見積もるかの学者による見解の相違) | 不明 | 3500億銭(詳細はこち ら) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
220億ドル(世界シェア21.5%) 一人平均570ドル(アンガス・マディソン:詳細はこちら) |
不明 |
268億2千万ドル(世界シェア26.2%) 一人平均450ドル(アンガス・マディソン:詳細はこちら) |
世界シェア7%(出 典はこちら) |
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穀物生産高 |
164年頃の人口6130万人時で2237万トン。1人当たり の小麦粉消費量1日685グラム。1kg約0.46セステルティウス |
不明 |
前漢代粟1石34.4㍑で8540
万 トン(詳細はこち ら)。
必要穀物量は3672万トン。1人当たりの粟消費量1日約1.69キロ(これは精製前の殻付だと想われる(典拠(8)参照)。1kg約2.94
銭 |
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現代日本円に換算した場合の諸統計(単なる数字のお遊びです) |
※この項目で漢王朝と比べてGDPが低なっている主な理由 近年の経済史家によるローマのGDPは、生活必要最低食糧生産高の1.5-2倍と見積もられているため。25兆円は1.5倍 の 見積もり。2倍で見積もると32兆円となる。3倍と見積もれば、約50兆となる。漢朝の人口を5000万とすると、47兆円 となり、ほぼ同じとなる。漢のGDPは、最低必要穀物生産高の3倍である。つまり、なぜローマが1.5倍から2倍となり、漢 が3倍であるのか、が双方の差の最大の要因といえる。これに関する詳細は下段の(8)をご参照ください。 |
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※フェルナン・ブローデル風に分ければ、生活生産とは、「非=経済」(物質文明)に相当する部分、市場化可能部分とは世界= 経済(市場経済)に相当する部分となる。漢朝の場合、ブローデルの「資本主義」に相当する部分は無いに近く、代わりに「国家 の経済活動」が幅を占め、かつ「市場化可能部分」への国家の介入部分が大きい。といえそうである。 また、こういう表は、古代にも近代的な貨幣経済があったのだという印象を抱かせがちだが、表に現れているのは「貨幣で見え ている経済」に過ぎない。中国の史書にはとんでもないハイパー・インフレが多数記録されているが、それでも破綻せずに王朝が 続くのは、「見えてない部分」が多いからといえる。それでも限界を越えると、悪化する数字の通りに大反乱が起こり、王朝が倒 れたりする程度には、数字による社会把握が進んでいた証左といえるかも知れない。 |
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官吏の数 | 帝国官吏300人以上 (地方都市参事会による雇用者(延べ人数)13-36万という推計があるとのこと) |
不明 | 前漢約12万人 後漢:中央官吏(内官)15280、地方官吏(外官137706人、合計152986人(通典36巻)) |
中央政府600人(9世紀) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軍隊 | 約30万 | 兵役100万人 | 約12万人 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平均寿命 | 男20代前半、女性25歳(ただし、15歳まで生きた者の残余命は、男32年、女34年となっ ていて、死亡率の高い幼年期を凌げば、半数くらいは50歳近くまで生きることができた。 | 人頭税の課税範囲が20、または25歳から55歳となっていて、20/25歳以下と55歳以上 は死亡率が高かった為と推測される(出典はこちら)。 | 人口の半数は35歳以前に死亡。半数弱が50歳近くまで生きたと思われる(詳細はこちら)。15歳から56歳 の男女に課税された。 |
典拠:
1)人口 | ローマ、イラン、ビザンツの人口については 湯浅赳男「文明の人口史」(新評論社)から引用。 中国につい ては各正史などの資料(の翻訳など)から。長安の人口は、佐藤武敏『長安』(講談社学術文庫)。 | ||||||||||||
2)面積 | 現代の地図に古代の線を引いて現代の各国、各州の面積を積算したもの。なのでかなりアバウトではあるけど、概ね近い数値 だと思いま す。 | ||||||||||||
