古代ローマ帝国の人口・財政・官吏・役人などの各種データ
ロー
マ市の 人口とローマ市民人口
紀元14年以降ブリタニア、マウレタニア、トラキア、ダキアなどが獲得されている。しかし人口が稠密であったとは考え られない。大都市はアレクサンドリ ア、アンティオキア、カルタゴなど |
ローマ帝国
人口推計 「古 代ローマを知る事典」によると、アウグストゥス治世末期の5400万という数字は過大であり、最近では4550 万程度と見積もられているとのこと。その後、人口は漸増し、紀元164年には6130万に達したとの研究があるとのこと。紀 元164年頃に最大人口に達した後、パルティア遠征で持ち帰った伝染病が人口に大きな打撃を与えたと考えられ、164年頃が 最大だとされているとのこと。 以下、人口推計の詳細です。 1.古代ローマ帝国の人口推定の算定根拠 (1)通説の根拠とイベリア半島(スペイン+ポルトガ ル)の推計値の算定根拠 (2)古代ローマ人口研究の概要とローマ時代のイタリ アとローマ市民の人口推計 (3)奴隷人口の推計 (4)帝政期の都市ローマの人口推計の算定根拠 (5)ローマ時代のエジプトの人口推計根拠:史料とロ ジック (6)ローマ時代のシリアの人口統計根拠:史料と ロジック (7)古代ローマ都市要覧史料『Curiosum urbis Romae』『Notitia urbis Romae』による都市ローマの人口推計 (8)ローマ時代のガリアの人口推計 その1 ベロッホ(1886年)のガリアの人口推計 (9)ローマ時代のガリアの人口推計 その2 ベロッホ(1889)の人口推計 (10)ローマ時代のガリアの人口推計 その3 ラッセル/マッケベディー/フライのガリアの人口推計と全体の所感 「古代ローマを知る事典」では、平均寿命についても詳細に紹介されており、墓の碑文や墓の遺骨などの研究によると
男は20代前半、女性でも25歳くらいが平均年齢だったと考えられるとのこと。ただしこの数字は、30%程度と見積もら
れる乳児死亡率を含んでの話であって、15歳まで育った後の平均余命で考えると、、男は32年、女は34年くらいの余命
があり、死亡率の高い少年期を過ぎれば、大半が40代後半まで生きることができた模様。死亡率は高かった為、人口を維持
するには、女性1人あたり5名程度の出産が必要で、上流社会の女性程、少子または、子無しという傾向だったらしい(貧乏
子沢山、あるいは高学歴程少子化となるのと同じ傾向に思えます)。因みに、この「余命表」は、0歳から80歳くらいまで
5歳刻みで作成されており、非常に詳細な資料となっています。 |
【財政:税収】 |
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□歳入 |
共和制末期の徴税(以下1と2は、長谷川博隆『古代ローマの政治と社会』2001年、名古屋大学
出版会、p168,242-265を参考にしました) 1.全体 @イタリアの公共、公有地への課税 Aローマ市民からの負担金 B属州 (負担金、人頭税、土地税(十分の一税、定額税、放牧地への課税) C間接税(関税) D特別国家収入(専売(塩、鉱山)、相続税、奴隷解放税、戦利品、罰金) (CとDは属州にも存在する) 2.属州 2−1.都市ローマへの納税:徴税概要 2−1−1. 属州の土地は都市単位に区分される。即ち、植民市(ローマ市民権都市)、自由免税都市(同盟市、自由免税都市)、その他の都市 (ケンソル都市、定額税(または十分の一税)都市)。前二者は非課税。厳密に属州の土地といえるのは、「その他の都市」であり、 そ れは公有地を有するケンソル都市と、私有地を有する定額税(または十分の一税)都市に分かれる。ケンソル都市の公有地は、地租と 地代が徴収され、定額税(または十分の一税)都市は地租を徴収される。しかし、帝国各地で整然とした統一規則で運用されていたわ けではなく、征服地の属州化の過程でなし崩しに適用されていったと考えられる(ローマの同盟者は貢納から自由、征服された地域は 公有地と化し、降伏した地域は貢納を支払う(シチリア、ペルガモン、シリアは、現地税制を流用し、アフリカ、ヒスパニアは降伏時 の貢納(賠償金)が定期税化してゆく)。 2−2.都市ローマへの納税:定額税と十分の一税分布 十分の一税(シチリア、サルディニア、アシア)、定額税(ヒスパニア、マケドニア、ガリア)、両方(アフリカ)、不明(ビテュ ニア、キリキア、シリア) ただし定額税属州でも公有地は十分の一税を払っている例(アフリカ)がある。 2−3.人にかかる税 財産税(ギリシア語圏のみに見られる)、人頭税(アフリカ、キリキア、アシア等、自由人も対象とされた) 3.地方都市における納税 都市参事会員から選出された租税徴収役人(susceptores浦野1994p230)が徴収。 4.帝政後期の徴税 ユガティオ(人頭税)・カピタティオ(地租)税制が全土に導入されたと考えられているが、実態は全国均一内容であったのか、議 論がある。 「後 期ロ-マ帝国における負担munera免除特権をめぐって」『史苑』巻 56号 2、pp20-47、1996年3、浦野聡 p45の註32によれば、帝政後期には、4ヶ月おきに3度に分け て都市ごとに徴税されていた、とある。出典はJones ,1964とあるが、Jonesの出典は未確認。 5.その他雑記 ローマ市民は間接税のみ、非市民は直接税。ただし税率は属州毎に相違する。征服前の 税率に準じているため。課税対象も収穫、農地面積、資産などばらばら。徴税の責任者は各属州の財務官だが、実際の徴税は(共和制末期から帝政前期は)徴税 請負 人という民間業者または都 市に委託。 税率は固定。ローマ市民には5%の相続税。 帝国財政は皇帝の私財と公共財の区分は無かったため、皇帝の家宰がそのまま国家管財人になっていった。 ガリアとエジプトの税収合計7000万との情報がある。この場