3)税収 | イランについては足利惇氏氏「ペルシャ帝国」(講談社「世界の歴史」9巻)から。 漢については山田勝芳(「秦漢財政収 入の研究」 (汲古書院)) ビザンツの税収は井上浩一氏「ビザンツとスラブ」(新潮社「世界の歴史」11巻)からローマについては 「ローマ帝国愚帝列伝」(講談社選 書メチエ)から。 | ||||||||||||
4)生活費 | その他生活費等は「年代記」(タキトゥス岩波文庫)、山田勝芳(「秦漢財政収入の研究」、「漢帝国と辺境社会」(中央公
論)籾山
明)、「黄金のビザンツ帝国」(ミッシェル=カプラン)その他の著作を参考にしました。ローマの場合1~2世紀に適用可能な
数字だと思われます。4世紀に
は貨幣価値が下落し日常生活の単位にデナリウスが使われるようになるので大分異なる様です。ドラクマは古代ギリシャの水夫の
日当が1ドラクマとのことから のまったくのえいやの数字に過ぎません。 ノミスマの購買力も分かりませんので、工員の賃金25ノミスマに対し、農業労働者をその半分の12ノミスマとし、これを 100万円相当とすると、1ノミス マ約8万円となる。取りあえずこれで換算しておきます。当時奢侈品に費やすことも無いので、田舎での低い方の生活費100万 円と強引に見なして、計算して みました。 |
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5)通貨単位 | ローマの通貨単位 1アウレウス=25デナリウス 1デナリウス=4セステルティウス=16アス ビザンツの通貨単位 1ソリドゥス=2セミシス=3トレセミシス |
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6)推定GDP | 古代ローマの値(穀物生産高含む)は、「古代ローマを知る事典」やWalter
Scheidelの論説から。漢については、山田勝芳(「秦漢財政収入の研究」
の内容を元に算出。Wiki記載GDPとは、こちらの、ア
ンガス・マディスン氏のデータに基づいて作成した紀元1世紀の各国GDP表から引用。ローマ帝国以外の西欧が
111億ドルと、ローマ帝国の半分もあったりと、まあこれも数字のお遊びでしょう。 |
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7)平均余命 | ローマについては、「古代ローマを知る事典」から。漢代についてはこちらに詳細記事を記載。『プリニ
ウス博物誌(1986年版第1巻)』6-195(p287)のエチオピア人の寿命に関する記載「これらの人々の寿命は40歳
を越すことはない」という記載に比べれば、漢やローマの寿命は相当長い。生活水準や医療・栄養などの差を反映しているものか
も知れない。ヘロトトス『歴史(岩波文庫(上)』3-22(p294)に、エチオピア王に寿命を問われたカンビュセス王の使
者が「ペルシアでは80年が最高の寿命である」と答える場面が出てきます(エチオピア王はそれに対し、「エチオピア人の多く
は寿命が120歳に達する」と答えているのですが、『プリニウス博物誌』6-195(邦訳1986年版第1巻p287)で
は、エティオピア人の中のイナゴを常食している「人々の寿命は40歳を越すことはない」という場面が出てきます。古代イラン
も、漢やローマと同様、長命の人は80歳までいきるものと考えられていたのかも知れません。 |
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8) 日本円に換算した場合のGDP値で、ローマ帝国の数値が漢王朝と比べて低くなっている主な理由 |
1)昨今の経済史学者のローマGDP算出方法(上記「推定GDPの値)では、食糧生産以外の
経済活動含めた総生産高(GDP)を「生活最低食料生産高の1.5倍から2
倍」という目安を採用している。最大でも2倍を越 えないだ
ろう、という議論の根拠は、1600年前後のオランダで漸く農民の経済割合が、GDPの過半数を下回った、或
いは18世紀初頭のフランスで、パリの住民の所得平均(92リーブル)が、国家の財政と投資を含めた国民平均所得(109
リーブル)より低いので、古代ローマでもこれを越えることはないだろう、1688年の英国で漸く3.5倍となった、等の、近
世近代欧州との比較が出発点にある(詳細はこちらスタン フォード大教授の Walter Scheidelの論説「The
size of the economy and the distribution of income in