合、ガリアとエジプト人
口合計は約1000万人なので、税金は年間たったの7セステルティウスということになる。実際には奴隷などは除外されたた
め、奴隷人口を30%(属州では
もっと低かったかも知れない)としても、10セステルティウス(約3300円)程度にしかならない。しかし、税金は帝国政府
だけではなく、各地方都市の運 用のためにも徴収された筈なので、実際にはもっと高額だったと推測される。 |
14年頃 |
86年頃 |
150年頃 |
211年頃 |
|
軍団費 |
2億4705万 |
4億40万 |
6億4300万 |
6億6060万 |
文官費 |
7500万 |
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貧民救済費 |
4400万 |
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建築費 |
2000万 |
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その他 |
5000万 |
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合計 |
8億3200万 |
□GDP
「古代ローマを知る事典」からの引用ですが、書籍が手元になく、記憶だけから情報を記載していますので、あちこち矛盾や不明 な点がありますが、一応参考情報として記載。詳しくは、「古代ローマを知る事典」をご参照ください。
算定根拠は、当時のローマ人1人あたり、1日1Kgの小麦を消費する、小麦1モディウス(6.55kg)、小麦1 キロが1.83アスという各情報から、年間365日で紀元100年頃の人口6000万人とすると、約2000万トンの小麦が必要 となり、小麦4.37kgで1セステルティウス、1トンで228セステルティウスとなることから、2000万トンで90億セステ ルティウスとなり、更に小麦以外の農産物や工業・サービス業を含めて当時のGDPを120-135億セステルティウスと計算した もの(今計算すると、2000万トンでは50億セステルティウスにしからならないので、記憶が間違っているかも知れない。そのう ち確認してみます)。
【行政】
□元老院議員 600名(財産資格100万) 騎士(財産資格40万)2万名
□帝国官僚数【1】帝国前期300名程度
首都の政務官(公職者)は無給/属州総督・官吏は有給
(例1世紀末アフリカ知事100万セステルティウス、属州数40で合計4000万 か)
属州官吏
【軍隊】
□
軍団構成(1世紀末)
歩兵5000〜6000名、騎兵120名
軍団=10個大隊=30個中隊=60個百人隊+補助軍団(属州民兵、25年勤務後に市民権獲得。軍団とほぼ同数)
指揮系統
総督-軍団長-副官-首位百人隊長-百人隊長
帝政初期は皇帝属州総督が軍団を指揮したが、帝政後期(コンスタンティヌス以降)は軍団は総督とは別系統と
なった。
4つの道ごとに軍団司令官(マギステル・ミリトゥム)と、その配下の騎兵長官、歩兵長官の元に実働部隊が配置された。
□
構成人数と経費
14年頃/年収 |
86年頃/年収 |
211年頃/年収 |
|
正規兵(平均5000人) |
25軍団(12万5千人)/900 |
30軍団(15万人)/1200 |
33軍団(16万5千人)/1800 |
近衛兵 |
4500人/3000 |
4500人/4000 | 9000人/6000 |
首都警備隊 |
1500人/1500 |
2000人/2000 |
4000人/3000 |
消防隊 |
7000人/900 |
7000人/1200 | 7000人/1800 |
補助軍団 |
15万人/750 |
19万人/1000 |
19万人/1500 |
総計 |
28万8000人/2億4705万 | 35万3500人/4億40万 | 37万5000人/6億6060万 |
Reference | エジプトとアジア |
バルカン半島 |
東ローマ帝国(312年) |
西ローマ帝国(312年) |
Scholae,transfer |
合計 |
235年(推定) |
132,000 |
121,000 |
253,000 |
132,000 |
- |
385,000 |
ゾシムス* |
165,000 |
130,000 |
295,000 |
286,000 |
- |
581,000 |
Notitia |
171,500 |
149,000 |
320,500 |
145,500 |
48,000 |
514,500 |
-参考資料
「パピルスが伝 えた文明」 箕輪成男 出版ニュース社
「文明の人口 史」 湯浅 赳男 新評論
「ローマ帝国愚 帝列伝」新保 良明 講談社
「年代記」 タ キトゥス 岩波文庫
「古代ローマを
知る事典」 長谷川 岳男 、樋脇 博敏 東京堂出版
「ローマ帝国 A very short introduction The Roman Empire」 クリストファー・ケリー岩波書店
「古代ローマの
帝国官僚と行政:小さな政府と都市 (MINERVA西洋史ライブラリー)」新保良明著、ミネルヴァ書房
「古代ローマの
政治と社会」長谷川博隆、2001年、名古屋大学出版会
Notitia
Dignitatum(5世紀初頭の帝国官職表)
Warren
Treadgold著「Byzantium and Its Army: 284-1081」
「ローマ帝政前期における諸都市の書
記(scribae)」 西洋史論集 (12), 1-26,
2009 北海道大学大学院文学研究科西洋史研究室
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の下僚