the Roman Empire」(他にも範囲設定根拠が吟味されている))。
余剰生産高と農業以外の生産高の割合はあまり高く見積も
られていない。一方漢朝の場合は(山田勝芳氏等の研究では)記録に残る数値から生活必要量の2倍以上の余剰生産高が考えられている。この記事でのローマの
円建てGDP は最低生活食糧生産の1.5倍説を利用している。2倍説なら32兆円となる(上記「Wiki記
載GDP(アンガス・マディソン)」は、GDPを最低生活必要食糧生産高の3倍と見積もっている*1。アンガス・マディソンの研究では、ローマと漢の一人
あた りのGDPはあまり差が無いものと推計されている。Walter
Scheidelは漢王朝の論説も書いているので、欧米の経済史家の漢王朝のGDP推計方法をそのうち参照する予定)。 --<2016/Feb/07修正-- *1 ウォルター・シャイデルの上記論説p7に、アンガス・マディソンの推計として、Mean total expenditure (cash) 380セステルティウス、Mean annual food expenditure 200セステルティウスとあることから、380/200=1.9となるため、これまで「2倍」と表記していましたが、『世界史概観 紀元1~2030年』(岩 波書店,2015年)のp62の表に1人あたりの年間小麦支出112セステルティウス、その他の穀物18セステルティウス (HS)、総支出380セステルティウスとあり、p70には、この3つの数字を用いて2.92倍 (380/(112+18))≒3倍と表記されていることから、この部分の表記を「3倍」に変更。アンガス氏が平均所得を必 要最低食料の3倍と計算した根拠は、ゴールドスミス(1984)の数字を流用しており(若干アンガス氏の調整が入るが)、そ のゴールドスミスのロジックはp63-4に記載されており、要約すると以下<1>-<5>の内容と なっています。 1>一人平均年間小麦消費量を253kgと想定 2>小麦価格は1モディウスあたり3HSとする(穀物価格については史料が残っているのでその範囲の値)。よって年間 小麦支出額は112HS。大麦は量の史料がないので18HSと想定し、全穀物支出は130HSと想定。 3>穀物は年間食料消費の65%とする。この数字の根拠は、1951-61年のインドの数値に近かったから。 1人あたりの全食料支出は200HSと想定。 4>その上で、食費以外の支出を、食品支出(200HS)の75%と想定。この値は、史料の残る1688 年のイングランドとウェールズとほぼ同じなので、妥当性があると判断したとのこと。 5>その上に政府支出(基本的には軍事費(=兵士の給与*兵士総数から概算)が5%、投資3%と仮定し、一人当たりの 平均支出380HSと推定した。 端的に言えば、1688年のイングランドと20世紀中葉のインドの数値が想定値に近いから、となりますが、寧ろ、1688 年のイングランドと20世紀中葉のインドの数値に近くなる想定を採用した、という印象が残ります。 ---2016/Feb/07修正>--- 2)漢朝では、穀物以外の税収や生産物を国家が把握に努めたため、ある程度構造的に把握でき、一般女性や15歳以上の少年少 女や余剰生産物へ の課税が記録に残された。記録から推計できる徭役や家内織物業の額高が、生活必要穀物生産高に匹敵する額となっていて、総生産高は 「生活最低必要穀物量」の3倍近い。一方ローマでは民衆への課税は徴税業者に委託され、富裕者への相続税など間接税の記録が 多い。ローマに余剰経済 活動が少なかったわけではなく、管理と記録に漢朝の方が一長があった、と見なすこともできる。 極めて単純化するとGDPの内訳比率は、以下の表となる(ローマ2倍説の場合)。厳密には、最低食料生産高とは、漢王朝の場 合は、粟・稲等穀物生 産高を示し、ローマの場合は小麦以外の食料も含む。漢王朝の場合の余剰食糧生産高とは穀物生産高の余剰部分のことである。 ざっくり言えば、穀物生産性の差が大きいのであって、食料以外の 生産部分の、最低生活生産比率は、ローマも漢朝も、だいたい同じ比率になる。
因みに山田勝芳氏の「秦漢財政収入の研究」p88-89では、前漢武帝末期の代田法により、収量が畝2.5石から3石に増加 したと推計され、代田法以前の収量は、前漢文帝時代の晁錯(漢書食貸志24上)の主張から、1畝あたり2.5石と推定してい る。代田法以前は、上 記表中余剰食糧生産高の比率は、0.5となり、ローマとの間は縮小する。晁錯の主張を周代の1畝100歩四方と仮定すると畝あたり1石、代田法導入で 1.5石と なり、余剰生産高はゼロに近づき、GDPはローマ帝国とほぼ同じとなる(アンガス・マディソンはこの考え方を採用しているのかも知れない)。漢代の1畝 240歩四方を採用すると、1畝当たり収量3石となる。ローマの数字が、1.5倍から2倍の間で推計上の考え方で変動がある ように、漢代の数値も 考え方で変動するのであるが、文帝時代と前漢末期を比べると、農法的にも、収量の数字的にも収穫量の増大があったことが推測 でき、更に文帝時代から前漢末期に2倍以上の人口増大が推測できることから、生産性の増大があったものと推定できる(古代ローマと漢王朝の穀物収穫倍率の詳細 はこちら)(しかし、漢王朝が最終的に増大する人口をコントロールできず、マルサス的問題に達して内乱による人 口激減を 招いたことを考慮すると、ローマと比べると持続的な面で劣っていたことになり、この点を数値化して比較することも可能かも知 れない。更に、漢と比べて農業生産性で劣っている古代ローマが、漢に匹敵する人口を保持し、漢のような破綻に陥らないリスク 対応力の技術力を数値化できれば、ローマが漢を上回る数値が出てくるかもしれない。極論すると、漢王朝は、人口成長とGDP が資源(農業生産性=土地の良し悪し)に依存するオーストラリアやサウジアラビア型で、ローマは資源がなく技術力がGDPの 基盤にある日本型 と見なすとわかりやすいかも知れない)。 また、ローマの場合、前3世紀から1世紀の人 口調査記録が残っており、共和制末期から帝政初期の、市民権付与による急激な人口増をのぞくと、年間人口増加率 は平均0.2%程度であり、これに対して、前漢・後漢の人口上昇期の年間増加率は2%にもなる。これほどの人口上昇率の差の 要因として、食料生産性が関与しているものとする推測も、無理では無いと思われる。 3)AD68年の推定人口は、明石氏の論文p36記載のAD14とAD164の推計人口値の間に均一な人口増があったと想定 した場合のAD68年の値。この5014万は、漢朝の5959万より約1000万少ない。ローマについてAD68年という年 を採用したのは、タキトゥスの史書はポンペイの遺物など、物価情報が多数残っているから 4)タキトゥス『年代記』岩波文庫版付録(3)「ローマ初期の経済状況」に記載されている農業奴隷1200-2000セステ ルティウスは、他の記録に出てくる労働者の年収より相当高い(しかも、どうやら、この値は『年代記』の文中から採られた値で は無い可能性があり(『年代記』全文を確認する必要がある、出典は他の史料である可能性がある(この付録の項目は、他にも一 部『年代記』に登場していない数値が混在している)。都 市労働者の賃金は800-1000セステルティウス程度で、非労働人口を含めた平均賃金を300セステルティウス程度と見積 もると、必要生活穀物生産高の1.5倍程度に一致することも1.5-2倍枠の根拠となっている 5)旧版では、『西洋古代史料集』(東京大学出版会/p167の註に基づ き、1アス80円としていたが、今回は400円とした(この書籍のp166-7には、ポンペイで発見された市民の日常生活の 物価記録の翻訳が掲載されている)。こういう操作は、もちろん数字のお遊びだけれども、まがりなりにも比較が成り立つよう に、基本生活食料価格と、下級役人や都市の熟練労働者の年収の二点の円換算年額が、だいたい同じようになる地点を選択したも の。古代ローマの物価については、上表のリンク先の他に、日本人研究者のサイト「Via della Gatta」→「古代ローマの貨幣と物の値段」に情報が多い。 6)漢代の粟の消費量が、計算上では一人一日消費量約1.69キロとなるが、これは、殻付で、精製するとその2/3程度にな る模様。すると約1.12kgとなり、一日の食事量として現実的な値となる。換算根拠となる史料に関する論文は、大阪産業大 学論集人文科学編116(2005年)所収の大川俊隆「秦漢における 穀物換算率について」に詳細な記載がある。この論文で は、発掘された当時の算術書の計算例に出てくる殻付・精製穀物の計算式と結果例を検討している。 7)当時の粟の収穫生産性(播種率)からすると、1畝あたり2石程度の生産高だとも考えられ(詳 細はこちら)、その場合は、総生産高は16億6千万石となり、1石100銭とすると総穀物生産額は約1660億 銭となる。徭役や商業 活動を含めると、GDPは2620億銭となる。1畝3石は、特に豊作時の場合で、平均的には2石程度だったと考えると、円換算額のGDPは約42兆円とな る。 |
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9)最低生活費比較研究 | オランダのユトレヒト大学の研究チームの漢とローマ、パルティアの最低生活費比較研究がこ
ちらにあります。 ここでは、労働者の賃金と生活最低出費の割合を比較しています。漢の史料は紀元前100年頃の居延関、敦煌という辺境の兵士 の会計簿で、都市労働者と言い難いなど、比較不 一致問題はあるものの、興味深い内容です。古代ローマは、紀元100年と230年のエジプトの都市労働者、パルティアの数字 は、紀元全100年頃のバビロンのエサギラ神殿の労働者。Welfare ratioとbare bones ratioは同じもので、例えばp3のエジプトの表に出てくる0.55という数字は、労働者の月所得*12=年収が、生活必要出費102.14*家族4人 分と比べ、何%になるか、という数値です(この手法を用いる学者はカリフォルニア学派と呼ばれてるようです)。0.55と は、父親の収入が4人家族を養う 必要最低額の55%しかなく、妻や子供が働いて補っている、という意味です。p18の表を見ると漢が0.87、ローマが 0.56、パルティアが0.51となっています。 アンガス・マディソンの研究では、古代ローマ全域の一人当たりGDPは、紀元1年人口4470万人で一人平均GDP570ド ル、漢については450ドルとなっています。ローマ帝国の地域平均値を計算すると、地中海沿岸諸国は人口 3475万で平均605ドル、地中海に面していない欧州諸国が平均446ドルとなり、漢は、非地中海諸国の値に相当している ことがわかります。アンガス・マディソンの値は、主に(あくまで「主に」。要因の全てではない)都市化率に基づいており、都 市化の進んでいた地中海沿岸地域と比べると、漢王朝の 農村村落は基本的に城壁に囲まれた集落(郷、県、亭)だったが、これを都市と定義すると、都市化率が100%近くなってしまうので、恐らくアンガス・マ ディソンは漢代集落(少なくとも亭は)を都市と見なしていないと思われます。ローマと比べると漢の都市 化率は大きく下回ることから、漢代GDPは余剰生産の無い自給自足農民のGDP400ドル(とアンガス教授が定義した)からあまり離れていない値となって いるものと思われます。 |
2010/3/20 追記
最近になって、遅まきながら2004年に出版された「古
代ローマを知る事典」という書籍を知りました。私が欲しかった情報がまさに記載されている書物です。もともとこのプロファイル表
を作成した理由は、現代の百科事典の国の項目(例えば、Wiki上の「チュニジア」でも良い)を見てみると、まず最初に、面積・人口・
GDP・首都・通貨・国家元首・政体などが記載され、その後、社会や歴史、経済の項目が続きます。歴史に関する記載でも、ある「国」について
記載する場合は、現在の百科事典の形式に合わせた記載をあまり見たことが無い、というか、全然見たことが無かったことから、本記事を作成して
みたわけです。しかし、「古
代ローマを知る事典」が出たことで、ローマについては本記事は必要無くなったと言えます。あとは、「漢王朝を知る事典」「ビザン
ティン帝国を知る事典」など、同じフォーマットで国のプロファイルを記載した書籍が出てくれると嬉しいですね。今回少し、「古代ローマを知る
事典」や、その後得た知見などを追加しました。
2014/5/5 追記
経済学者である成城大学教授明石茂生氏の著作「古
代帝国における国家と市場の制度的補完性について(1)ローマ帝国」(2009年)、「古
代帝国における国家と市場の制度的補完性について(2) 漢帝国」(2011年)、ス
タンフォード大教授Walter Sheidelの論説をもとに、現代日本円に換算した場合の数値等
GDP関連数値を見直しました。旧版 はこちらをご参照ください。
2015/2/8 追記
漢代の農業生産性を加味した漢代のGDPの値を追加しました。
2015/3/19 追記
パルティア・ササン朝時代の人口とGDPの値を修正・追加
2015/8/30 追記
パルティア、漢王朝、ローマの労働者の最低生活費比較研究に関する項目を追加、漢代とローマの農業生産性に関する記事へのリンク、首都人
口欄を追加
2016/2/07 修正追記
アンガス・マディソン氏の著書におけるローマ帝国の一人当たりGDPの根拠を追加。アンガス氏の説の所得が最低生活費の「2倍」という記載
を「3倍」に訂正
2016/Dec/04 Wiki記載のGDP欄(ローマと漢王朝)を修正。
2017/Oct/22 「ローマ市に所属する平民」の人口大目の見積もりを修正